So-net無料ブログ作成
検索選択

しめ飾り、してもしなくても大差なしと考えてしまう方である [コラムエッセイ]



むかし、
わが家のしめ飾りは、
近くの山で
枝振りの好い松を取り、
玄関に飾ったものだ。


いまは専門の業者がいて、
28日ごろから
にわか仕立ての店で、
結構いい値段で売っている。


日本人は無宗教の人が
ほとんどで、
生活の部分部分に、
宗教色のある行事や、
横並びの習慣を
織り交ぜて暮らしている。


しめ飾りなどもいい例であろう。


【スポンサードリンク】






宗教色のある、
横並びの習慣といえるだろう。


かくいう私も無宗教である。


しかし、
横並びの習慣には拘る方ではない。


まして、
私のかみさんが
クリスチャンということもあり、
「今年はしめ飾りはしません」、
と言うから、
「いいよ」、
と答えた。


しめ飾りくらいしたって、
と思う人もいるだろうが、
・・・・・・くらい、
のものだったら、

してもしなくても大差ないのだよ、
と考えてしまう方である。


だから、
「やっぱり、しめ飾りするわ」と、
もしかみさんがいってきたら、
「あ、そう」と答えるだけだろう。


言い方を代えれば、
単なる優柔不断な男
というだけではないか、
といいたい方もおられるであろう。


しかし少々違うのだ。


自分自身では
元々どうでも良いこととして、
捉えているのである。


【スポンサードリンク】






横並びの生活習慣とか、
行事とかいうものは、
仲間や家族がどうしてもやりたい、
といえばやるし、
別にやりたくないよ、
といえばやる必要もない、
と思っている。


やる(やらない)ことによって、
大きな影響を受ける場合は、
影響を避けるために
やらない(やる)かもしれない。


総じていえば、
大抵のことはやっているつもりだが、
根本的にこんな性格なので、
普通の人より
合理的なのかもしれない。


それだけに自分でも、
よく25年間サラリーマンをやれたな、
と思っている。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの236日目の記事である。

執筆年月日1998・12・30
ブログアップ日2013・12・31





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

最近は
しめ飾りをしている家が
少なくなったような気がする。

上を向いて歩こう、上にも下にも恵まれない時代 [コラムエッセイ]


   上を向いて歩こう


―― 上を向いて 歩こう
 涙がこぼれないように
  泣きながら 歩く
  ひとりぽっちの夜 ――
(作詞・永六輔)


35年(今では約50年)も前に、
アメリカのヒットチャートで、
唯一日本の歌がトップを獲った歌だ。


その前後を通じて、
未だにアメリカでトップを獲った
日本の歌はない。


たぶん今後も非常に難しいと思う。


【スポンサードリンク】






アメリカのポップミュージック界は、
日本とは比較にならないほど、
ミュージシャンの層が厚いと聞く。


この歌に関係した人で、
唯一生存している永六輔・作詞、
すでに故人となった、
中村八大・作曲、
坂本九・歌によるものだった。


彼ら3人の名前には、
すべて数字が入っている。


六、八、九と。


そろそろ本題に入らないといけない。


実はこの歌が、
まさしくサラリーマンを
象徴しているように感じたので、
本日のタイトルにした。


サラリーマンは、
常に上を向いて
仕事をしていないと出世しない。


しかし上からは無理を言われ、
何とか下に通そうとすれば、
下からは無視される。


どうにもならない夜は
ひとり酒を飲み、
自分自身に管を巻く。


悔し涙で家路につくころは、
酔いも覚め、
しみじみひとりぽっちを
感ぜずにはいられない。


いまは、
上にも下にも恵まれない時代。


【スポンサードリンク】






人材派遣会社の宣伝でも、
その辺を反映したコマーシャルが
流されている。


上を向いて歩いてばかりいると、
いつか、
足元の大きな石に躓き、
大ケガをしないとも限らない。


かといって、
下ばかり見ていれば
上から押し潰されてしまう。


でも下からアッパーカットを食らう
危険性もあるし、・・・・・・。


もっとロマンチックに歌を楽しむべきか。




私がこの記事をかいたのは、
13年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの931日目の記事である。

執筆年月日2000・11・24
ブログアップ日2013・12・31





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

この歌が当時のアメリカで
「スキヤキ」って命名されたのも、
時代を反映している。

カウントダウン、残された時を数えるよりも全体の数を数え上げるカウントアップの方が良い? [コラムエッセイ]



カウントダウンは
残された時を
数える方法である。


また、
カウントアップという
全体の数を数え上げる
方法もある。


いずれにしても
数の総量は決まっている。


限られた数を数えることに
変わりはない。


【スポンサードリンク】






ここで、
カウントダウン方式と
カウントアップ方式を、
便宜的に相反する方法としたら、
あなたはどちらで自分の歳を数えるか。


年配の人はカウントダウン方式か。


人生何十年、
だから私に残された年数はあと何年、
定年まであと何年、
というように。


歳をとるスピードが
ものすごく気になる。


若い人はカウントアップ方式か。


18になったら
成人映画を
みられるとか、
20歳になったら
酒、タバコOKとか。


歳をとっていくスピードが
あまり気にならない。


寿命の違いはあっても、
自分の一生は
あるていど予測がつく。


予期せぬ事故や
病気などもあるが、
だいたいの見通しは
皆考えているだろう。


戦争があった時代とは違うから、
明日が知れない、
ということはないだろう。


そうなると、
過ぎ行く時を
自分の人生設計に、
どう組み込んでいくかが、
とても大きな問題になる。


もうこんな歳になってしまったか、
あと何年もない。


と考えるよりは、
まだ何年は
心身とも健康でいられるだろうから、
何かをしたいと考え、
計画をたてたほうがいい。


【スポンサードリンク】






若い人でも失敗は何度しても、
まだ50年あるから頑張ろう、
というように前向きな考え方をしたほうがいい。


あとと考えるか、
まだと考えるかによって、
のちの人生が変わってくる。


あわてる必要もないが、
まだとばかり言って、
何もしなければ、
それだけで
終わってしまうかもしれない。


まだという気持で、
きっちり計画をたてて実行してゆく。


それが一番だろう、
特に私たち世代は。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの602日目の記事である。

執筆年月日1999・12・31
ブログアップ日2013・12・31





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

「まだ」でも、
「もう」でもない。

「また」一年が過ぎようとしている。

医職従、職に従いすぎると医者にかかってあの世に行っちゃうよと言う意味だ [コラムエッセイ]



医職従とは、
僭越ながら、
私から
現代サラリーマンに
贈る警告である。


あまり仕事にばかりかまけていると、
気づいたときには、
医者にかかって
あの世へ行っちゃうよ、
という意味だ。


もう少し人生を謳歌できないものか。


【スポンサードリンク】






サラリーマンで
充分人生を謳歌しました、
といいきれる人もいるだろう。


それは一面観では、
非常に幸せといえるかもしれない。


しかし、
すべての人が
社長になれるわけではない。


たとえ、
副社長にまでなれたとしても、
定年で会社を去れば、
次は何をしたら良いのか
途方に暮れることだろう。


そんなとき職に従ってきた人は、
仕事を理由に、
様々なことを犠牲にしてきた、
というような自己弁護を行うだろう。


たしかに
家族を養わなければならないから、
犠牲にすることもあったろう。


ただし、
生活を確保するだけであるならば、
そこまで大きな犠牲を払う必要は
全くなかったはずだ。


本人が職従であっただけの話だ。


自分の人生も、
家族の人生も一度しかない。


みんなが自由に
伸び伸びと暮らせる方が良い。


金は生活、
教育に必要な分が
何とかなれば後はいらない。


と言ったら
嘘になるかもしれないが、
金や名誉は結果として
回ってくるものだから、
敢えてそのために
自分を縛るつもりはない。


【スポンサードリンク】






50(この時49)をすぎたら、
そう考えて人生を送りたい。


いつまでも
金や名誉に固執する姿は
さぞかし
醜いものだろうと思う。


私も30までは、
ギラギラしていたと思う。


さらにこの20年間は、
本意から外れたところで、
自分を燃焼させてしまった
ような気がする。


そしていま、
初めて自分と家族の人生を、
人間として
考えているような気がする。


医職従でいるあいだは、
自分の人生も、
家族の人生もない、
と警告したい。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの575日目の記事である。

執筆年月日1999・12・04
ブログアップ日2013・12・30





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

現代は、
しがみつきたくてもその職すらないのかもしれない。

生きる、いま生きている、生かされている、それしかないじゃないか [コラムエッセイ]



「生きる」ことを、
諭すような言い方は
抵抗がある。


なぜなら、
もっと自然なことだと思うからだ。


改まって考えることではない
のかもしれないくらいに。


人生論や、

もっと真剣に生きろ、
命を粗末にするな、
生き方を考えろと、

本来は
そんなことを言う必要など
ないのかもしれない。


【スポンサードリンク】






現代のように、
複雑な社会になればなるほど、
「生き方」が
まことしやかに語られ、
高い次元のもの
のようにさえ思われている。


よく考えれば、
「生きる」ことに
次元の高さなどないはずだ。


それを人間たちが、
わざわざねじ曲げて解釈しているに
すぎないのではないか。


科学が進み、
人間関係も複雑になってくると、
自然が破壊されてきたように、
人間が生きてゆく上でも
様々な問題が生じる。


それが「生きる」ことを、
多くの側面から、
しかも上辺だけ
分析し始めたのだろう。


元々「生きる」意味など、
人間にはないのかもしれない。


つまりそれほど
真剣に考えることではなく、
もっと自然に融和したものかもしれない。


とかく人は
物事に意味をもたせたがる。


まったく意味のないことにまで。


生きることが、
自然と融和していた時代は
それほど昔ではなかった。


ここ数百年、
いやここ百数十年くらい
なのかもしれない。


もっと広義に考えれば、
ここ50年くらいといえるかもしれない。


【スポンサードリンク】






急速なスピードによる
文明の進歩が、
特別な人たちだけではなく、
一般の民衆にも
「生きる」意味を問うゆとりを与えた。


だいたい余裕がなければ
こんなことは考えない。


仕事が一日8時間労働になり、
日々の家事も
電化製品で楽になり、
暇を持てあました結果だ。


普段考えないでいいようなことを、
もっともらしく考えるようになる。


いま生きている、
生かされている、
それしかないじゃないか。




ブログアップ日2013・12・30





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

生かされている今、
この瞬間を大切にしたいものです。

詐欺まがいレストラン、人の目をそれほど甘くみてはいけない [コラムエッセイ]



本日は土曜日だったが、
仕事の関係で、
千葉の
ホームセンターへ出かけた。


生憎と私は、
自家用車を持っていないので、
電車で行かざるを得なかった。


自宅から3時間近くかかる。


他の用事も足そうと、
かみさんといっしょに出たが、
途中下車して訪問した家が留守で、
結局彼女も
千葉まで一緒に行くことになった。


【スポンサードリンク】






ホームセンターは、
かなり辺鄙な場所にあり、
駅から出ても周辺には何もなく、

これから売り出すのか、
分譲地が整地し始めた
ままにされていた。


昼もすぎ、
腹もすいたので食事をしよう、
ということになった。


遠くを望むと、
国道の外れに、
レストランと思われる店が
小さく見えた。


遠そうだが、
そこまで歩くことにした。


辿り着くと、
入り口に本日の定食見本が出ていた。


800円だ。


野菜の入った中華そばと、
焼売がふたつ、
小さな器に入った焼き飯、
それにコーヒーがついていた。


価格的には
会社の近くで食べる、
ビジネスランチのレベルだなと思い、
それをふたつ頼んだ。


中華そばは
おいしいとはいえなかったし、
焼き飯に至ってはまずい。


私はつくづく安上がりな腹だな、
と思った。


まあ、800円だから仕方がない、
と味を受け入れたわけだ。


レジに向かいながら、
請求書に眼をやると、
ふたりで2,600円、
つまり、ひとり1,300円だ。


レジの女性に、
800円ではないのか!?


と確認すると、
そばだけなら800円ですが、
セット(焼売、焼き飯、コーヒー)だと
1,300円です、
と言う。


【スポンサードリンク】






ドアの外に出て、
見本をもう一度よーく見ると、
たしかにそう書いてある。


単品(800円)で、
と小さく書いてあった。


詐欺にあったような、
いやな気分になった。


こういう商売はいつか駄目になる。


放っておいても。


人の目を、
それほど甘くみてはいけない。




私がこの記事をかいたのは、
約13.5年前のことである。

当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
330日目の記事である。

執筆年月日1999・04・03
ブログアップ日2013・12・30





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

今年
連続報道されたメニュー偽装など、
この手の事件は
後を絶たないのでしょうか。

愛多ければ憎しみ至る、偏った愛情が目立てば、それを妬んだり憎む人が必ず現れる [コラムエッセイ]



偏った愛情が
目立つようになると、

それを妬んだり、
憎む人が

必ず現れるようになる、
というたとえである。


目のかけ方も
過度になりすぎると、

「愛多ければ憎しみ至る」で、

人間関係に思わぬ
波風が立つので気をつけなさい、
という戒めでもある。


【スポンサードリンク】






サラリーマンの社会だけに限らず、
3人以上の人間関係になれば、
大なり小なり
出てくる問題でもある。


例えばたった2人の子供でも、
片方に、
明らかに偏った愛情を注げば、
どこかにいつか
歪みが出てくるものだ。


平等に愛情を注ぐなどは、
口でいうのは易しいが、
実際に示すのは難しい。


ましてや第三者に
誤解されるケースがあるのは、
止むを得ないことであろう。


愛情を注ぐ立場の人たち自身が、
平等にしている
という強い信念を
持っていなければならない。


その時点では理解されなくても、
時が経てば分かってもらえるという、
長い目でみた
信念がなければならないだろう。


しかし会社などのように、
短期間で人が入れ替わる
人間関係において、
長い目で考えることは
非常に難しい。


いずれにしても、
私と同じ
中間管理職である立場の人たちは、
もう上も下もいらない、
私ひとりでやるから
誰もそばにいないでくれ、
というような思いで、

組織や人間関係を
振り払ってしまいたい、
と思ったことが
一度や二度はあったろう。


【スポンサードリンク】






部下については
自分でコントロールできるが、
上司については
自分のコントロールできる範囲ではない。


そうなると、
人間関係を調整することが
仕事のようになり、
悪玉のストレスで
身を滅ぼすことになる。


同じストレスでも、
身を向上させてくれる
善玉のストレスを持ちたいと願う。




私がこの記事をかいたのは、
約13.5年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの366日目の記事である。

執筆年月日1999・05・09
ブログアップ日2013・12・29





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

愛少なくても
同様の感が否めないのだから、

自然体で行くのが
一番良いだろう。

宝くじ、最多購入者はサラリーマンであろう [コラムエッセイ]



宝くじの最多購入者は、
サラリーマンだろう。


サラリーマンの人口からいっても、
火を見るよりも明らかだ。


しかし、
50年近く生きてきて、
身近な人に、
100万円以上の当選者をみたことがない。


自分も数百万円の投資に対して、
過去たった一回、
5万円が当たっただけである。


【スポンサードリンク】






あまり適切な表現ではないが、
交通事故にあうよりも
当たる確率が少ないらしい。


つまり宝くじに当たることは、
かなり特殊な、
いやそれ以上に
異常な事態なのかもしれない。


だからといって、
当たらなくてもいいんだよ、
購入金額の何割かは、
色々な公共事業に使われるのだから、
税金を出していると思えば
いいんだ。


などと、
本心から思っている
サラリーマンはいないはずだ。


どんなにわずかな確率でも、
それに賭けているのが宝くじで、
だから良く売れるし、
長く続いているわけだ。


私は宝くじをテーマにした
小説を書きたいと思っている。


なぜなら、
もし一介のサラリーマンや庶民に、
億単位の金額が当たったら
どうなるであろうか?


想像しただけでも、
様々なドラマを考えられる。


喜劇、悲劇、感動、
その他色々なパターンにおいて、
ドラマを展開したら、
シリーズになるくらい
小説が書けるのではないか。


また、
読者にしてみれば、
当たる可能性は少ないといっても、
微塵もないなどとも
思っていない事柄なのだから、
興味もひくだろう。


それにしても、
日本の宝くじは
欧米に比べたら当選金額は低い。


いまでは都会で
庭付きの家を一戸買ったら、
あまり残らない金額だ。


【スポンサードリンク】






けれど
私の年齢からいけば、
定年まで働かなくても
充分暮らせる金額だ。


つまり宝くじに当たれば、
サラリーマンを解放するのに
千日はかからない、
ということになるのだ。




私がこの記事をかいたのは、
約15年前のことである。

当時サラリーマンであった
私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
104日目の記事である。

執筆年月日1998・08・20
ブログアップ日2013・12・29





【スポンサードリンク】






【 後 述 】

今はかなり高額くじや
当たる確率をあげて、
あの手、
この手でやっているようですね。

生活レベルによって家計費、教育費などの尺度が変わってくる [コラムエッセイ]



1週間ほど前、
私は取引先N社の
リストラに関する新聞記事をみた。


内容は、
社員の給与を
20%カットする、
というものだった。


たまたまN社の営業マンと
電話で話していて、
その話題に触れると、

深刻そうに、
住宅ローンが支払えない人も
出てくるだろうといった。


私は、

「でもあなたの会社は
 20%カットされて、
 弊社の給料と同じ
 レベルでしょうから」

と励ましにならない
励ましの言葉で電話を切った。


【スポンサードリンク】






後で考えると、
随分酷い励ましの言葉
だったかもしれない、

と強く反省した。


生活レベルというのは、

私の年収が800万円で、
N社の人が1,000万円から
20%カットで
800万円になっても、

私の年収と同じだから
充分やれるだろう、
というものではない。


いままで1,000万円の生活を
していたわけだから、
800万円の生活にすることは、
私が640万円の生活に
落とすよりも、
大変なことなのかもしれない。


日本の夫婦は、
圧倒的に
奥さんが家計を握っている
ケースが多いような気がする。


同僚の話を聞いてみても、
一般的にいってもそのようだ。


しかし、
私の家庭では、
月々の食費や雑費に関しては
かみさん任せだが、

全体の家計費、
例えば教育費、
家を建てたり
補修したりする
費用の運営は
私がやっている。


従って、
必要以上に生活レベルを
上げていない。


というよりは、
今は教育費だけで精一杯で、
上げようにも
上げられないのが現状だ。


【スポンサードリンク】






人間慣れてくると、
自分に最適なレベルの判断が、
知らない内に
高くなっていたりする。


その方が良い場合もあるが、
必要以上に贅沢をすることにもなる。


自分の価値観を狂わせないためにも、
適度な生活レベルというものを、
冷静に判断できるよう
注意しなければならないだろう。




私がこの記事をかいたのは、
約14.5年前のことである。

当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
418日目の記事である。

執筆年月日1999・06・30
ブログアップ日2013・12・29





スポンサーリンク





【 後 述 】

現在は生活レベルの
尺度自体が
個々人で異なっているようです。

生活不安度指数、高いのに引き締める人もいれば緩める人もいる [コラムエッセイ]


本年(1998年)8月の
消費者心理調査
(日本リサーチ総合研究所調べ)
によると、
「生活不安度指数」は、
1977年の調査以来
最悪となったそうだ。


なかでも大きな不安
というのは失業で、
66パーセントの人が
「不安がある」と回答している。


サラリーマン世帯の実収入は、
前年同月に比べ1.1%
目減りしており、
完全失業率が相変わらず
4%で高止まりしている。


さらに7月の全国倒産件数
(東京商工リサーチ)が
前年比28.5%増と、
前年を大きく上回っている。


【スポンサードリンク】






これら負の情報が、
不安度を増しているのだろう。


当然の結果として、
消費者の購買意欲は
落ちこんでくる。


ここで面白い調査結果がある
ので紹介する。


電通の6月消費実感調査で、
今後1年間の支出を
「引き締める」が
42.1%あったそうだ。


これは時節柄よく理解できる。


反対の
「緩める」が
6.1%あったという。


詳細な調査条件は
記されていなかったため分からないが、
なぜいま支出を緩めるのか。


「緩める」という回答をしたのは
どんな人たちか興味深い。


支出を緩めるという回答が、
6.1%とはかなり高率だな、
と感じるのは私だけだろうか。


【スポンサードリンク】






私は現在失業しているわけではないので、
経済的に切迫はしていない。


しかし支出を緩める気はもうとうない。


「緩める」
と回答した人たちは
サラリーマンではないな、
と思った。


それともサラリーマンが
少しは混ざっているのだろうか。


日本も徐々に貧富の差が
出始めている証左か。


現実としていま
失業したらどうだろう。


10年以上前なら、
土方をしても
家族を養う自信はあった。


しかしいまの時代、
土方では子供を学校にやって
4人家族は養えない。


まず土方という
職にありつけないだろう。




私がこの記事をかいたのは、
約15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの132日目の記事である。

執筆年月日1998・09・17
ブログアップ年月日2013・12・28





【スポンサードリンク】







【 後 述 】

現在は更に
貧富の差は拡がっていると
思われるが・・・・・・

マネーパートナーズで口座開設