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ゲーム機戦争、ソフトメーカーのビジネス戦争それ自体がゲームソフトになるんじゃないの [コラムエッセイ]

「ゲーム機戦争、ソフトメーカーのビジネス戦争
 それ自体がゲームソフトになるんじゃないの」


老舗プレイングカードメーカーの、
家庭用ゲーム機が発売されてから、
約20年くらい経つだろうか。


私は子供が小さいときに、
少しは一緒に遊んだこともあるが、
最近の機器に関してはまったく分からない。


ビジネスの立場からみると、
これらゲーム機器メーカー、
ソフトメーカーのビジネス戦争は、
それ自体がゲームソフトになるのではないか、
と思うほど激しい。


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過去2番手だったメーカーは、
2年連続の減収減益で、
1,000人のリストラに着手した。


まさにビジネスゲームを地でいったわけだ。


いまトップメーカーであっても、
いつも競合会社から追いまくられる立場にある。


それだけではなく、
末端の消費者にいつそっぽを向かれるかわからない、
という心配もある。


巨大なビジネスに成長したゲーム業界は、
非常に危うい部分を合わせ持っている。


嗜好的なビジネスは、
元々そういう部分を持つことは宿命だが、
特に激しいビジネスのひとつだろう。


益々エスカレートしてゆくハードとソフト。


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先日の、
アメリカデンバーでの乱射事件も、
ソフトの一部が影響しているのではないか、
などと報道もされていた。


米国で、
過去2年間に起こっている銃乱射事件の被害者から、
それらの関連企業が、
実際に訴訟を起こされてもいるようだ。


三次元CGが、
ゲーソフトの主流になるとき、
果たして現実と仮想の区別がつかなくなり、
犯罪だけでなく、
仮想行為や、
仮想恋愛などといった、
実体のない虚像の世界で、
満足感を得る青少年が増えてくるのではないか、
と心配である。


三次元ソフトの極度な発達で、
それこそ仮想的妄想に駆られて
戦争などが起こらないともいえない。


モラルが無機化して、
心が空洞化してゆくような気がしてならない。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの357日目の記事である。

執筆年月日1999・04・30
ブログアップ日2014・04・30





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【 後 述 】

いまや益々加速している感は否めない。

それも携帯の中ですべてを包含してしまっている。

通話料ではなく、
ゲームコンテンツ料に月数万円も支払うなどとは、
15年前ですら及びもつかなかったことである。

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みどりの日、天皇誕生日から改称されたこの日に行く森林公園 [コラムエッセイ]

「みどりの日、天皇誕生日から改称されたこの日に行く森林公園」


今日はみどりの日。


天皇誕生日からみどりの日へと、
名前が変わってから久しい。
改称は、
まさに的を得ていたような気がする。


私たち家族は、
いつものように武蔵丘陵森林公園へ行った。


文字通りみどりの日に相応しく、
緑の木々たちが、
夏の準備は整ったと、
全身で大空に主張しているようだった。


昨日降った雨も上がり、
木々を覆い尽くす青葉はさらに瑞々しさを増していた。


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下車駅から、
数キロ離れた公園まで歩いた。


道すがら空を仰ぐと、
青く抜ける様な空をキャンバスに、
むくむくした白い雲がくっきりと、
その輪郭をあらわしていた。


この日、
入園料は無料のため、
多くの人が来園する。


サイクリングに興ずる若者、
ふたりで歩く中年・老夫婦、
若い男女、
黄色い声も高らかに
自転車で走り去る小・中学生のグループ、
青空の下で、
むずかる子供を励ましながら歩く若い夫婦の親子連れ、
それはもう様々な人たちがきている。


それぞれ違った生活、
思い、ドラマを抱えているのだろうが、
くる人たちに共通している動機は、
自然の中で、
日常生活からの解放感を味わいたい、
たぶんこの一点、
といってもいいだろう。


みどりの木々、
新鮮な空気、
その中に広がる芝生。


昼食時、
すべてが最高の調味料になる。


大自然の中で食べる食事は、
海でも山でも美味しく感じるのはなぜだろうか。


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精神が落ち着くからか。


大自然の中で身体を動かし、
軽い疲労感があるからか。


つくづく思うのは、
このような環境で生活していたら、
間違いなく長生きするだろう、
ということだ。


私もこれからは長生きできる環境で、
できるだけ多くの作品を書きたい、
と思っている。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの356日目の記事である。

執筆年月日1999・04・29
ブログアップ日2014.04・29





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【 後 述 】

平成26年4月29日、
現在は「昭和の日」である。

祝日の名称は変わろうとも、
4月29日は、
4月29日である。

春から初夏への季節境である。

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極端な好き嫌い、意外といる信じがたい好き嫌い [コラムエッセイ]

「極端な好き嫌い」


世の中、
好き嫌いを持っている人は意外といるものだ。


それも信じ難いほど好きだったり、
嫌いだったり。


昨日同じフロアーで、
新入社員の歓迎会があった。


いい具合に酒もまわり始めたころ、
近くで飲んでいた他部署の部長が、
トマトの話題でとても困っていた。


彼はトマトが大嫌いだったのだ。


それも単なる好き嫌いというレベルではなく、
話を聞いていると、
本人には悪いが、
滑稽なほど嫌っている。


その話題ひとつで、
短編が書けるのではないかと思ったくらいだ。


皆からの「食べたことあるんですか」、
という質問には答えない。


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話題にすること自体が厭なのに、
食べるなどという、
動詞を使われるだけで吐き気をもよおすのか。


彼はいたたまれなくなり、
座をはずした。


酒の席だから、
トマト嫌いが酒の肴になった。


次に好きな例を挙げよう。


学生時代のことだ。


私は麻雀が好きで徹夜で興じたりもした。


必然的にプレイをしながら食事をとる。


メニューは手元で簡単に食べられるもの、
ということになる。


メンバーの一人がカレーライスをとった。


やおら手を挙げて、
雀荘のマスターを呼んだ。


常連客である彼のため、
マスターはすぐにソースを持ってきた。


トンカツ用の、とろみのあるソースだった。


彼は何を食べるにもソースだと言った。


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カレーにソース、
たまご焼きにもソース。


これらはごく一般的かもしれない。


驚いたのはトロにソースだった。


刺身を食べるのに、
とろみのきいたソースをかけるというのだ。


しかし、
好き嫌いも食べ物に終始するなら害もない。


これが、
対人関係になったら問題だ。


嫌いでも犯罪に及ぶし、
好きでもストーカーと呼ばれて、
犯罪にエスカレートする昨今だ。


なんでも極端は困ったものだ。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの721日目の記事である。

執筆年月日2000・04・28
ブログアップ日2014・04・28





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【 後 述 】

「過ぎたるはなお及ばざるが如し」

「薬も過ぎれば毒となる」

「分別過ぐれば愚に返る」

何事も中庸がだいじなようです。

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保証、耐久消費財の故障品はどこまでが無料修理なのか [コラムエッセイ]

「保証、耐久消費財の故障品はどこまでが無料修理なのか」


保証と一口にいっても、
様々な保証がある。


ここでは、
耐久消費財等についている、
無料修理について触れたい。


先日、
私のハンディカセットテープレコーダーを
修理に出した。


昨日直りましたという連絡を貰い、
本日会社の帰りに寄った。


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私は店の修理コーナーに行った。


商品を受け取り、
傍の長椅子に腰かけて、
戻ってきた修理品を、
チェックしていた。


前後して、
故障品を持って入ってきた男性がいた。


私が商品をチェックしていると、
修理コーナーで担当の女性と、
その男性が揉め始めた。


持参した故障品が保証の範囲である、
ないと言い争っていた。


男性は自然故障を言い張り、
女性は指摘された部分は自然故障の範囲ではない、
と言っている。


「どうしてもとおっしゃるならば、
 メーカーに出して見積もりをもらいます」

と女性が言うと、

男性は

「なんで無料なのに見積もりなんか取るんだ」

と譲らない。


たしかに保証の問題は、
現実に発生してみないと、
どこまでが有効なのか、
実際の範囲とはどこまでか、
範囲であっても満額の保証か否か、
分らない部分が結構ある。


法律用語で書かれたりしていると、
なおさら分かりづらくなる。


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私の仕事でも、
客先から入ったクレームの原因が、
資材などにあれば、
その取引先に保証を求める。


そんなとき、
契約書通りにやると、
実務面でぎくしゃくすることになる。


クレーム処理が上手にできれば一流、
といわれる所以は、
それほど難しいということなのだろう。


読者が作者に出すクレームは何か。


作者から読者への保証は何か。


おもしろくない本だといって、
返品されないのが、
作者にとっては良いのか、
悪いのか。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの354日目の記事である。

執筆年月日1999・04・27
ブログアップ日2014・04・27





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【 後 述 】

私たちは保証書がついていてもほとんどの場合、
注意して見ない。

壊れてからとか、
事故が起こってから、
初めて目を通すことの方が多いだろう。

できれば肝心なポイント、
つまり何年間の保証で、
それが切れるのはいつか、
どの程度までの保証なのか、
くらいは知っておいた方が良いかもしれない。

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駅にあるエレベーターの使い方から日本が見える [コラムエッセイ]

「駅にあるエレベーターの使い方から日本が見える」


私の最寄り駅は、
数年前に新しくなった。


階段を昇った二階に大きな改札がある。


階段の横にはエスカレーターが設置されている。


ホームの中央には、
エレベーターまで設置されている。


私はこのエレベーターを一度しか使用したことがない。


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3年前に岳父の古希の祝いでグァム島へ行った帰り、
大きな荷物を抱えていたので、
降り立ったホームから
二階の改札に出るため使用しただけだ。


エレベーターは、
車椅子に乗った人や高齢者、
大きな荷物を持った人などが使用するもの、
と思っているからだ。


しかし、
単なる通勤客たちが、
満員になるまで乗り込んで、
朝のラッシュアワーで使用している。


一体これは何なのだろうか。


そこにあるのだから利用しない方がおかしいよ、
という人は多いかもしれない。


何か最近の日本を象徴しているようだ。


景気が回復しないのも、
あらゆるところで不祥事が発生するのも、
あながち政府だけが悪いのでも、
不祥事を犯した人間だけが悪いのでも
ないように思えてくる。


各人が情けなさすぎるのではないだろうか。


あまりにもせわせわしすぎている。
自分のことだけしか考えない、
いまや日本人は先進諸国の中で、
一番みっともない国民に成り下がっているのではないか。


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私自身も猛省している今日このごろである。


たかがエレベーターのことで、
と思う人がいたとすれば、
それこそが塵である。


塵が積もり積もって山となり、
どうにもならない事態にまで発展してしまうのだ。


軽視した気持を一人が一瞬抱くならまだしも、
一億の人が数十年にも渡り積み重ねてきたら、
おかしくならない方が不思議だ。


一事が万事ともいう。


もうそろそろ、
多数決なら何をしても良いという意識は捨てよう。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの719日目の記事である。

執筆年月日2000・04・26
ブログアップ日2014・04・26





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【 後 述 】

皆でやれば怖くない。

この精神が事の善し悪しを無視してきた。

セクハラ、パワハラ、そしていじめ。

このような事をする連中は必ずつるんでいる。

単独ではできない。

何を隠そう、
怖いからに他ならないからである。

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おかずの魅力、意地汚い食いしん坊は・・・・・・ [コラムエッセイ]

「おかずの魅力、意地汚い食いしん坊は・・・・・・」


私は食いしん坊というよりも、
どちらかといえば意地汚い方かもしれない。


食べることに関しては、
未だにかみさんから注意を受けることがある。


むかし母親が、
寝起きの悪い私を起こすために、

「今朝は納豆だよ」

と声を掛けて起こしていた、
という時期もあったくらいだ。


私はおかずの納豆が好物であるから。


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かみさんもたまにこの戦法を使う。


朝、
玄関で私を見送るときに、

「晩ごはんは大きなエビフライだから、
昼食で食べないでね」

というわけである。


私は意地汚く、
おかずに弱いのである。


人生の中でも、
おかずの魅力に負けてしまうことはしばしばある。


バブルの真っ只中、
ほとんど日本中の企業は本業を忘れ、
美味しい身を滅ぼすようなおかずの魅力に取り憑かれた。


その後遺症はいまも続いている。


真面目に働いている国民の税金で、
膨大な損失補填をするなどという、
とんでもない事態である。


一種の犯罪である。


離婚が年々増えているのも、
おかずの魅力が、
主食を凌駕していることからくるのかもしれない。


毎日のことだから、
主客転倒することもあり、
自分の主食が何か分かったときはすでに遅く、
離婚という荒療治をされる。


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一夫多妻は、
主食とおかずが入り混じっている状態なのか。


とすれば、
ほんとうは最も現代的なのかもしれない。


しかし、
一婦多夫とは誰もいわない。


夫人が主食とおかずをたくさん、
などといったら、
男性は許せない、
と身勝手なことをいうのだろう。


何事も、
主食と副食をはっきりわきまえて、
賞味しなければならない。


副食は日替わりであるから美味しいのであって、
毎日同じおかずは食べないだろう。


というのが答えになるのかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの352日目の記事である。

執筆年月日1999・04・25
ブログアップ日2014・04・25




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【 後 述 】

おかずのことを惣菜という。

元々おかずは菜の物であった。

野菜である。

ごてごて油っぽくないのである。

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野心、サラリーマンに必要だろうか [コラムエッセイ]

「野心、サラリーマンに必要だろうか」


サラリーマンに、
野心は必要だろうか。


元々野心があったら、
その人はいずれサラリーマンでなくなるであろう。


サラリーマンとして、
ずっと野心を抱いているならば、
果ては会社の社長になることか。


私も、
男にとって野心はあって悪いものではない、
と考える方だが、
サラリーマンに徹する限り、
サラリーマン社会に野心を求めても、
あまり意味のないことではないか。


よしんば事成就して、
勤める会社の社長に上り詰めたとしよう。


それはあくまでも、
借りた器のサラリーマン社長にすぎない。


結局リタイアするまで野心が昇華しないまま、
燻った一生を送ることにもなりかねない。


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野心にも大小があるから、
ある線までいったら、
自分で納得して矛を納めるのも、
ひとつの方法かもしれない。


その方が、
まったく野心のない人よりも、
サラリーマン人生を引き締めてくれる可能性はある。


いずれにしても、
野心に縛られてしまうのは、
如何なものか。


狭いサラリーマン社会で、
出世だけを考えて行動する野心は、
哀しいくらい滑稽なときがある。


私も若いときは、
野心が芽生えては消え、
消えては芽生える、
ということを繰り返した時期があった。


結局は持久力と実行力に欠けており、
成就できないまま現在に至ってしまった、
というのが現実だ。


また、
野心は昇華してこそ意味があると思う。


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金儲けや、権力、
名誉欲だけで終わってしまうのは、
社会悪であって何の役にもたたない。


それらを得た後の在り方で、
悪性野心だったのか、
良性野心だったのかが判る。


現実には、
野心を成就する人ですら一握りしかいないのに、
さらに昇華する人など、ごくまれなのだろう。


私はもっぱら野心的な作品を書きたい。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの351日目の記事である。

執筆年月日1999・04・24
プログアップ日2014・04・24





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【 後 述 】

野心ばかりが先走りすると、
とんでもない結果になる。

まずは今の仕事に一意専心でいたいものである。

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銃社会アメリカ、銃乱射事件と「フリーズ!」 [コラムエッセイ]

「銃社会アメリカ」


先日アメリカのデンバーで起こった、
高校での銃乱射事件。


また再び銃社会アメリカの、
恥部をさらけ出す結果となった。


野蛮な国、
アメリカの印象は拭えない。


7年前、
日本の留学生が、
「フリーズ」の意味が分からず、
ハロウィンで訪れた家の主人に
ピストルで撃たれるという事件があった。


事件後、
親御さんはアメリカまで出向いて、
銃の取り締まりを訴えた記憶は
まだそれほど古びた出来事ではない。


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私はアメリカの歴史に詳しいわけでもなく、
西部劇を好んでみていた時代もあったくらいだ。


従って私の発言が的を得ているかどうか分からない。


ただ、
銃が凶器であることだけは、
紛れもない事実だ。


日本の歴史では秀吉が、
刀狩を400年以上も前に実施している。


アメリカと日本では武器をもつ意味も、
銃と刀、
形態もまったく異なるのであるが、
同じ凶器という点では何ら変わりない。


私がフィリッピンに出張したときだ。


取引先のブローカーが、
足のスネに皮のケースをつけ、
中に小銃を収めていた。


また、
代理店の社長は、
デスクの引き出しから銃を取り出し、私に見せた。


さながらギャング映画のようであった。


実際に私も、
本物の銃を撃った経験がある。


物凄い破壊力である。


あんなものを至近距離から撃たれたらひとたまりもない。


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小説などで、
撃ち抜くという表現をみるが、
使用する銃によっては、
肉など粉々に飛び散ってしまうほど
大きな破壊力なのだろう。


それでもアメリカは銃を持たなければならないのか。


日本で銃の所持がアメリカほど簡単だったら、
サラリーマン社会でも殺人事件や乱射事件が
発生していたと思う、
のは私だけであろうか。


何とかに刃物というが、
せいぜい何とかにペン、
くらいにしておけないだろうか。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの350日目の記事である。

執筆年月日1999・04・23
ブログアップ日2014・04・23





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【 後 述 】

人間の罪深さは国が変わってもそれほど変わらない。

ならば手の届くところに凶器を置かないのが、
その罪深さを防ぐ最良の方法であろう。

何故なら、
あれば使いたくなるのが人情であるからだ。

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サラリーマンたられば物語 [コラムエッセイ]

「サラリーマンたられば物語」


わたしはどちらかといえば、
たられば感覚の強い男である。


もし一億五千万円当たったら
私が社長だったら
私にたくさんの才能でもあれば
あと十歳若ければ、等々。


「たらればはいうな」
とはよく聞く言葉だ。


言い訳の理由に使われたり、
まったく現実からかけ離れた夢物語をいっている場合に、
戒めにいうのだろう。


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営業成績が悪かったり、
現代のように景気がなかなか回復しないとき、
セールスなどはこういう言い方をする。


「こんなに不景気じゃなかったら
 もっと成績も上げられるのに」


「おれだって社長の権限があれば
 あんなこと簡単にできるさ」


「今年の夏がもっと暑かったら
 たくさん売れたのに」


「もっと早く新製品を出してくれれば・・・・・・」


「もっと給料をくれれば・・・・・・」


きりがない。


これらの共通点は、
自分以外の事由に責任転嫁していることである。


後ろ向きな、
発展性のない心構えである。


しかし、
サラリーマンを解放されたいのなら、
むしろたらればを積極的に利用すべきだと
私は思っている。


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もし私が作家になったら・・・・・・。


もし、ハワイに住めれば・・・・・・。


2年でサラリーマンから解放されたら・・・・・・。


満員電車から解放されたら・・・・・・。


もし、芥川賞が獲れたら・・・・・・。


せめて直木賞が獲れれば・・・・・・。


このたらればは、楽しい。


励みになる。


前向きなたらればは、
サラリーマンから解放されたいと願っている人には、
必要不可欠なものである。


飽きっぽい私が永く継続できるのも、
たらればを強烈な薬味にしているからだ。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの349日目の記事である。

執筆年月日1999・04・22
ブログアップ日2014・04・22





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【 後 述 】

しかし、
長期間たらればだけを言っていると、
誰も相手にしてくれなくなることも
知っておく必要があるかもしれない。

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がんばれ、50代! 気が付いてみたら、あら、100歳じゃないか、と言おう! [コラムエッセイ]

「がんばれ、50代! 気が付いてみたら、あら、100歳じゃないか、と言おう!」


私は昭和25年の早生まれである。


24年生まれの人と同学年で、
団塊世代の端にぶら下がっている。


つまり今年の初め、
50歳になってしまったのだ。


本日の朝刊で、
「厚生省の人口動態統計月報(概数)によると、
昨年1999年の自殺者は、
50代が過去最悪のペースになっている」、
と報じている。


記事は、
倒産やリストラの波をまともにかぶる50代の、
「経済・生活問題」や
「勤務問題」を苦にした自殺が多く、
不況が暗い影を落としている、
と分析している。


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私も団塊世代のはしくれとして、
ほんとうにそれだけなのか、
と考えてみた。


私たちの世代は競争に明け暮れてきた。


このことは既述したし、
ごく一般的にも言われている。


同世代の人口が多い、
ということからも必然的にそうなってしまうのは分かる。


競争で揉まれてきたはずなのに、
意外と脆さを持っている世代でもあるのだろう。


50年も人生をやってくると、
路線にそって走っていないと、
脆さを露呈してしまう。


地下鉄事故ではないが、
脱線したら死者は出る。


そして悪いことに、
それほどのことでなくてもすぐに脱線してしまう。


自立をしているようでも実際は、
幼児的精神が生活の節々に出てきてしまう。


重圧に耐え切れなくなってしまっている。


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意外と没個性人間のほうが多いかもしれない。


徐々に疲れもみえ始め、
「むかしは人生50年って言ったよな」
などと、
変なことは良く知っていたりする。


そんなこといわずに、
がんばれ! 50代。


これからがほんとうのあなたの人生だ。


良いこともあるさ、
厭なこと、
悪いこともあるよ。


それが人生だろ。


楽しまなくちゃあ。


良いも悪いもみんないっしょくたで。


人生のやり直しは死ぬまでいくらでもきく。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの714日目の記事である。

執筆年月日2000・04・21
ブログアップ日2014・04・21




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【 後 述 】

今年私は64歳になった。

人生まだまだこれからだ。

気が付いてみたら、
あら、100歳じゃないか!

と言えるような人生にしようではないか!

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