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日焼け、猛暑がすべてを凌駕しても恋しい太陽 [コラムエッセイ]



ここ一週間、
暑い毎日が続いている。


暑いというようなものではなく、
めちゃくちゃなのだ。


日中35度が一週間も続き、
夜も25度から下に落ちない。


寝苦しいわ、
朝けだるいわ、
で、どうしようもない。


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海を遥かに越えたアメリカでも猛暑が続き、
クーラーのついていない家庭で、
老人が20人以上亡くなった。


そんなニュースも流れてきている。


私は、
昼間はエアコンが利いたオフィスの中にいるため、
さほど暑さは感じない。


昼食時外に出ると、
不健康な暑さを感じる。


むかし感じた自然の暑さではなく、
現代文明が吐き出す、
熱気の入り交じった、
作られた暑さを感じてしまう。


帰宅するやいなや、
書斎のクーラーにスイッチを入れ、
シャワーを浴び、
エアコンが利いた居間で夕食を摂る。


その間約一時間、
書斎のクーラーはつけたままにしておく。


食後、
もう充分に冷えていると期待してドアを開ける。


しかしあまり冷えていない。


それほど暑いのだ。


従って日中の陽射しは強烈で、
肌の弱い私には、
細い針が刺し込んでくるように痛い。


若いころ、
私は一年中、
生の太陽に身を曝し、
湘南や千葉の海でサーフィンをしていたので、
いつも真っ黒に日焼けしていた。


しかしもうやれることではないな、
と充分に納得させられるいまの太陽だ。


そんな太陽光に肌身を曝したら、
火ぶくれのようになり、
下手すると生命にもかかわるだろう。


日焼けもゆっくりと、
こんがりと焼くしかない。


それでも肌にダメージはある。


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何事にも急激なのは良くない。


陽射しの受け入れ方も年齢に応じて異なって当然だろう。


長袖、
長ズボン、
あるいは日傘をさしてまで、
人間は太陽からの恩恵にあやかりたいと願う。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの449日目の記事である。

執筆年月日1999・07・31
ブログアップ日 2014・07・31





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【後 述】

今年の夏は
当時を再現している。

この異常気象は既に
15年前からのものであることを
再認識し、
今更のように驚くばかりである。

睡眠時間と眠気、できれば午後に30分の昼寝をしたい [コラムエッセイ]



サラリーマンの平均睡眠時間は、
どのくらいだろう。


私は、平日は5~6時間、
休日は7~8時間くらいだ。


仕事中、
特に昼食後、
話を聞く立場だと非常に眠い。


いわゆる睡魔がおそってくるというような、
生易しいものではない。


半分は仕事中なので眠れないという強い意識、
もう半分はそれでも眠ってやるという積極的な意識。


相反する意識が相乗効果を出し、
凄まじい眠気になる。


端から見ても眠っていると判ってしまうのを、
充分に意識しながら、
一瞬眠ってしまう。


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しかし自分が話をしなければならない立場にあると、
積極的な眠気は影をひそめる。


誰かが止まっていると腐ってくる、
というような意味のことを言っていた。


つまり、
生き物はすべて常に活動していないと、
物は常に回転していないと腐ってしまう、
ということらしい。


たしかにそういう意味からすると、
自分が聞く立場にいて受け身で聞いていると、
眠くなるのはあたり前か。


ただ聞く立場にいても、
積極的に聞く心構えを持っていれば、
眠くならないかもしれないとも思うのだが。


基本的には睡眠時間の絶対量が少ないのだろう。


しかし、
平日に8時間も寝ていたら、
それこそエッセイひとつ書けない。


とても物書きになることなどできない。


私の信念として、
物書きになるのは情熱と継続する力、
書く訓練・努力だから。


私はコツコツと絶え間なく書くことが、
才能を呼び起こし、
取り敢えず食べることのできるレベルに
身を置いてくれると信じている。


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私のようなサラリーマンには、
時間が必要になる。


必然的に睡眠時間が少なくなる。


昨晩から早く寝ることにした。


いま朝の五時。


これを書いたら、
ウォーキングだ。


早寝早起きの方が昼間眠くならないかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの69日目の記事である。

執筆年月日1998・07・16
ブログアップ日 2014・07・31





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【後 述】

自然の法則から言えば、
人間も午後に30分程度の
昼寝をするように造られているらしい。

しかし、
サラリーマンであれば、
現実的にそんなことはできない。

いつかそのような生活をしたいな、
と強く願っている。

メモの重要性、書く為の一粒のコメである [コラムエッセイ]



以前に、
書く材料である閃きを逃さないようにメモをとる」で、
メモをとるのが、
作家になる最短の道などと書いた。


一年以上経っても何の成果も出していない。


成果を上げられない理由は非常に単純明快だ。


メモをとっていないからにすぎない。


まったく努力をしていないので、
成果が出るはずもない。


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正直なもので、
メモを半ば諦めたころから、
アイデアも少なくなっていった。


やはり人間は生来なまけ者にできているのだろう。


しかしいま改めて、
メモの重要性を感じている。


私が毎日こうして文章を書くのと同じくらい、
重要なことなのかもしれない。


何しろメモの習慣をつけなくてはならない。


一日5つくらいのメモをとらなければ、
絶え間のないアイデアなど生まれないだろう。


私のような基本的にはごく平凡な人間は、
元々独創力には限界がある。


それを何とか食べられるレベルにまで、
高めようとしているわけだ。


皆と同じ生活をしていたら、
何も変わらない。


メモしまくるくらいの覚悟がなくては、
道は開かれないだろう。


寝床でも、
電車の中でも、
何としてもメモる方法を考え、
対処するしかないだろう。


かしこまって、
ネタを考え、
メモをとるのでは、
忙しいサラリーマンをやりながら
作家の仕事などできるわけがない。


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どんなに眠くても、
混んでいても、
アイデアが出たらすぐにメモる
くらいの気構えを持たないと、
いつも、
〈あ! あれはおれのアイデアだ〉、
という後悔を何度も繰り返すことになる。


アイデアにおいては、
後悔先に立たずという経験を、
かつて何回かしたことがあった。


小説はアイデアさえ醸成すれば、
とろーりとした、
芳醇な酒をつくるのに設備はいらない。


その原料は米、
すなわちメモである。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの815日目の記事である。

執筆年月日2000・07・31
ブログアップ日 2014・07・31





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【後 述】

この習慣は
なかなか徹底できないものである。

今、再びメモも重要性を
再認識しているところである。

残してゆく人・残される人、家族は一緒が一番いい [コラムエッセイ]



かみさんが本日、
アメリカへ旅立った。


初めての海外ひとり旅だが、
現地には友人もいることだし、
心配することもあるまい。


彼女が一週間以上家を空けるのは、
結婚以来初めてだ。


娘も大きくなったので、
といっても、
まったく家事などやったこともないので、
どうなることやら。


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10年前まで、
私は海外事業部に所属していた関係で、
始終海外出張をしていた。


一週間以上家を空けることも多かった。


夫婦間のことでいえば、
私が海外出張をするときは、
「頼んだぞ」の一言で、
出かけたものだ。


つまり家に彼女を残していった。


私は(妻を)残してゆく人、
だったのだ。


今度は、
彼女が私と娘を残していった。


私は(妻から)残される人、
になってしまったのだ。


この両極はまったく違う感覚だ。


ひとりで出かける方が気楽だし、
残される方は、
心配だし、
寂しい。


私は仕事とはいえ、
よく海外出張をしていた。


ということは、
彼女にいつも寂しい思いをさせていたのだな、
と改めて感じた。


成田へ向かう列車で彼女にそう言うと、
「そうだったのよ、いつも寂しかったわ」
とあっさり返してきた。


そして、
今回は彼女が(夫を)残していく人になったわけだが、
ひとり旅という不安もあって、
一週間私と会えないのは寂しい、
といいながら機上の人となった。


やはり旅は家族で行くのが一番だ。


残してゆく人になるのも、
残される人になるのも、
好ましくないことだろう。


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どんなに通信技術が発達しようとも、
家族が、
特に夫婦が離れ離れで良いはずがない。


夫婦のコミュニケーションは、
大げさに言えば互いの魂を通わす作業だ。


映像や文字だけですむはずがない、
と私は思うのだが。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの814日目の記事である。

執筆年月日2000・07・30
ブログアップ日 2014・07・30





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【後 述】

確かに
パソコンやネットが進み
コミュニケーションが
楽に簡単にできるようにはなった。

しかし、
そのおかげで
変なコミュニケーションルールが生まれ、
心の通わないコミュニケーションが増え、
その被害にあっている人も
多いのではないか。

肥満(ひまん)体、痩身(そうしん)体ではなく、自然(しぜん)体 [コラムエッセイ]



昨日から泊まり掛けで人間ドックに入院し、
今朝すべての検査が終了した。


正式な結果は文書で郵送されてくるが、
担当の医師から大雑把な所見を聞かされて
退院することになっている。


「やや太り気味です」が、
第一声だった。


自分でも思いあたる節があった。


夕食を少し摂りすぎていやしないか、
身体が少し重くなっていないか、
などと最近感じていた。


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しかしここ半年、
徐々にストレッチ体操を始め、
いまでは約30分かけている。


筋力体操も加えてきており、
身体が重く感じても、
動きの中で負担は感じていない。


ストレッチと筋力体操の効果は、
出てきていることになる。


なぜなら、
体重が以前と変わっていなければ、
逆に身体が軽く感じていたかもしれないから。


いずれにしても先生から、
やや太り気味と注意を受けた以上、
気をつけなければならない。


毎朝のストレッチと、
週に3回ていどウォーキングができれば、
体重も軽くなり、
いまの食生活を変えずにすむだろう。


肥満といえば、いまの日本社会はあらゆる面で肥満体だ、
といっても過言ではないだろう。


いち早くそれを感じた民間企業は、
10年前あたりからリストラを始めた。


しかし間に合わず、
倒産した企業も出た。


それでもなお、
大企業や官庁では思うようにリストラが進まず、
時をいたずらにすごしているようだ。


人間の身体は余分なエネルギーを摂取したら、
消費すればいい。


もしくは必要以上のエネルギーを摂らなければいい。


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組織は余分な人材に対し、
ただ切り捨てるだけで対応している。


余分なエネルギーを上手に燃やす努力など、
ほとんどしていない。


燃やし方も考えられない経営トップは、
その存在自体が悪玉コレステロールになる。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの428日目の記事である。

執筆年月日1999・07・10
ブログアップ日 2014・07・30





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【後 述】

肥満(ひまん:こえぶとり)と
痩身(そうしん:やせたからだ)の
どちらが良いかと聞かれたら、
あなたならどちらを選びますか?

わたしはどちらも結構です
と答えるだろう。

心身ともに
自然体が一番良い。

パソコン、いまやサラリーマンの必須道具だ [コラムエッセイ]



いまや多くの会社でパソコンは使われている。


サラリーマンもパソコンを使用できなくては、
仕事にならない。


私は、
元々タイプライターを叩いていたので、
パソコンにほとんど抵抗はなかった。


キーは一緒だし、
ワープロも使えたので、
パソコンで会社が厭になることはなかった。


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また原稿を書くときも、
パソコンのワープロ機能によって書いている。


手書きだったら、
物書きになろうとしたかどうかさえ、
疑問である。


もう私とパソコンは、
切っても切れない関係になっている。


現代のサラリーマンにとって、
パソコンを使えるのは、
必須条件になっている。


つまり、
パソコンを使えない人は使い物にならない、
とまで考えられている風潮がある。


オフィスでパソコンが使われ始めたころ、
われわれ管理職の中には、
そんなもの部下にやらせればいいと考えている者がいた。


しかし、
今や重役だろうと、
社長だろうと、
パソコンのひとつやふたつ、
動かせないと部下からも馬鹿にされてしまう。


私がパソコンを購入したのは、
去年の12月だ。


会社支援の通信教育を受講するときに買った。


会社が一部負担をしてくれたものの、
やはり、
まだまだ私には高価なもの、
というイメージは拭えない。


しかし、
今本当に感謝しているのは、
パソコンがどれほど書くことに役立っているか、
計りしれないことだ。


パソコンで書いていると、
色々な面で便利であり、
器械と指先以外何もいらない。


原稿用紙もいらないし、
消しゴムも、鉛筆もいらない。


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文章校正もある程度はしてくれるし、
とても推敲に便利なことだ。


ただ一番怖いのは、
停電や器械の故障だ。


一瞬にしてすべてがなくなり、
取り返しのつかないことになった。


明日、
修理のため、
わが家に技術者が来る。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの83日目の記事である。

執筆年月日1998・07・30
ブログアップ日 2014・07・30





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【後 述】

しかし
この16年の間に
パソコンはとてつもない
スピードで進化した。

同時にパソコンが引き起こす
様々な事件や悪影響も
猛烈な勢いで増え、
複雑化している。

定期、サラリーマンであることの証明書 [コラムエッセイ]



サラリーマンの手ばなせない道具に、
定期券がある。


もちろん、
電車やバスの定期券だ。


ある意味ではこれを持っている限り、
サラリーマン生活から脱却できない、
証明書のような物かもしれない。


地方でサラリーマン生活をしていると、
交通機関は、電車、バスだけでなく、
自家用車や会社の車で通勤することもできる。


つまり証明書を持たないですむこともありうる。


また営業マンも、
商用車などの利用ができ、
証明書を持たないでもすむ。


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しかし、
歩いていける距離に会社のない、
すべてのサラリーマンは、
支給される交通費で生活を確実に縛られている。


私は会社から、
毎月ではなく、
半年分まとめて定期代を支給されている。


経費節減の措置だ。


定期券を買うとき、
また半年間縛られるのかという思いが募る。


定期券の購入は、
申込書を書いて、
駅の窓口に提出する。


そして真新しい定期券をもらう。


申込書はあたかも、
会社と更新した半年間の誓約書で、
出された定期券は、
まるで互いに交わした契約書でもあるようだ。


そこまで考える余裕もないのが、
ほとんどのサラリーマンだろう。


あたりまえのように定期券を手にし、
あたりまえのように満員電車に揺られている。


電車で片道一時間以上もかけて通う生活に、
なんの疑問も抱かずにいるのは、
やはり正常ではない何かを感じる。


一極集中で、
東京という大都会に集まる夥しい人間たち。


その中で定期券で会社に通うサラリーマン。


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敗戦後53年経った。


今は不景気とはいえ、
経済大国にもなりえた。


それを成し遂げたのは、
一国の首相でも、
大会社の社長でもない。


私たち、
一介のサラリーマンなのだ。


その親であり、
その子らだ。


そろそろ自我に目覚めようではないか。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの82日目の記事である。

執筆年月日1998・07・29
ブログアップ日 2014・07・29





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【後 述】

今では
その定期券ですら
その面影もなく
カードに変わってしまっている。

サラリーマンも
その所持品によって
その存在を確認できるようなものは
少なくなってしまったのか。

ゴキブリ、人のいるところにはどこにでもいる [コラムエッセイ]


ゆったりと本を読みたかった私は、
各駅停車に乗った。


しかし乗り継ぎ駅で停車したまま、
準急や急行をやりすごすので遅い。


それでも暑い中、
汗ばむ肌をつけ合いながら、
文庫本もひらけない状態よりは随分と精神衛生上良い。


二つ目の乗り継ぎ駅で、
私は座ることができた。


腰をおろし、
雑誌をひらき目をやると、
雑誌越しの床上に、
小さく黒いものが見えた。


私は老眼鏡を外し、
それが何か確認しようとした。


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対面に座っていた女子高生とおばさんの視線が、
すばしっこく動く黒いものに集中した。


黒光りする虫のデビル、
ゴキブリであった。


二人とも後は見て見ぬふり。


できるだけ自分の方にこないで欲しいという感じだった。


ゴキブリは素早い動きで、
まだ気づいていない紳士がはいている、
靴の後ろに隠れた。


もう20年以上も前のことになるが、
得意先の人が、
東南アジアのある国へ行ったときの話をしよう。


暑いなか、
現地の取引先を回り終え、
やっとホテルに戻った。


彼は自分で貿易会社を始めたばかりで、
良いホテルには泊まれなかった。


ビールを飲む前に一汗流そうと思い、
バスルームのドアを開けた。


瞬間、
彼は思ったそうだ。
なぜここだけが豪華な大理石なのか、
と。


黒光りしているタイルに彼の右足を落とすと、
親指の先から白いタイルに変わって行った。


本当の色が出てきたのだ。


黒い大理石のタイルは、
単なるゴキブリの群れだった、
というわけだ。


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笑えない笑い話だが、
心臓の弱い人であったら、
倒れてしまうだろう。


ゴキブリは、
雑草の如く逞しい。


一説によると、
人間よりもずっと歴史があり、
生命力もあるそうだ。


それでもあまり親しみはもてないが。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの447日目の記事である。

執筆年月日1999・07・29
ブログアップ日 2014・07・29





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【後 述】

ゴキブリはどこにでもいる。

人が生活をしているところには。

それが彼らの生きる糧を得る
最善の場所であるから。

お客様相談、最終消費者サービスに従事する者のストレス [コラムエッセイ]



企業には、
消費者センター、
お客様相談室と、
名称は様々だが、
最終消費者に対するサービス部署が在り、
近年特に増えている。


部署の役割は、
会社が販売している製品やサービスに対し、
消費者から様々な声を聞き、
それに対応、もしくは今後の製品開発や、
サービスに役立てようとするものである。


その実態は、
小説になるような話が多い、
と聞く。


取引先の、
コンシューマーサービス部長からよく話を聞くが、
非常に面白い。


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消費者の言動もさることながら、
自社内での、
幹部の対応、
判断、決断の面白さだ。


まさしく小説になりそうな、
想像力を掻き立てる話だ。


いずれ、私も書いてみたいな、
という計画はある。


昨日もその部長と昼食を共にしたが、
彼は近頃怒りっぽくなった、
と言っていた。


普段冷静な方で、
だからこそ役目が勤まるのだろうが、
最近役員と口喧嘩をする機会が多くなった、
という。


彼は先日受けた人間ドッグの検査で、
医者から注意を受けたらしい。


過労死になる兆候あり、
と。


検査結果をみないと、
はっきりとは言えないが、
あまり芳しくない結果であれば、
現職をおろしてもらおうと思っている、
とも話していた。


それだけストレスが多い職種なのだ。


消費者からのクレームが、
最たる原因だろうが、
必ず会社幹部と板挟みになるので、
不眠症になったり、
神経が集中できない神経症になったりもするようだ。


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それでもまだ、
会社が相応の待遇でもすれば違うのだろうが、
社内的にもあまり歓迎されない部署らしい。


それこそ自分の健康状態や精神状態を、
誰かに相談しなければ死んでしまうよ、
と嘆いていた。


彼は定年まであと9年ある。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。

当時サラリーマンであった私が作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの813日目の記事である。

執筆年月日2000・07・29
ブログアップ日 2014・07・29





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【後 述】

「お客様は神様です」
と言われてから久しいが、
実際にお客様の声を反映させるには
それ相当の説得を
社内的にもしなければならない。

しかし相変わらずの
多数決の原理は、
お客様からのクレームさえも、
ややもすると、
実際の犠牲者でも出ない限り、
知らん顔を決め込む。

昔も今も
相変わらずのそういう姿勢に
何をかいわんや、である。

嘉納伝助かっこ良すぎ!「花子とアン」今日の主役 [テレビ番組]


NHK連続テレビ小説「花子とアン」の
今日の主役は、
嘉納伝助だ。


ドラマは、

嘉納伝助がみそめ結婚した
葉山伯爵の妹・蓮子が帝大生と不倫をし、
花子の実家に身を寄せ逃走したが、
兄に強引に連れ戻された。


そのことを聞きつけた
嘉納伝助の下で働く
生きのいい者たちが、
葉山邸へとなだれ込み、
兄にその後始末を迫っていた。


そこへ現れた嘉納伝助は、
葉山伯爵に部下たちの無礼をわびた。


すると蓮子の兄は、
金策の為に嫁がせた蓮子の不倫をわびるため、
彼女を尼寺へ行かせるために髪を下ろさせた、
と言って下ろした髪を嘉納伝助に見せた。


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嘉納伝助は、
下ろされた蓮子の髪にはあまり関心を示さず、
「赤ん坊は生まれたとね?」
と蓮子の兄に聞いた。


「あ!? はい」
と気まずそうに答えた兄。


するとおとなしくしていた生きのいい連中が、
再び蓮子の兄の胸ぐらをつかみ、
大声でその非を攻め立てた。


ここからがかっこいいのだ!


「いーか! よーく聞け!」


嘉納伝助の淀みのない、
それでいて抑えの利いた声が澄み渡った。


「蓮子のこつはこれで終(しま)いにする」


「あいつは、この嘉納伝助が一度はほれて
 嫁にした女やき、手出しする奴がおったら
 俺がただじゃおかんぞ」


そして最後の締め言葉だ。


「末代までも、ひとことの弁明も無用!」


こりゃ、かっこ良すぎだぜぃ。


むかし風に言えば、
あまりにも芝居じみて、
そうと分かっていても
かっこいーって思ってしまうシーンだった。


まさに今日の「花子とアン」の主役と言える。


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このけじめの良さは、
たしかに見ている者にとって
非常に気持ちの良いものであるが、
実はそうする嘉納伝助自身にとっても
とても清々しいことなのである。


今日の主役になるまでに、
嘉納伝助は見苦しく、
未練たらしく蓮子を追い回した。


ねちこく徹底的に彼女を追い詰めるつもりでいた。


しかし、
ここでキッチリとけじめをつけることによって
自分自身を救うことになったのだ。


人生において
このような場面は誰にでもあると思う。


その時、
どこでけじめをつけるかが、
その後の人生に大きく影響してくるのである。




ブログアップ日 2014・07・28




【関連記事】
嘉納伝助の負け?「花子とアン」今日の主役

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