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神はどこにでもいる [コラムエッセイ]


「神はどこにでもいる」


私は気力の強い方だと思っている。


つまり、精神力の強い人間だと
自分では認識している。


私のような人間に共通していえることは、
自力というか、我力というか、
それに頼るきらいが強い。


クリスチャンであるかみさんから、
よくいわれる。


「やれるだけやって精根尽きたら、
あとは神に委ねるのよ」。


inori.jpg
画:AC WORKS さん


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なるほどと思うが、
私はまだ神については、
曖昧模糊(あいまいもこ:物事が
ぼんやりしていて、はっきりしないさま)
とした存在にしか考えていないので、
現状は神ならぬ、
かみさんに委ねている。


今朝ウォーキングから帰って、
家に足を踏み入れたとき、
急にひらめいたことがある。


精神力の強い人間が、
やれるだけやって精根尽きるほどやったら、
あとに残るのは、
神の力しかないのではないか、と。


つまり、強い「精神力」から、
精根の「精」をとったら、
「神力」しか残らない。


言葉遊びではない。


同様にして、
私たちが普段何気なく使っている言葉に、
なんと神の多いことか。


痛い、痒(かゆ)い、熱い、冷たい
などを感じたり、
心の動きなどを伝える「神経」。


よく観(み)てみると、
神を経(へ)ていると書いてある。


つまり、物を感じたりするのは、
すべて神を経ているのだ。


こじつけでもなんでもない。


大昔から、人は神を無意識に感じていた。


神を信じる信じないとは
切り離して議論しても、
歴然と神がいる。


どこにでもいるのだ。


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日本では窮地に陥った人が口走る、
代表的な言葉に、

「ああ、神様、仏様」

というのがある。


この場合、神様はイエスではなく、
神社などに祭られる神を指すのだろうが。


いずれにしても、
私にはいまのところ、
いつもかみさんがついている。


彼女が父と崇(あが)める
神に会える日がくるのも、
それほど遠い日ではない、
と思えるようになった。


『サラリーマン千日解放』の
上梓(じょうし:出版)が実現するころ、
ひとつの区切りになるかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
996日目の記事である。

執筆年月日 2001・01・28
ブログアップ日 2017・01・28





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【後 述】


一日一生という言葉があるが
まさに人生、一日一生である。


特に現代は次の瞬間が分からないほど
混沌(こんとん:なりゆきがはっきりしない)
としている。


それこそ
今でしょ!
ではないが、
今を精一杯生きることだ。

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