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かみさんはクリスチャン [コラムエッセイ]


「かみさんはクリスチャン」


日曜日、
かみさんはクリスチャンなので、
朝早くから礼拝に出かけて行く。

christian.jpg
画:AC Works さん

私は、彼女の仲間、
つまり近所に住む伝道者や牧師
(ほとんどがアメリカ人)とは、
たまに食事をしたり、
つきあいはある。


しかし私は無宗教だ。


父が亡くなったとき、
初めて実家の宗派を具体的に知った。


私は、上に姉がいるだけなので、
長男として当然告別式等に
僧侶を呼ばなければならない立場だったのだ。






何宗だったか覚えていたのは、
式が終わるまでだった。


今はまた忘れてしまった。


人は亡くなったらどういう葬式をされようが、
当人はまったく分からないのであるから、
どうでも良いと思ってしまう。


ましてや、
生きている内に死後のことを考えても、
ほとんど意味がない、とも。


変な新興宗教にかぶれるくらいなら、
ほどほどの賭事
――パチンコ、麻雀、競馬――に
多少の金と暇を費やした方が、
罪はないなどと思ってしまうほうだ。


しかし日本人は、日本そのものが宗教であり、
日本民族そのものが宗教団体ではないか
と思わせるほど、
宗教には無縁でいられる、
世界でも珍しい民族ではないか。


どの国でも、宗教による社会問題は
歴史の一部を形成している例が多い。


日本では小さな出来事はあったにしても、
歴史的に、のちの日本に
大きく影響を与えるような宗教事件はない、
希有(けう:めったにないこと)な国といえよう。






結局私たちは、
サラリーマン教なのかもしれない。


拠り所をそこに見出している人たちの
何と多いことか。


定年後、早死にする人もいるというのは、
サラリーマンという
拠り所を失なってしまうからだろうか。


人にとって、宗教が拠り所であるのなら、
自分にとって、永遠の宗教を探すため、
サラリーマン解放させなければならない。




私がこの記事をかいたのは、
19年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
24日目の記事である。

執筆年月日 1998・06・01
ブログアップ日 2017・05・31









【後 述】


今は私もクリスチャンである。

クリスチャンになるまでは、
かみさんにクリスチャンになるのは、
今際(いまわ:死の直前)でいいよ、
などと言っていた。

しかし、こうして様々なことが起こる昨今、
本当に良かったと思っている。

まだまだ生臭坊主ならぬ
生臭クリスチャンではあるが、
一日一生の時を実感的に過ごせるのは
クリスチャンになっていなければ
できないことなのではないか。

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