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子供だらけの大人の世界、決定権は何の為に与えられているのか [コラムエッセイ]



昨今の我が国では、
決定権のある人が権利を放棄している、
と思えるほどだ。


これは、
日本が混沌としている原因のひとつだろう。


上にいけばいくほど、
決断を下さない。


当然下の人間は右往左往する。


切羽詰まっても、
相変わらず時が解決してくれるという
甚だしい時代錯誤で、
問題に手をつけない人がいる。


良くなるわけがない。


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決定権を持っている人は、
報酬も多く貰っているはずだ。


にも拘わらず、
やっている仕事は、
大きな声を出して
辻褄の合わないことを口走っているだけだ。


決定を下した後で失敗したときに、
責任をとりたくないのか。


だとしたら随分むしがいい話である。


また、
決定は下すが自分の意志によらず、
上から翻弄されて、
右へ左へてんてこ舞い、
土壇場で支離滅裂になる人もいる。


方向性を示しておきながら、
逆戻りしたり、
紆余曲折になったり、
下の者はついて行けない。


困ったものだ。


それでも我慢しながら勤めなければならない
サラリーマンは、
ほんとうに一体何なのだろう。


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子供だらけの大人の世界で、
ややもすると感化され、
自分までもが本来の才能を見失ってしまいそうな世界。


ほんの僅かな給料で、
金縛り状態になっている。


人間ってそんなに弱いのだろうか。


そんなに怠惰なのだろうか。


もっと人間らしい生き方を探すべきではないのか。


経営者の雇用者に対する本音は、
一体何なのか。


上司の部下に対する本音は?


もう良好な人間関係は築けないのか。


もちろんそんな会社や組織ばかりではないのだろうが、
満員電車のサラリーマンに、
溌剌さや輝きが見られないのはなぜだろうか。


子供だらけの大人の世界はもう出よう。


余裕のなさすぎる生活は放棄しよう。


人生の飢えを満たすためにも。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの693日目の記事である。

執筆年月日2000・03・31
ブログアップ日2014・03・31




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【 後 述 】

あの頃からこの国も
少しは良い方向へ行っているんでしょうかね。

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標語、五七五調の平易な文章で端的な表現ができる [コラムエッセイ]



昨年から楽しみで、
何回か標語に応募した。


なかなか難しいものだ。


いままでに、
標語で賞を貰ったのは、
会社の経費節減標語で、
優秀賞に輝いたくらいだ。


標語は、
出来が良いというだけでは入賞しない。


万人に分かり易くなければならない。


それにいくら端的な単語を使用していても、
露骨な表現は嫌われるようだ。


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通常、
五七五調で、
リズミカルなものが好まれるようだ。


この短文に、
求められている内容が
網羅されていなければならない。


いわば、
キャッチコピーみたいなものだ。


長い文章よりも、
適格にその内容を深く言い表していれば良い。


標語は、
日本独特というわけではないだろう。


英語にもスローガンという単語があるくらいだから、
当然似た様な役割を持った表現方法があるのだろうが、
五七五調で、
歯切れが良く、
味わいのある作品は少ないだろう。


私たちは昔から標語には慣れ親しんでいる。


図画工作の時間に、
ポスターを書いた経験は皆さんお持ちだろう。


それくらい小さなときから標語には触れている。


ポスターを書くときには、
必ず標語文字を入れて描いたものだ。


日本語の奥深さは、
短歌や長歌、
俳句や川柳、
詩などとは異なった趣のある、
文字遊びを超えた素晴らしいものがある。


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その仲間には入れないかもしれないが、
誰でも簡単に参加できるのが、
標語創作の世界ではないだろうか。


私などは自信満々で応募しても、
なかなか入賞しない。


でも、
数万通も応募があるという、
大きな標語の懸賞などは楽しみだ。


もし、
入賞すれば賞金も数十万円と高額になるし、
それがポスターや広告に使われるだけでも
楽しいではないか。


平易な文章で、
短く書いて端的に表現するのも、
私には勉強のひとつだ。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの692日目の記事である。

執筆年月日2000・03・30
ブログアップ日2014・03・30





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【 後 述 】

標語作りは楽しいですね。

ある意味、
息抜きにもなりますよ。

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起承転結、人生の様々な局面で考えてみると面白い。 [コラムエッセイ]



小説を書く上で大切なことのひとつに、
起承転結がある。


そんな知識は作家ならずとも、
小学校の国語で習ったと思う。


人生の様々な局面で、
起承転結を考えてみると面白い。


例えば、
起承転結がしっかりしていない経営戦略は
いずれ駄目になる。


その場凌ぎはできても、
大願成就は果たせない。


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なぜならメリハリがないから、
起承転々、
起承転倒になったり、
はたまた起承転欠になったり、
ひどい時は起承転落になってしまう。


フィニッシュが決まらないからだ。


そのままずるずると、
終わりが分からないまま、
次の御題目を転々と掲げる。


そんなことが何度も繰り返されれば、
社員たちの士気にかかわり、
いずれ転落する。


もやもやと燻って仕事をしているのは、
精神衛生上決して良くない。


だんだんと自分の仕事にもケジメがつかなくなってくる。


結がないからだ。


どこで終わったのか、
何のためだったか分からなくなり、
仕事をした意味がみえなくなってくる。


だらだらとやっていても、
張り切ってやっていても、
いつのまにか尻切れトンボとなり、
お愛想なしの無責任になってしまう。


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こんなことを繰り返している会社は、
結構多いのではないか。


その点、
しっかりした組織は責任体制が曖昧ではなく、
上が十把ひとからげの物言いは絶対しない。


言われれば、
納得のできるようになっている。


通常、
起承転結をはっきりさせている。


こんな組織は意外と少ないか。


よくよく考えてみると、
小説も起承転結をきちんと考えなくても、
ある種面白いものが書けるかもしれない。


などと思ってもみたが、
逆に凄まじく高度なテクニックを
要求されるのではないか。


いや、
天才でないと無理かもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの691日目の記事である。

執筆年月日2000・03・29
ブログアップ日2014・03・29




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【 後 述 】

音楽のリズムのようなものなのであろう。

リズムをつかんでしまえば、
結構うまくいけるかもしれない。

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夜討ち朝駆け迷惑千万、忘れ去られた根性・猛烈 [コラムエッセイ]


     夜討ち朝駆け迷惑千万


猛烈サラリーマンやセールスマンは、
顧客に対し、
熱情のあまり「*夜討ち朝駆け」をして、
説得・販売にあたったものだ。

*(早朝・深夜に相手の家を訪問すること)


また、
それを善しとした時代があった。


いわゆる根性ものが、
もてはやされた時代である。


いまそんなことをしたら、
ストーカー呼ばわりされないまでも、
逆効果になる恐れの方が高いだろう。


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精神論より、
スマートなやり方が好まれる時代である。


根性という言葉が、
古くカビ臭くなってしまった。


50代、60代のサラリーマンで営業経験があれば、
「夜討ち朝駆け」の感覚は理解できると思う。


また、
いま取引先からそんなことをされたら、
真摯な熱意にほだされかねない。


そう思っていたら、
着実にここ十数年間で、
「夜討ち朝駆け迷惑千万」という感覚が、
私たち以上の年代にも浸透していることに気がついた。


精神論・プロセス重視から、
結果論・プロセス無視
になってきている。


社会全体の風潮だ。


非常時の欧米型ビジネス論だ。


ただ欧米型ビジネスのうわべだけを、
あたかも新しい正論の如く吹聴する。


持論を持たない人たちや、
新興の、
時の人に多い。


まだまだ日本社会の現状は、
50代、60代の、
一握りの人たちで牛耳られている。


彼らがそういう考えを打ち出せば、
間違いなく社会の風潮にも影響する。


もちろんこの考え方は、
いまに始まったことではない。


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かつては持論をもって発言している人が多かった。


いまは時の流れに翻弄されながら発言している人が多い。


信念とは思えない、
信念を装った発言だ。


一般サラリーマンでも「夜討ち朝駆け」など
いまどき馬鹿げてる、
という人が多くなっている。


では彼らは結果論・プロセス無視を支持するのか、
というとそうでもない。


自分を省みて、
どっちもどっちと思うのだろうか。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの690日目の記事である。

執筆年月日2000・03・28
ブログアップ日2014・03・28





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【 後 述 】

今、
そんなことをしたら、
それこそ本当にストーカーになってしまいかねない。

極めて難しい行為であろう。

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失われたサラリーマンの常識、いまや安定はなく、独立・自立さえもままならない [コラムエッセイ]



言葉の意味は、
本来の意味と若干変わってくることがある。


使われる時代背景や場所、
環境や国民性によって。


サラリーマンという外来語も、
そのひとつだろう。


いまでは完全に日本語となり、
意味も若干変わってきたように思う。


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寄らば大樹の陰、安定。


つまり、
自分で独立・自立ができないから、
大きな傘の下で月給を貰い、
贅沢はできないが安定した生活をする。


それがサラリーマンという言葉に包まれた
常識ではなかったか。


定期昇給があり、
ボーナスで一息つく。


宮仕えであるから、
理不尽な上役の言い分にも我慢し、
実直に勤務し、
自分の活躍が際だって報酬に反映せずとも、
致し方なしとする。


それが最近はかなり変わってきた。


定期昇給なし、
家族手当もなくすかもしれない、
もちろん減給もある。


辞めてもらうことも有り得る。


自分の給与は自分でかち獲れ、
と。


おい、おい、おい、待ってくれよ。


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雇う方にだけ都合良く変えて、
雇われる方の言い分は一切聞かないつもりか。


宮仕えのままでいろ。


そしていままでのサラリーマンの常識はなし。


それが厭なら、辞めろ!

と大威張りだ。


むしろいままでがおかしかったのだ、
とさえ言い切る。


私も実力主義に反対ではない。


やる気のない奴は辞めさせるべきだ。


しかし時代の流れに便乗した、
十ぱひとからげの物言いは、
経営者のエゴであり驕りであろう。


経営状態が悪いならともかく、
良くても言わなければ損だ、
みたいな会社さえある。


独自の経営路線を敷けない会社にありがちだ。


サラリーマンの宮仕えまでして、
何が実力主義か。


ならば独立した方が良いに決まっている。


そんな会社は長続きしない。


あと数年の命だろう。


なぜなら、
ほんとうに実力のある人は、
そんな会社は辞めてゆくから。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの689日目の記事である。

執筆年月日2000・03・27
ブログアップ日2014・03・27





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【 後 述 】

さらにサラリーマンという言葉の意味は
とらえどころのないものに変化してきている。

働く人々の総称としての位置づけは全くなくなった。


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ルネッサンス、華やかなテレビ宣伝と激烈なリストラとのギャップをどう見るか [コラムエッセイ]



自社の英文字から、
ルネッサンスという単語を見出し、
それを主題に構成している、
ある会社のテレビ宣伝がある。


アイデアは良いと思う。


しかしいま会社が実施している再生に、
どこまで結びつくのかは、
はなはだ疑問である。


会社が実施しているあまりにも徹底的なリストラと、
テレビ宣伝が消費者に与えようとする印象は、
ギャップがありすぎる。


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変わろうとしているのを、
イメージで美化する宣伝と、
現実的に行使していることとのギャップは、
みる側としては素直に理解はできない。


まったく裏腹の宣伝に感じてしまう。


ましてや会社の従業員、
関連会社、
孫受け会社と、
リストラの影響を直接受ける人たちからみれば、
何のつもりだこんな宣伝をして、
という感情になってもおかしくはない。


私は会社再建は困難だろう、
とみている。


一時的に回復するかもしれないが、
根本的な回復には、
よほどの努力を求められる。


なぜなら、
日本の国民性や感情に沿っていない。


いい悪いは別にして、
日本企業間の結びつきを無視しているからだ。


全権を担ってやってきた四十半ばの熱血漢が、
自信と経験に裏打ちされた実力を、
日本で行使するには早すぎたのでは、
と私は思う。


それと一番の誤算は、
いままでの重役連中を始末しなかったことだろう。


真っ先にやるべきことをしなかった。


そこから、
この再生が困難に陥ることが見えているような
思いが拭えない。


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企業の再生は、
文芸復興とは違う。


もちろん企業文化とか、
企業風土とか言うが、
あくまでも企業が存在して、
初めて言えることであろう。


企業の存続には、
現実を見極める必要がある。


日本では、
就労者の具体的な抵抗はない代わりに、
消費者の抵抗がボディブローになる。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの644日目の記事である。

執筆年月日2000・02・11
ブログアップ日2014・03・26





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【 後 述 】

確かに急速な回復を見せ、
絶賛された。

しかし本当に盤石なルネッサンスだったのかは
もうしばらく様子を見る必要がある。

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二重瞼、一重でも美しいが多数決の原理で支持を受けているのは二重か [コラムエッセイ]



よほど達観した人でもない限り、
外見は美しいといわれる方が良いに
決まっているだろう。


特に年ごろの女性であれば、
ごくごく普通の感覚であろう。


娘は私に似て、
瞼が一重である。


二重瞼に憧れて、
一時的に二重にする化粧品を
使ったりしているようだ。


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「おまえの一重瞼は生まれつきなのだから、
 いじったりしない方が良い」
などといっても、
理解はしても納得はしない。


人間外見ではない、
といったところで、
美しくありたい、
恰好の良いスタイルでありたい、
と思うのをたしなめたりはできない。


それは、
結婚し、
子供も育ち、
人生経験を豊富に積んで初めて言える、
思える、
それくらい時間がかかることなのかもしれない。


個性を発揮して自分を磨け、
などといってみても、
なかなかすんなり受け入れられないだろう。


二重瞼がなぜ良いのか、
それは、
多数決の原理で圧倒的にそれが恰好良い、
と支持をうけているのであれば致し方ない。


一重でも美しいのだが、
やはり現代ではマイナーというイメージなのだろう。


人間は心だよ、
といってはみても、
私たち凡人に、
初対面で人の本質など判断できない。


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そうなると
外見や顔でまずは判断するしかない。


そして何回かつきあってみて初めて、
奇麗だけど、
恰好良いけど、
厭な奴!

となるのである。


しかし、
美しさや恰好よさの条件も、
時代とともに変化しているのだろう。


西洋人をほとんどみる機会のなかった、
江戸時代あたりでは、
彫りが深くて二重瞼の人間は、
逆に特別視されたのではないか。


鏡のなかったおおむかしは、
どんな顔が恰好良かったのだろうか?


二重瞼も好まれたのだろうか?




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの627日目の記事である。

執筆年月日2000・01・25
ブログアップ日2014・03・25





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【 後 述 】

あなたはどちらが好みですか?

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1日早い給料日、サラリーマンは人的財産なのか、あるいは物的資源なのか [コラムエッセイ]



本日24日は給料日だ。


わが社は一般的な給料日の1日前に支給される。


これは、先々代の社長が、
社員に少しでも早く給料を渡したいという、
いわば経営者の意地から発している。


社員は少し得した気持になれる。


24日が日曜日だと、
土曜日が休みなので、
22日の金曜日に支給される。


給料日が25日の会社より、
3日早く貰えることになり、
週末のすごし方に差がでる。


こんな書き方をすると、
私はサラリーマンがまんざら嫌いではないように
思われるかもしれない。


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そうではないのだ。


サラリーマンにとって、
給料日、
つまり金を貰えるときだけが救われる日だ、
といいたいのだ。


これからの会社は、
サラリーマンを人的財産としてよりも、
物的資源として扱う傾向が
益々強くなってゆくだろうからだ。


サラリーマンといえども人間なので、
そういう傾向の強い会社は敬遠するようになるか、
給料が非常に高ければ我慢するか、
になる。


昨日、
ある大会社の元部長が、
子会社へ出された挙げ句にリストラ、
という厳しさに耐え兼ねて、
親会社の社長に苦言を呈しに行った。


結果は、
社長を刺すのではなく、
自分が割腹するという展開で、
人生にピリオドを打った。


リストラの犠牲者なのか、
その人の寿命なのかは分からない。


ただ、
サラリーマンの大半は、
基本的には金で動いているという事実だ。


そうでなければ、
なんで理不尽なことに絶え得るだろうか。


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給料で遇してやるのがまず第一だ、
ということを経営者は知らなければならないだろう。


「衣食足りて礼節を知る」という。


しかし昨今は、
衣食足りたと思えるレベルの個人差が、
あまりにも大きすぎる。


ここにも大きな問題はあるとも思うが。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの320日目の記事である。

執筆年月日1999・03・24
ブログアップ日2014・03・24





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【 後 述 】

命としての時を売っているわけだから、
それなりの報酬を求めるのは致し方ない。

しかしあまりにもその格差は広がる一方である。


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引越し膨張、転勤で家具が増えたり家族の悩みが膨張したり [コラムエッセイ]



今日は久し振りに引っ越しの手伝いをした。


私の引越しが、
12年前にさかのぼるから、
引っ越し仕事をするのは12年振りになる。


かみさんの友人であるアメリカ人の引越しだ。


午前中、
3時間ほどの仕事だったが、
2、3日後に身体中が痛くなるだろう。


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私たちがいまの家に引っ越したとき、
かみさんと誓ったのは、
余分な物は絶対に買わない、
増やさない、
ということであった。


つまり、
物を置かずに、
できるだけ空間を広く取ることによって、
ゆったりとした気分を味わおう、
ということだった。


そうでなくても狭い日本の家屋は、
不要な家具や物を置いたらさらに狭くなり、
住みづらくなるのは目にみえている。


しかし、
12年も経つと、
知らないうちに家具が増えている。


もちろん、
分かっていて増やしているのだが、
時が経つと、
あたかも自分たちが知らない内に
増えてしまったかのような感じだ。


そのアメリカ人家族も、
まさに引越し膨張していた。


彼らは、
3年前まで私たちのすぐ近くに住んでいた。


アパートで、
部屋数も少なく、
家具も多くはなかった。


彼らは3年前、
山形に引っ越した。


アパートではなく、
大きな一軒家に入り、
十数部屋もあったそうだ。


物が増えるのはあたり前だ。


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今回その膨張した荷物を持って、
また、
私たちの近くに戻ってきた。


今度も一軒家だが、
十数部屋はない。


荷物を運びいれると、
足の踏み場もない。


整理するのが大変だ。


サラリーマンでも、
転勤の多い人はほんとうに大変だ。


物が増えるだけではなく、
家族の悩みも膨張することがある。


様々な問題が、
連鎖反応を起こすのである。


もうそろそろ日本のサラリーマンも認識すべきだ。


会社があって家族があるのではなく、
家族があって会社があるのだ、
ということを。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの317日目の記事である。

執筆年月日1999・03・21
ブログアップ日2014・03・23





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【 後 述 】

今の若い夫婦は家族在りき、
で生活の中心を
変えてきているような気がする。

それでも社会全体がその方向性を持っているか、
と言えば、
まだまだと言わざるを得ない。


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大合併、逼迫感のない拙作やリストラ策 [コラムエッセイ]



最近、
大企業同士が世界規模で合併を繰り広げている。


いわゆる大合併が、
日常茶飯に行われている。


そもそも合併とは、
サラリーマンにとって意義があるのだろうか。


たしかに倒産して、
路頭に迷ってしまうよりは救われるのかもしれないが、
合併によって、
サラリーマン人生が狂っていった人もいるだろう。


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特に吸収合併の場合、
吸収される方がたちいかなくなり合併するわけだ。


そうなると、
少なくとも吸収される側のサラリーマンは、
合併したからとはいえ、
心中穏やかではあるまい。


今までの職を追われたり、
最悪のケースでは解雇、
もしくは辞職せざるを得ない状況に追い込まれる。


それでは吸収した側のサラリーマンは安泰かといえば、
こちらも事と次第によっては、
早期退職勧告を受けたり、
合併しなければ及ばなかった、
失職の不安に脅えることとなる。


先日、
私どもの取引先である大企業が、
3月決算の予想を新聞に発表した。


数百億円の赤字を出すと報道された。


事情説明に伺いたい、
といって管理職クラスの方が、
私の会社を訪れた。


東証に提出した資料を淡々と説明された。


人員のリストラ策も併せて説明していたが、
説明している本人に逼迫感はなかった。


つい、
私は言ってしまった。


「ほんとうにそれで業績回復ができるのですか」、
と。


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翌日だったか、
経済新聞でも私と同様の指摘をした記事が載った。


どうしたのだろうか、
ここ最近の、
日本企業の政策を見ていると、
素人でも分かるくらいに拙策が多い。


大企業になればなるほど、
拙策なリストラ策ゆえに、
安堵しているサラリーマンが多いだろう。


個人も自立できない、
法人も自立できない、

必然的に国も自立できないわけだ。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの318日目の記事である。

執筆年月日1999・03・22
ブログアップ日2014・03・22





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【 後 述 】

最近は合併の在り方もだいぶ変わってきている。

しかし、
いつも矢面に立たされるのは、
一介のサラリーマンであろう。

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