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服 装 [コラムエッセイ]

「服 装」


原始人の世界でない限り、
現代の社会で服を着ない国はないだろう。

genshijin.jpg
画:acworksさん

ヌーディストクラブなるものはあるようだが、
これなどは典型的な
服装社会に対する反発でもあろう。


人間、属した社会で
ある程度服装が決まってくる。


学生らしい服装、
サラリーマンらしい服装、
果ては就職の服装まで出てくる。


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特に、
日本では未(いま)だに
ユニフォームがあり、
同じ社会に属する人たちは
同じ服装をする暗黙の受入態勢ができている。


いや、
よく考えてみると
世界的にユニフォームはある。


スポーツの団体競技などでは、
必ずユニフォームを着る。


服装で人の人格は判断できないが、
見せかけの人間性を装うことはできる。


坊さんの服装、
牧師の服装、
看護婦の服装等を見て、
悪い人と感じる人は、
過去において
それらの人たちから
よほど厭(いや)な思いをさせられた
実体験を持つか、
ミステリーを読みすぎた人くらいだろう。


要は服装で、
かなりのところまで人柄を演出できてしまう、
ということなのだ。


女性が奇麗になりたい、
という気持ちのなかには、
着飾りたいという気持ちが、
かなり大きな部分を占めると思う。


そしてそれが、
実際女性を奇麗にしているともいえる。


男は見かけではないといって、
服装をおろそかにしていい、
という論法は決して成り立たない。


むしろ動物などは
男の方が飾り好きなくらいだ。


勿論男性の場合、
着飾りたいというのは
一般的ではないかもしれないが、
小奇麗にしておく必要はある。


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特に我々サラリーマンは、
職種にもよるが、
営業や購買に携わる人間は
必ず接客があるので、
そう感じた経験は少なからずあると思う。


では、作家はどんな服装をするのだろう。


裸ってわけにはいかないが、
和服の必要性はない。


やはり小奇麗さを念頭に決めよう。




私がこの記事をかいたのは、
19年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
213日目の記事である。

執筆年月日 1998・12・07
ブログアップ日 2017・12・17





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【後 述】

人間、
もともと裸で生まれてきた。

服など着ていなかった。

自我に目覚めた時、
身をまとうものが必要となったのだ。

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