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ネット・ドリーム、簡単に儲かるビジネスはない [コラムエッセイ]



最近、
インターネットの商売がよく取りざたされる。


素人でも簡単に、
すぐできそうな錯覚をする報道を
目にすることもある。


実際はどうなのだろう。


販売行為を、
インターネットのホームページが
やってくれる、
ということになれば、
営業マンは要らない。


その分を安く、
または利益を多くとれるわけだから、
うまみはあるように思える。


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やるなら今なのかもしれない。


将来、販売の形態がほとんど
インターネットになってしまってからでは、
条件的には妙味が薄くなるのはあたり前だ。


今なら様々な形態の小売が存在する中で、
インターネットで商売するわけだから、
新しくもあり、
消費者の興味もひくことになる。


営業マンの代わりが
ホームページだとするならば、
後はデリバリーの問題になってくる。


販売後のデリバリーが不完全だと、
商品品質以前の問題になってくるからだ。


特に無店舗販売は、
確実に消費者が満足できる
届け方をしなければリピートはない、
と考えるべきだ。


それらが完璧にでき、
消費者が納得できる商品ならば、
ある程度は売れるのではないか。


資金が少なくて済む、
という謳い文句も
軽はずみに陥りやすいところだ。


たしかに成功している人もいるだろう。


しかしほんの僅かな人たちだ。


やる人ほとんどが成功すれば、
日本の経済はもうとっくに
回復しているはずだ。


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ただ、工夫次第では、
それこそ大企業を凌ぐ販売もできる。


知恵さえあれば、
少ない資金で大成功を収めることも可能だ。


アメリカン・ドリームならぬ
ネット・ドリームだ。


いまや小説でさえ、
ネットを利用して
販売や製本までする時代になっている。


ネットで世界に小説を発信したいものだ。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
876日目の記事である。

執筆年月日2000・09・30
ブログアップ日 2014・09・30





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【後 述】

この14年の間に
前述したとおり大企業になった
ネット関連ビジネスもある。

しかしいつの時代にも
先のビジネスをあおり、
それに乗せられた者が金を放出し、
あおった者がその利を得る図式は、
相変わらずである。

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雨男、一般的には晴天が好ましいのか? [コラムエッセイ]



雨男と晴れ女がいる。


私は前者であり、
かみさんは後者だ。


例えば用事ができて、
急に出かけなければならなくなったとしよう。


私が家なり会社を出ようとするころには、
ポツポツと雨は降り始める。


雨男の所以だ。


従って部下も私と一緒に出たがらない。


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つまり雨はだれも厭なのだ。


成人で
雨好きな人はそれほど多くはないだろう。


一般的には
晴天が好ましいと思っているのだろうから。


ただし私とかみさんが一緒に外出すれば、
ほとんど雨にふられないで済む。


晴れ女である彼女の方が優っている。


雨と晴とどちらが優っているのだろうか。


しっかりしたデータはないが、
雨よりも晴の方が多いように感じる。


たしかに梅雨時は雨の日が多いだろうが、
一年を通しては晴の日が多いだろう。


ということは、
晴が優っているのだろうか。


しかし雨にふってもらわなくても
困るわけだから、
どちらが優っているなどというのも
ナンセンスか。


サラリーマンにとって雨は厭なものだ。


特に満員電車では、
ほとんどの人が濡れた傘を乗客に向けて持ち、
滴で他人の服を平気で濡らしている。


寒いときなどは、
いたたまれないほどの冷たさが、
衣服から肌に沁み込んでくる。


そこで私は、
スーパーの入口などに置いてある、
ポリエチレン製の傘入れを持ち歩き、
それに入れて乗車する。


折りたたみ式の傘ならば、
そのままカバンに入ってしまう。


他の乗客に迷惑をかけないように、
という思いからである。


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皆がそうしてくれると、
厭な気分も少しは解消すると思う。


雨男は自己責任のように、
いつも雨に気をつかっている。


雨の日を少しでも快適に過ごしたければ、
少々の努力はしなければならない。


雨男の仁義だ。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
875日目の記事である。

執筆年月日2000・09・29
ブログアップ日 2014・09・29





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【後 述】

しかし
今年は雨の多い年であった。

それも必要以上を遥かに超えた
量であった。

逆に晴れの日は、
暑さが必要以上に募り、
この夏を乗り切るのは
かなり大変だった人も
おられるであろう。

何事も極端は、
ありがたくないですね。

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マッサン、そのヒロインのモデルは [テレビ番組]


「花子とアン」の後を引き継いで
明日から始まる
「マッサン」。


NHK連続テレビ小説
「マッサン」の
ヒロイン亀山エリー
のモデルになったのは、

ニッカウヰスキーの創設者、
竹鶴政孝さんの妻、

リタと呼ばれた
ジェシー・ロベールタ・カウンさんである。


日本でもウィスキーと言えば
スコッチウィスキーと言うように
スコットランド産のものを
愛飲する人が多い。

scot01.jpg

彼女は、
そのスコットランドの
出身である。


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ニッカウヰスキー創始者、
竹鶴政孝さんが
大阪の「摂津酒造」からスコットランドに
派遣されたのは、
大正7年、
彼が24歳の時である。


その後3年の現地修業を終え、
帰国した時には

この「マッサン」の
ヒロインとなる
リタさん(「マッサン」ではエリー)
を伴っていた。


それから竹鶴政孝さん(マッサン)は
同じ大阪にあった
「寿屋(今のサントリー)」に移籍し、
国内初のウィスキー蒸留工場を建設した。


さらに彼は神奈川県横浜市のビール工場に
工場長として赴任させられたが、
彼に何の連絡もなく、突然
寿屋はそのビール工場を売却した。


竹鶴政孝さん(マッサン)は、
寿屋との契約10年が経過したことから
寿屋を退社し、

彼が当初から製造工場は
スコットランドに似た風土の
地にすべきだと考えていた

北海道余市町でウィスキー製造
開始を決意し移った。

scot05.jpg

余市町では当初
リンゴジュース造りをしていた。


その頃に妻リタ(「マッサン」ではエリー)を
呼び寄せる。


その5年後に余市で製造した
最初のウィスキーを発売するに至った。


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この時代、
全く知識すらなかったであろう異国の地、
日本へ嫁ぐのは
並大抵のことではなかったろう。


同様にこの
NHK連続テレビ小説
「マッサン」のヒロイン役

亀山エリーを演ずる
シャーロット・ケイト・フォックスさんも、

日本語もほとんど分からずに
亀山エリーの役をスタートさせた。


彼女にとっては悪条件が

モデルとなったリタさんと
重なるところがあり、

まさにドラマに合った
キャスティングであろう。


明日からの放送が楽しみである。




執筆年月日2014・09・28





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タグ:マッサン
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運命と無感動、与えられたものを受け容れる [コラムエッセイ]



出張して、
近鉄電車に乗った。


何年ぶりだったろうか。


昼下がりなのですいていた。


前の長椅子に座った親子が、
楽しげに話をしていた。


小学一年生くらいの少女は、
座席の上に膝をつき、
外の景色をみながら母親と喋っていた。


私は、
車内いっぱいに射し込む秋の陽射しを着て、
電車と線路の枕木が奏でるリズムに合わせ、
安らかにまどろんでいた。


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母親は、
話に飽きた少女の身体を支え、
通路側に反らせるようにしてふざけ始めた。


面白がった少女は、
もっとやれ、とせがんだ。


何度となくのけ反った少女の顔が、
さかさに見えた。


私は特別それを気にするでもなく見ていた。


ドキッとした。


片眼がないのである。


私は独りで慌てた。


それから親子は楽しそうに遊び、
母親が小言を言ったり、
少女が反発したりして、
次の駅で降りていった。


一瞬たじろいだ私が恥ずかしかった。


自分の運命を自然に受け止めることは、
口で言うほど簡単だとは思わない。


ましてや、
一般的に不幸と思われているものに対しては、
なおさらだろう。


しかし、
むかしと比べれば、
親も子も前向きに取り組んでいるようだ。


隠さず人前に出て、
運命に一生つきあおうと、
真正面から対峙しているようにみえた。


人間が生きて行くのは厳しいことだ。


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それでも生きて行かなければならないのか、
と思うこともある。


楽しく愉快なことは少ない、
という人の方が多いかもしれない。


もしくはあまり辛い、
厳しいと考えないようにして、
日々のんべんだらりと過ごしてきた結果、
すべてに無感動になってしまったか。


人間にとって、
無感動で生きるのは、
運命を背負って生きる以上に
辛いかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
874日目の記事である。

執筆年月日2000・09・28
ブログアップ日 2014・09・28





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【後 述】

心が平安でいられるのが
人間にとっては一番しあわせなことだ。

感動もそこそこにあって欲しいし、
運命も受け容れられるようになれたら、
つまり、
ごくごく自然体で行けたら良いな、
と思っている。

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株主総会、って、一体誰のもの? [コラムエッセイ]



現在私の勤務する会社は、
この時期に株主総会がある。


つまり決算月は6月という、
まあ珍しい部類に入るだろう。


来年からは3月に切り替える予定だ。


わが社の株主総会は、
総務課が取り仕切る。


毎年時期になると、
会場の手配、
総会屋対策、
シナリオ書き、
株主に対し、
案内状や詰め合わせ商品を送る手配等々、
忙しそうだ。


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私など素人からみると、
総会屋対策が、
一番大変な仕事だと思ってしまう。


特に9月は、
大きな企業の総会が少ないため、
ターゲットになり易いのだ。


3月決算は、
大手企業が目白押しで
6月末に株主総会を開催する。


当社も来年から、
総会屋に煩わされることもないだろう。


総務課長に来年からは楽ができるな、
といったら、とんでもないという答だった。


なぜなら、
多くの会社が全く同じ時期に開催するため、
会場の手配が難しく、
株主に出す案内書や報告書の印刷が混み合い、
間に合うのか、
いまから胃が痛むというのだ。


聞いてみないとわからない、
とつくづく思った。


たしかにいわれてみると、
そうかもしれない。


ひとつ負荷は減っても、
他の負荷が今までの数倍かかってくる。


それらが圧倒的に大きく、
総会屋対策の比ではない、
ということなのだ。


いままで通りに開催し、
総会屋対策をじっくり考え、
会場の手配や、
印刷物の手配にやきもきしない方が
よっぽどいいらしい。


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限られた人数でやる仕事量には
おのずと限度がある、
ということだ。


株主総会は、
日本では特殊なものになっている。


一般の人々は、
株主であっても
めったに出席しないのが実状だろう。


株式会社の存在する社会では、
不思議なことだ。


大衆に支持されてこその株主総会だ。


ほんとうに開かれた総会を
してもらいたいものだ。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
507日目の記事である。

執筆年月日1999・09・27
ブログアップ日 2014・09・27





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【後 述】

昨今は
多くの一般株主が出席する総会が
増えていると思う。

退職された株主や
主婦の株主が増えているからだ。

しかしこれが
日本の株式会社を
株主のものとする意識高揚のために
どれだけ貢献するのかは疑問である。

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はじっこ症候群、対人恐怖症の現れ? [コラムエッセイ]



昨日の日経新聞夕刊一面に、
「はじっこ症候群」
なる記事が載っていた。


私も思いあたる節があるので読んでみた。


おもしろい。


電車やバス、コンサートや映画、
講義会場などで座席の端に座る人がいる。


その現象を
「はじっこ症候群」、
と心理学者が呼んでいるらしい。


特に日本人は多いようだ。


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記事で大村政男日本大学名誉教授は、

「両側に人がいると圧迫感があるけど、
隅っこだと物理的に安定して安心できる。
日本人は基本的に対人恐怖症。
にらめっこが発達したのも民俗学者の
柳田国男によれば、
対人不安の治療法だといわれますから」、

と言っている。


横並びの精神。


あたらずさわらずで悪く思われなければ良い、
という心理。


はじっこで、
中央のやっていることをみながら決める、
自分の態度。


できるだけ表に出ない。


そんな日本人であるならばなぜ、
一時的にせよ、
帝国主義による植民地の拡大をし、
敗戦後、
経済大国日本を築くことができたのか。


記事には
「タテ社会の深層心理」
とサブタイトルがついていた。


しかし私には
「はじっこ症候群」は、
一種の自立していない症状に思えてしまう。


タテ社会は極端にいえば、
一握りのトップから号令がかかれば、
以下全員、
良いも悪いもなく突進してしまう。


またそれが、
日本をここまで引っ張ってきたのは否めない。


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日本人は組織の中で
自分が違った意見を持っていても、
ほとんどの人はそれを主張しない。


また、主張をしても単なる顕示欲であり、
全体の意見が纏まればそれに従い、
組織から抜け出るようなことはしない。


そしてそれが潔いともいわれる。


自立をするには、
かなりの覚悟がいる。


様々な面で
腹をくくらなければならないからだ。


潔いとかキレイゴトではないのだ。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
506日目の記事である。

執筆年月日1999・09・26
ブログアップ日 2014・09・26





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【後 述】

はじっこを好む習性は、
目立ちたくないという思いでもある。

しかし目立たないで独立するには
相当な努力も要請されるのである。

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遅すぎた志、早すぎた才能 [コラムエッセイ]



私はいままで、
読者の方に発奮してもらうためにも、
自分自身を鼓舞するうえでも、
志を立てるのに遅すぎることはない、
という信念を持ち、
訴えながら書いてきた。


しかし現実はきつい。


年齢とともに記憶力や読書スピードは落ちる。


元々両方とも良くない私は、
お手上げだ。


何も良いことはない。


何ひとつ可能性がない。


志を立てるのが遅すぎた。


実力など元々なく、
作家などは夢のまた夢か。


どうにかやってきた気力の充実も、
もはやここまでか。


馬鹿げたことに、
サラリーマンと作家気取りの草鞋すら
履きそこね、
会社での仕事にさえ差し障りが出てきた。


上司からは疎まれ、
部下には邪魔者扱いされる。


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こんな風に書くと、
いままで読んできてくれた読者を
落胆させかねない。


負の可能性を強調して書いてみた。


しかし、
そうならないとは誰も保証できない。


むしろ、
可能性が高いのではないか。


若いときならいざしらず、
50を超えてからの手習いは、
厳しいものがある。


それでもやるという、
強い意志がないと、
こういう局面は乗り切れないだろう。


そのためにも何しろ毎日書く、
どんな時にも書く、
上達しているのかどうか分からなくても
書き続ける。


食事をするように、
空気を吸うように、
寝るように、
排泄するように、
本能で書いているのではないか
と思えるくらいに書く。


無意識のうちに書いている、
くらいに書く。


それができれば必ず掴めるものがある。


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もちろん早ければ早い方が良いに
決まっている、
だろうか?


遅すぎた志は、
早すぎた才能よりも
良いことがあるかもしれない。


独自の創造力を発揮するかもしれない。


志をいかに維持するかだ。


遅すぎた志、ということは決してない。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
871日目の記事である。

執筆年月日2000・09・25
ブログアップ日 2014・09・25





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【後 述】

書くという表現が
習慣になってしまうと
発言するよりも
自然になる。

あまり多くの余計な発言は
しなくなる。

のではないか。

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起業家、響きだけは魅力的だが [コラムエッセイ]



少しでもその気がある人には、
起業家という言葉は魅力的な響きであろう。


とてもクリエイティブな感じを受ける
と同時に、
自由な職業のようにも感じる。


いままで報道されているのは
成功例がほとんどで、
すでに有名人となっている人も多い。


起業家は
ベンチャービジネスに多いようだが、
文字通り冒険の伴う仕事であれば、
当然リスクもいっぱいあるはずだ。


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最近の報道によると、
ベンチャービジネスを応援指導している
起業家グループが、
いまはあまり起業を勧められる状況ではない、
と言っている。


起業家などといえば、
非常に恰好は良いが、
実態は成功している人ばかりではない、
ということだ。


銀行が古くからの取引先である
中小企業にさえ、
貸ししぶりをしている昨今では、
海のものとも山のものとも分からない
極小ビジネスに金は出さない。


ある程度の年齢に達していれば、
家族に対する責任などもあり、
独立や起業などといっても
簡単にできるものではない。


サラリーマンでいた方が、
どんなにか安定性もあり、
生活の計画をたてやすいことか。


それでも独立したければ、
山登りのように万全を期して、
準備を整え進んで行かなければならない。


途中で遭難はできないのだ。


万全を期して充分な準備をするには、
それこそ他人と同じように生活していては、
絶対に道は開かれない。


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少なくとも計画性をもって、
ひとつひとつ噛みしめるように、
確実に進んで行く必要がある。


夜のつきあいに現つを抜かしているようでは、
絶対に道は開けない。


このことは肝に銘ずるべきだ。


私は現在意識して
夜のつきあいを少なくしている。


同僚の眼にはつきあいづらくなった、
と映っているかもしれないが。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
139日目の記事である。

執筆年月日1998・09・24
ブログアップ日 2014・09・24





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【後 述】

死語とまでは言わないが、
最近は古い言葉になりつつある。

時代の流れはいとも簡単に
未熟な言葉を押し流してしまう。

実際に起業して
今残っておられる方は
どのくらいおられるのだろうか?

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言い訳、ほとんどが言い逃れなのではないか [コラムエッセイ]



言い訳も多くなると嘘になる。


狼少年になってしまう。


深みにはまってしまうのだ。


小さいころ叱られて、
次から次へと言い訳をしているうちに、
自分が言っていることさえ
分からなくなってしまった。


そんな経験をお持ちの方もいると思う。


よく

「言い訳をするな!
男らしく正々堂々としろ!」、

などといわれた。


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たしかに
言い訳をしない正々堂々とした態度は、
ある意味では爽やかにみえる。


しかし、
これも言い訳の一種、
といえないこともない。


などといえば詭弁に聞こえるかもしれないが、
言い訳は口でするもの、
という概念が、
私のいうことを理解し辛くしている
だけだろう。


言い訳を態度で正当化している、
とまで言ってしまったら言い過ぎか。


言い訳をしている姿は見苦しい。


でも必死に誤解を解こうとしているのか、
言い訳だけしているのかを
見極めることは、
非常に難しい。


誤解を解こうとしているのに、

「言い訳をするな!」

と一喝されてしまっては、
二の句が継げない。


だから逆らわずに最初から、
正々堂々と臨むのが良い、
ということだろうか。


自己主張をするなら、
誤解を解く努力をするのが本筋ではないか。


「言い訳をしない」日本的な美学でなく、
本質を追求する、
積極的な議論をすべきではないか。


善し悪しの判断はできないが、
日本的な美学に惑わされていることは、
結構多く存在しているのではないか。


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ただ、
それらが現在の日本文化を
形成しているとしたら、
無視できないことなのだろう。


会社では会議が多い。


議論の真似事に終始し、
最後に「難しいことだ」、
と言って問題を棚上げにすることがある。


これは明らかに、
言い訳のための会議のような気がする。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
503日目の記事である。

執筆年月日1999・09・23
ブログアップ日 2014・09・23





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【後 述】

言い逃れをするのではなく、
言い訳をするのなら、
堂々とすれば良い。

ほとんどのケースは
言い逃れに過ぎないのではないか。

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自己防衛、保身とごますりに形をかえて [コラムエッセイ]



サラリーマンは自己防衛の権化
といえるだろう。


また、
それに長けた人の出世率が高いともいえる。


仕事よりも、
保身にエネルギーを使う人の方が多い。


上へ行けば行くほど、
その傾向は強くなるような気がする。


自己防衛は、
ときにはごますりとなり、
ときには部下を悪者扱いしたりと、
様々に変化し、
職場内で演じられている。


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元々こういうことの嫌いな人は、
独立したり、
自由業をしたり、
出世を完全に諦めたりしている。


自己防衛もサラリーマンの実力さ、
といえなくもないが、
そんな人たちばかり集まっていては、
会社は成長しない。


それでもそこそこやっている会社は、
そこまでだろう。


社員の自己防衛は、
トップが思い切った人材登用をしない結果
なのかもしれない。


人間だれしも自己防衛本能を持っている、
といわれるが、
過剰なほど顕著な現れ方をするのが、
サラリーマン社会なのだろう。


横並びの精神から外れると、
先には闇があるだけ、
かどうかはしらないが、
気がつくと、
いつのまにか自分も仲間だったりする。


自分はいいが、
家族を野垂れ死にはさせられない。


ついつい定年近くになって、
なんて人生だったんだ、
と後悔しても遅い。


そんなことはない。


いくつになろうが、
身体さえ丈夫で、
野垂れ死にする覚悟さえあれば、
なんでもできる。


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子供には独立する基礎を与えてやれば、
後はサラリーマンを選ぼうが、
独立をしようが、
本人の自由選択だ。


自分は好きなように生活をするし、
子供たちも好きなように暮らすがいい。


自己防衛ばかりだと、
いつか身体も心も凍て付いて、
動きがとれなくなってしまうのではないか。


心身をかたまらせてはいけない。




私がこの記事をかいたのは、
14年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
868日目の記事である。

執筆年月日2000・09・22
ブログアップ日 2014・09・22





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【後 述】

各所で自己防衛の結果が見られる。

不祥事のために記者会見をしている
サラリーマンの姿を見るのは
忍びないものがある。

彼らは
断ち切ってしまえば
何と
「ちっぽけな!」
と思える事に拘り、
一生苛まれることになる。

時には死に至らしめられてしまう。

自分の身に握りしめないで、
捨て切ったら
どんなに身軽になることか。

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