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冬は車が良く似合う、冬の風景に車がきりりとみえる [コラムエッセイ]



私は冬は嫌いだ。


なぜなら
寒いからという単純な理由だ。


裏腹に、
その厳しさには、
神聖なものすら感じている。


冬の早朝は寒さと暗さが伴い、
自然の厳しさを学ぶ恰好の材料ともなる。


肉体的には拒否反応を起こすが、
精神的には引き締まり、
高揚する。


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冬の早朝、
乗用車が白い息を吐くようにして、
ゆっくりと暗がりから出てくる情景は、
絵画にしてもいいような感動さえ覚える。


眠気まなこの運転手が、
咥えたばこで通り過ぎようとも、
ほとんどの場合危険を感じない。


彼が居眠り運転でもしやしないか、
などという懸念は一切生じない。


それは、
冬の厳しさに耐える車が、
しっかりと運転手を包みこんでいる
ような存在に見える
からだろうか。


冬の風景には、
車がきりりとみえるのだ。


ボディのデザインや、
材質が産み出す質感から
くるのだろうか。


マフラーから排出される
一酸化炭素や二酸化炭素も、
寒い冬の早朝だけは許せる。


まるで人が呼吸をしているようにさえみえる。


白い息をめいっぱい吐き、
生きている。


このときばかりは、
人が車を運転しているというより、
車が人を乗せているように映るのはなぜか。


厳しい冬の寒さに、
冷たい鉄の塊が自己主張をするからか。


温もりを乗せた小さな部屋が、
寒気極まる空気の中を切り裂くように移動するからか。


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現在私は、
車の必要性を感じていない。


しかし冬は車がよく似合う。


オーバーコートを着るように、
冬だけはあってもいい気にさせるほど。




私がこの記事をかいたのは、
約13年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの916日目の記事である。

執筆年月日2000・11・09
ブログアップ日2014・01・31





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【 後 述 】

今年は特にそのオーバーコートを着たい
と思わせるような寒気ですね。


ブランドに弱い国民性を持った国、日本 [コラムエッセイ]



日本ほど、
ブランドに弱い国民性を持った国は、
先進国にも類がないであろう。


それほど、
ブランド信奉者が多い。


たしかにブランド品でも、
長い間生き続けているものには、
良い物もある。


品質的にも、
サービスにおいても超一流の物もある。


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しかし、
もう使い古して嫌になるほど見聞きする、
日本人海外旅行者の、
ブランド品販売店での大騒ぎをみると、
同じ日本人として、
いささか赤面したくなるときがある。


まさに世界一の田舎者かもしれない。


ブランド品自体は決して悪くはない。


むしろ良い物が多いのかもしれない。


しかし価値、
価格などを冷静に判断するのではなく、
名前だけで購入するのは、
いかにも日本の国民性を顕わしている。


この傾向は古くからあるのだろうか。


生活の中でも
随所にブランド志向が見え隠れしている。


最も顕著なのが、
学歴ブランド。


サラリーマン社会でも
未だに厳然と残っている。


大卒か、高卒か、
という単純な学歴だけでなく、
何大学を出たか、
と名前を偏重する。


何のことはない、
ミーハーのブランド指向と
寸分も変わらないではないか。


いまでもときにはあるかもしれない、
家柄。


これなどは、
ブランドなどと
軽く片づけられる問題ではないだろう。


暗いイメージと重いイメージの
併存したブランドだろう。


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生まれ出てきた本人には
どうすることもできない
わけなのだが。


サラリーマンにとって
ブランドは何なのだろう。


前述の学歴というブランド、
実力の世界などといっても、
やはり入ってみたい
一流会社というブランド、
自分が成れないから
批判をする重役というブランド、
等々。


小説家にとってのブランドは、
文学賞か。


残念ながら、
私も典型的な日本人なのだ。




私がこの記事をかいたのは、
約15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの323日目の記事である。

執筆年月日1999・03・27
ブログアップ日2014・01・30





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【 後 述 】

現在は、
かなりすたれてきたブランドも
多く見受けられますね。


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笑って暮らすも一生、同じ一生笑って過ごそう [コラムエッセイ]



「泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生」、
という諺がある。


「どうせ阿呆なら踊らにゃそん、そん」、
と心意気は似ている。


同じ一生なら笑ってすごしたいものだ。


二者択一なら、
重くて辛い方を選ぶ人はまれだろう。


軽くて楽しい方を選ぶのが人情だろう。


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天真爛漫、
生まれつきの楽天家が一番良い。


何事も、
自分に都合よく受け止める。


そうすれば、
破壊力の大きい衝撃を和らげることができる。


つまり受け止めるとき、
もろに衝撃を受け止めたりはしない。


やや引き気味に受け止める、
というよりは受け流す感じに近い。


そんな受け方が、
クッションになって随分と衝撃は和らぐ。


「笑う門には福きたる」、
ともいうではないか。


絶えず笑っていれば、
そのうちに福まで舞い込んでくる。


ジメジメ、
めそめそしていては、
福の神も嫌気がさして
寄りつきもしないだろう。


笑うことは健康にも良い。


横隔膜の運動が活発になって
血行も良くなるだろうし、
第一精神衛生上一番だ。


身体にとっては極上の薬ではないか。


特に現代では、
これに勝るものはない。


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わが家で一番の笑い声は娘だ。


快活で大きな笑い声が聞こえると、
もうそれだけで充分な気持になる。


さらにかみさんとの二重唱にでもなれば、
私は至福の一瞬を味わえることになる。


私は自分が笑うのもさることながら、
家族が笑いの中にいられることが一番嬉しい。


小説には重く辛い作品もあるだろうが、
楽しく笑い一杯の作品も書きたい。


人生は楽しくなくてはいけないと、
敢えて言う。


自分自身で楽しくする必要がある。




私がこの記事をかいたのは、
約14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの698日目の記事である。

執筆年月日2000・04・05
ブログアップ日2014・01・29





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【 後 述 】

明日のことは明日に任せて
今日は満面の笑みでいましょう。

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かつら、頭のことで悩んでいる人は結構いるものだ [コラムエッセイ]



頭のことで悩んでいる方が結構いる。


ここ十数年の間に、
かつら業界は
急速に発展してきているようだ。


かつらはかなり高価なもので、
維持費も大変なようだ。

かつら専門の理容室に
行かなければならないらしい。


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多少高くても、
維持するのが大変でも、
かつらの愛用者は増えているようだ。


やはり、
外見を気にするのは、
致し方ないことなのだろう。


最近では女性でも、
付け毛というのだろうか、
自分の髪に足してつけている人もいる。


まさにおしゃれでつけているのだろう。


かつらも多様化したものだ。


現在のかつらの作り方は知らないが、
むかしは美容室や床屋で出た、
髪の毛を集めて作っていた時代もあったようだ。


小学校時代、
友人の父親は人の毛を集め、
かつら屋に納める仕事をしていた。


私などは、
近くにかつらをしている人がいないせいか、
あまりピンとこないが、
かなり精巧にできているようだ。


テレビや芝居でみる、
明らかなかつらとはわけが違い、
手間暇を充分にかけて作っているようだ。


ときどき仲間の間でも、

「あの人、どうもかつららしいよ」

という声の一方で、

「いや実は自毛だったようだよ」

というような話が、
まことしやかに囁かれるくらい、
精巧で分らないようだ。


ある夫人は、
結婚して数年経ってから、
夫がかつらだったことを、
初めて知ったという。


嘘のような、ほんとうの話がある。


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夫はいつ、
かつらを外していたのか。


不思議な点も多いのだが。


男の間で、
かつらをつける是非に関しては、
論議の的になることが多い。


実際どうなのだろうか。


いまさら、
と思う人もいるだろうが、
本人にとったら切実な問題であろう。


外見に気を遣うのも、
若さかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
約15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの291日目の記事である。

執筆年月日1999・02・23
ブログアップ日2014・01・28





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【 後 述 】

いや、いや、
歳と共に毛が薄くなってくると
より身近に感じるようになるのも事実です。

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勝ち組・負け組、他に言い方ないのか! [コラムエッセイ]



最近よく使われている言葉に
「勝ち組・負け組」がある。


どうして、
こんなにあおった言葉をこぞって使うのだろうか。


どこの誰から出てきた言葉か、
詳細は知らない。


たぶん経済界の人か、
関連ジャーナリスト・評論家
あたりが言ったのだろう。


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誰が言ったかではなく、
こういう言葉を活字や映像で報道されると、
痛く傷つく人たちがいる。


という社会に対する影響を、
もう少し考えて欲しいものだと思う。


そしてそれら言葉の使い方で最悪なことは、
使い捨てという無責任さにある。


「負け組みの誰々」と、
言いっぱなしなのだ。


現代社会の歪みは、
他人の迷惑お構いなしという、
自分勝手な行動が横行していることも
少なからず影響していると思う。


他人の痛みを知らない人間が多いのか。


知っていても他人どころではない、
自分を守るのが精一杯、
という今の社会が悪いのか。


いや、
もっと大きな力が働いているのか。


過剰な同種族(人間)を、
淘汰しようとする力が自然に働くのだろうか。


つまり同胞同士で互いを振るい落とそうと、
見えない力が作用するのだろうか。


もちろん負け組だけで社会は成り立たない。


当然逆もあり得ないのだが。


勝ち組の人たちは、
自分が負け組みに入らないよう、
常に負け組を探し出している。


そして最後は……。


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そんな社会になっては、
それこそ人類が危惧する
第三次世界大戦にもなりかねない。


総体で人間は進歩していないのではないか、
と思うことがよくある。


文明の進歩と比較したら、
人間の成長など
ほとんど止まっているようにみえるかもしれない。


そんな中で負け組を探し出すことに
何の意義があろう。


「負けるが勝ち」、
という諺は、
いまも厳然と生きていると
私は強く信じたい。




私がこの記事をかいたのは、
約13.5年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの716日目の記事である。

執筆年月日2000・04・23
ブログアップ日2014・01・27





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【 後 述 】

この強弱言葉は形を変え、
言い方を代え、
いまだに横行していますね。

他に言い方ないのか!

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カツ丼、私が料理する特性カツ丼 [コラムエッセイ]



昨日の夕ご飯は、
私の特製カツ丼だった。


久し振りに作った。


特製といっても、
普通のカツ丼となんらかわらない。


つまり私が料理するから特製なのだ。


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かみさんは毎日、
朝、昼、晩、と
食事の支度をしなければならない。


何が大変かといって、
メニューを考えるのが厭になるほど、
大変らしい。


新婚のころ、
数日間はもつ。


しかし毎日となれば、
なんでもそうだが大変だ。


私など歯を磨くのさえ
おっくうになるときが
あるくらいだ。


そんなとき、
私がたった一食でも料理する、
などといえば、
気持ち良く任せ、

「おいしい、おいしい、
  特製カツ丼は最高!
   あなたの愛情をヒシヒシと感じるわ」、

などと世辞を言っても、
惜しくないほどありがたいのだ。


私が料理するというだけで、
かみさんにしたら最高の調味料となる。


私のレパートリーはそんなに多くはない。


カツ丼の他に、
お好み焼き、
特製具入りインスタントラーメンの、
三つくらいか。


あ、まだあった。


おにぎりだ。


私のおにぎりはうまい。


固くもなく、
やわらかくもなく握る。


米の粒が、
そのうまみを失わないよう、
丁寧に注意して結ぶ。


コンビニのおにぎりみたいに引き締まっていない。


もう少しふっくらとしている。


具も色々だ。


最後に、
上等な真黒い海苔に包んでしあげる。


もし、
上等な海苔がないときは包まない。


海苔は別にして、
食べる直前に包んでもらう。


この方が美味しく食べられる。


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かみさんは、
口にはしないが夢がある。


ある人に料理をしてもらいたい、
という。


誰あろう、
わが娘だ。


もし娘が作ってくれるようにでもなったら、
涙を流してありがたがることだろう。


目に見えるようだ。


家庭料理は独創性がいるし、
愛情も努力もいる。


それこそ千日では終われないのである。




私がこの記事をかいたのは、
約14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの555日目の記事である。

執筆年月日1999・11・14
ブログアップ日2014・01・26





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【 後 述 】

ひとつくらい、
この味絶品! 

と言わせるような
男の料理を持っていたいものですね。

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勝手な解釈、させておけば良い [コラムエッセイ]



私は会社の上役から、
「君は真面目すぎて面白くない」とか、
「もうちよっと砕けたらどうかね」、
などといわれることがある。


私自身は、
言われるほど真面目ではないと認識している。


しかし真面目なことは、
サラリーマンにマイナスではない、
と私は思っている。


だから敢えて

「私は物凄くいい加減な男でーす」

と大声を張り上げる必要もない。


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相手が勝手に解釈をしているのだから、
それが私の名誉に関わったり、
我慢できないことでない限り、
そのままにしておいて問題はない、
とも思っている。


上役にとっても、
部下が真面目であることは、
決して悪いことではない。


それが、
君は少し真面目すぎる
と言ってしまうのは、
上役に都合良く動いてくれないとき、
つい出てきてしまうのかもしれない。


真面目にやるだけでなく、
上役の波長に合わせて臨機応変してくれ、
と要求されているようなものだ。


あるときは適当に崩れ、
あるときは小悪党に、
そしてあるときは身を挺して
上役の盾になれ、と。


上役の手となり、
足となり、
頭となれ、と。


それでは
あなたは要らない
ではないか、
ということは
もちろん棚の上にある。


だから、
私は真面目で通すのだ。


全部私がやってしまったら、
あなた方は
用なし人種になってしまうから、
とまではいわないが。


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それにしても、
勝手な解釈をする人は
自分自身を客観的にみる
ことができないのか。


いってる本人が、
結構真面目一本槍だったり、
非常に細かい人だったりする。


まず自分が反省すべきはずなのだが、
他人に不用意に口にするくらいだから、
意識さえしていないのかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
約13.5年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの701日目の記事である。

執筆年月日2000・04・08
ブログアップ日2014・01・25





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【 後 述 】

あなたの周りはどうですか?

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知ったかぶり、おっちょこちょいではやとちり [コラムエッセイ]



私はおっちょこちょいで、
はやとちり、
さらに知ったかぶり
をすることがある。


自分では極力
気をつけているつもりだ。


にも拘わらず、
人間が軽くできているのか、
同じ過ちを2度、
3度と犯してしまう。


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知ったかぶりをすると、
後で大変な苦労にみまわれる。


その知識を一時的にも、
詰め込まなければ
ならなくなるからだ。


追いついてゆけるうちはいいが、
追いつけなくなってくると、
化けの皮が剥がれてしまう。


かみさんには、
すでに化けの皮は剥がれている。


特に書き物をしていると、
知ったかぶりは禁物だと痛感する。


あとに残ってしまうので、
訂正のしようがなくなってしまうからだ。


なぜ知ったかぶりをしてしまうのか、
考えたことがある。


要するに、
基礎ができていないのだ。


聞きかじりだったり、
うわべだけの見聞だったり、
場の流れで
自分が思いついたことを
口走ったりしてしまう。


やはり、
私は浅薄な人間なのだ。


知ったかぶりを予防するには、
自分ではっきりと
確認したもの以外は口にしない、
という原則を守ることだろう。


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原因について
私なりの心あたりはある。


私が経験した様々なアルバイトの中に、
百科事典の訪問販売があった。


所帯を持ってからも、
家電商品の訪問販売で
食べていた時期があった。


セールストークのひとつである応酬話法を、
私は知ったかぶりをすることで、
身につけてしまったのかもしれない。


良くいえば、
広く浅く万遍なく物事を知っている
と言え・・・・・・、ないか。


調子者の悪い癖を直すには、
新聞は見出しだけで理解したような顔はせず、
本も終わりの解説だけを読んで、
分かったような気持ちにならないよう注意しよう。




私がこの記事をかいたのは、
約15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの183日目の記事である。

執筆年月日1998・11・07
ブログアップ日2014・01・24





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【 後 述 】

15年経って少しは改善されたか、・・・・・・

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阿吽の呼吸、それは互いの心の存在を確認しあうことであろう [コラムエッセイ]



英語で阿吽の呼吸を説明することは、
非常に難しいと思う。


日本の文化、習慣、
それに微妙な感情や
気持ちのやりとりを表す日本語で、
外国人に説明しづらいものは多い。


良くいえば、
日本人は感情が繊細であり、
奥が深いといえる。


逆にいえば、
国際的な感覚が身につきづらい、
ともいえるのだろう。


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昨日、
とうとう我社でも、
いまをときめく、
ISO(イソ・国際標準化機構)
を取得しようと、
専門家の講師を招いて勉強会をやった。


私は工場に出張して講義を聴いた。


勉強会でつくづく感じたことは、
日本人は文書にまとめて規格作りをしたり、
決め事を契約書にまとめたりするのが、
非常に苦手な民族なのだな、
と思った。


文書にすると、
すぐに構えてしまい、
なんとなくギスギスしてくる。


互いに分かっていることを、
いちいち文書にすると、
却ってわだかまりが生じてしまうのではないか、
と心配する。


文書などにせず、
阿吽の呼吸でやればいい、
と言う人さえいる。


自分勝手な阿吽の呼吸を
主張したがる人が多い。


私はかみさんに、
夫婦は阿吽の呼吸でなくちゃいかん、
と主張して、
よく言い合いになった。


彼女にいわせると、
話してくれなければ分かるわけがない、
というのだ。


彼女の言う通りだ。


話さなければ、
互いの理解は誤解になる。


充分に話し合いながら
阿吽の呼吸を育むことが、
自然なのだろう。


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従って、
その境地になるまでは、
かなり時間がかかることになる。


私のように、
早とちりの人は大いに注意すべきだ。


やはりじっくりと、
互いに話し合うべきだ。


阿吽の呼吸は、
相互の微妙な気持ちに触れる、
日本独特な奥の深い情感だろう。


大切にしたいもののひとつ、
と私は考えている。


心の存在を確認できる気がするからだ。




私がこの記事をかいたのは、
約15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの182日目の記事である。

執筆年月日1998・11・06
ブログアップ日2014・01・23





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【 後 述 】

早とちりや知ったかぶりに陥らないよう
充分に注意してください。

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誉める、人の良いところを吸い上げて誉める [コラムエッセイ]



娘から、
ロック部の演奏を
カセットテープに録音してきたから、
批評をしてくれといわれ、
夕食後、
リビングルームで、
かみさんと娘と私の
3人で聞いた。


私は、
感じたことを率直に話した。


誉めることをしなかったのだ。


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娘たちは
プロになるわけでもないのだから、
もう少し甘く批評しても良かった。


まずいところばかりの指摘ではなく、
良いところを
誉めてやるべきだったのだ。


娘からは涙の抵抗を受けてしまった。


「もう、お父さんには聞いてもらわない」、
といわれて。


私は人を誉めるのが、
非常に下手である。


良くいえば本音しかいわないのだ。


ときには良いが、
人生そればかりでは反感を買う。


人の良いところを吸い上げて、
誉めることによって、
やる気をださせることは重要だ。


私は、
人を叩きのめして
立ち上がれないようにしてしまう
ような言い方をする、
と娘からいわれた。


すぐに言いすぎたと謝ったが、
すでに娘は、
私の謝罪には耳を傾けなかった。


すっかり気を落として、
バンドを辞めるなどといい出したら、
責任を感じてしまう。


私は自分の不用意な発言に、
いまさらのように後悔するばかりである。


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この調子だから会社でも、
自分では意識していないところで、
部下や、
下手をすると上司まで
傷つけているかもしれない。


充分に注意して、
普段の仕事に臨まなければならない。


誉めることが下手な人間は、
人の痛みをしらない人間なのだろうか。


それともあまりにも真面目な人間なのだろうか。


いまは下宿をしている息子に対しても、
小さいとき、
ほとんど誉めてやらなかった。


いつのまにか、
父親に対する壁を作ってしまった
のではないだろうか。


自分に甘いとは思わないが、
人に厳しい発言ばかりなのもまずい。




私がこの記事をかいたのは、
約14.5年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの480日目の記事である。

執筆年月日1999・08・31
ブログアップ日2014・01・22





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【 後 述 】

こういうことは自分が
無意識のうちにやっていると、
人から指摘されない限り、
分からずにいることが多い。

よくよく自分の発言には
注意しないとならない。

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