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こども、「子はかすがい」なんて現代夫婦間では死語? [コラムエッセイ]



「子はかすがい」
というが、
現代の夫婦間では死語に近いだろう。


子供のために離婚を我慢しよう
などという、
女性は少ないようだ。


今や自分の稼ぎを楯に、
いつでも別れられるのよ、
とでも言いたげに、
わがもの顔で夫を尻の下で潰している。


先日、
女性歌手のMが、
電撃という形で再婚した。


前夫とは一年半前に別れ、
その後も何やかやと
スキャンダルを売り物にしてきた。


最近ややおとなしいと思いきや、
電撃再婚という話題性で、
あと何年か芸能界を生き延びる算段らしい。


彼女は父親を亡くしてから一年未満だ。


普通であれば、
まだ喪も明けていないのに、
ということになる。


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この例なども、
子供よりも自分のことだけ、
のようにみえる。


昔のように、
子供の犠牲になれというような、
陰湿な要求をするつもりはない。


かすがいとまではいかなくても、
せめて自分の腹に刺さった鋲(びょう)、
ぐらいの位置づけに考えてあげても
いいのではないか。


kasugai.png


しかし子供の成長は驚くほど早く、
あっという間に遠くへ行ってしまう。


親の記憶は、
小さいころに抱きしめ、
頬ずりしたころからそれほど
経過していないが、
子供は成長とともに、
猛スピードで親を疎ましく感じ始める。


ここに大きな距離感のズレがあり、
様々な形でトラブルの原因になったりする。


私は、
子供に対する責任は学校を出るまで、
と考えている。


高校卒業で社会に出ていくというのなら、
そこまで。


大学まで進むのなら、
大学卒業まで。


中学卒業で、
世の中に出たいといえば、
それもそこまで。


世の中に出たら、
自分ですべての責任を負わなければならない。


法律的な年齢よりも、
そこで親子間のけじめをつけるべきだ。


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今の私は、
まだ子供に責任がある。


息子も娘も、
学業を終えるまでかなり
時間がかかりそうなのだ。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
23日目の記事である。

執筆年月日 1998・05・31
ブログアップ日 2015・05・31





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【後 述】

親にとっては
こどもはいくつになっても
こどもである。

しかしこどもにとって
親はいくつになっても
親となっているのだろうか?

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「何かを得たいなら、何かを捨てろ」って?まれのおばあちゃんが言っていた言葉じゃないのか? [テレビ番組]



「『何かを得たいなら、何かを捨てろ』って?まれのおばあちゃんが言っていた言葉じゃないのか?」


NHK朝のテレビ小説「まれ」で
最近よく聞く言葉ある。


それは
「何かを得たいなら、何かを捨てろ」だ。


これって、以前フランスから帰っていた
まれのおばあちゃん
ロベール幸枝が言っていた言葉じゃないか?


本日の番組では
まれが、
それを「覚悟」ではないかと悟り
再び横浜へ行くことにしたようだが。


私も疎覚え(うろおぼえ:確実でない記憶)
なので、

この「何かを得たいなら、何かを捨てろ」
という言葉が

まれのおばあちゃんが
発した言葉だったかどうか確信は
ないのだが、

何かそんな気がするのだが、
皆さんはどうですか?


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もしそうだったとすると
まれのおばあちゃんが
ひょっとして

あの横浜にいる
まれの大先生であり、
偏屈おやじのオーナーパティシエ
池畑大悟の先生だったりして。


などということも考えられる。


少なくとも何らかの接触は
あったのではないか?


それはこれからのお楽しみ
というところか。


ところで本題に戻すが
「何かを得たいなら、何かを捨てろ」とは、

こう考えると分かり易いかもしれない。


もしあなたが両手に多くの物を
持っていたとする。


nigiru.png


そこへ誰かが来て
「これ、欲しいか?」とたずねる。


するとあなたは
『あ! それ、一番欲しかったんだぁ!』
と思わず右手を差し出し、
その人の手から一番欲しかった物をつかむ。


必然的に、
今まで右手に持っていたものはすべて
地に落としてしまう、
ということである。


hiraku.png


しかし冷静な人は
しばらく考える。


あれは一番欲しい物だけど
それを頂くには
今自分が握りしめている
右手か左手のどちらかを
開かなければならない。


そうすると
どうしようか? どうしようか?

と考えているうちに
その人はいなくなってしまい、

結局、欲しい物を得ることができなくなり、
更にやけになって
いま握りしめている物まで
投げ捨ててしまうかもしれない。


まあ、それを機会に
身辺整理というやり方もあるが、
それはそれで
非常にきつい話でもある。


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人間はいったん握りしめてしまうと
なかなかその手を開こうとはしない。


それはそれなりに
良いところもたくさんある。


いや、むしろそちらの方が
良いことの方が多いのではないか。


無理矢理
握りしめた物から手を開き
その物を捨て
欲しい物に手を出してしまい
その両方を失うってこともある。


この
「何かを得たいなら、何かを捨てろ」とは、
「覚悟」というよりも
むしろ、
「決断」に近いのではないか。


と私の浅い人生経験からは
思えるのだが、……




執筆年月日 20015・05・30





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【後 述】
多くを持ちたがるのは人の常。

そんな中で
だんだんと
今日一日が
この一瞬が

とても大切で
本当は一番
得難いものである、

と気付くようになる。

タグ:まれ
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決心、そのひとつ、タバコをやめた [コラムエッセイ]

一昨日から私はタバコをやめている。


ひとつの決心である。


「タバコ、なかなかやめられない?」


というタイトルで書いたように、
医者から言われたことが引き金になった。


しかし、根本は千日解放のためだ。


これからは、
身体の管理がいままで以上に
重要さを帯びてくる。


自分で身をもってやっていかなければ、
千日解放も成就できないであろう。


物書きになるための、
短いような長いような道程を、
大きな決心と小さな決心の綾で、
織り成していかないとならないのだろう、
と考えたからだ。


大きな決心には犠牲が必ずある。


今回、
私の大きな決心は
「物書きになる」ことだ。


当然いくつかの犠牲が生まれた。


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サラリーマンとしてのつきあいを
最低限にする、

みたいテレビもみない、

そしてタバコもやめた。


これらのことは、
考えてみればすべて
どうでもよいことであった。


犠牲といえるほどではない。


しかし大きな決心の犠牲になるものは、
そのつど小さな決心なくしてはできない。


サラリーマンにとって最大の決心は、
自分の意思でサラリーマンを辞めること。


dokuritusengen.jpg


それ以外にあろうか。


辞めることによって、
その肩書がなくなるわけだから、
これほど大きな決心はない。


人間が、
人間をやめるくらい大きな決心かもしれない。


いまのサラリーマンにとって、
それほど劇的な出来事なのだろうと思う。


人生はたった一度だ。


それ以上でもそれ以下でもないのだから、
やりたい放題はできないにしても、
せめて自分のやりたいことに没頭できる、
充実した時間を積極的に求めたい。


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そのためには、
常に、
心身共に、
きちっと管理しておかなくてはならない。


あと20年であれ30年であれ、
私たちのために生きてゆきたい。


かみさんとともに。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
20日目の記事である。

執筆年月日 1998・05・28
ブログアップ日 2015・05・30





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【後 述】

ひとつ、ひとつの
小さな決心が

積もり積もって
大決心へと
つながる。

これは
小さな決心をして行かなければ
なかなか得心できるものではない。

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衣食足りて礼節を知る [コラムエッセイ]

人間が生きてゆくには、
まず食べることだ。


そして生理的欲求の
二番手にくるであろう、
睡眠をとることだ。


それには、
住まいや寝場所の確保が必要になる。


食住がある程度満たされてくると、
着る物に興味が動き、
精神的にも安定してくる。


いわゆる衣食が足りた状態になる。


ishoku.png


次に、
人とつきあうようになり、
礼儀というものが必要になってくる。


これらは、
教育で補うこともできる。


心身ともに、
豊かになっていく第一歩といえるだろう。


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「衣食足りて礼節を知る」
ということになるわけだ。


身体で
衣食足りないことを体験している人は、
衣食足るという意味が認識できる。


しかし、
生まれたときから衣食が満たされている人は、
なかなか身体で認識などできない。


単なる知識にすぎなくなってしまうだろう。


いまの若い人たちが、
礼儀を知らなかったり、
社会生活で常識を知らなかったりするのは、

生まれつき、
物質的に豊かであることと無縁ではなかろう。


それを学校の教育だけで認識させるには、
無理があると思う。


家庭での、
親の役割はとても重要になる。


親みずからが、
それを示さないと、
礼儀知らずの社会的不具者になってしまう。


しかし、
私たち50歳前後の人間にとっても、
ほとんどの人たちが飢えを知らない。


衣は足りていなかったろうが、
食は、好きなものをふんだんに、
とは言えないまでも、
何とかなっていた。


ましてや30代、40代にいたっては、
物質面ではかなり豊かになっていたはずだ。


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子供にみずから範を垂れなければならない
年代であるはずなのに、
逆に常識のない、
礼儀知らずの大人がとても多い。


社会がおかしくなっているのは、
私たち一人一人の小さな行為の
積み重ねであることも認識すべきだ。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
21日目の記事である。

執筆年月日 1998・05・29
ブログアップ日 2015・05・29





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【後 述】

今の日本を
政治的にも
経済的にも
担っているのは、

私たち団塊の世代よりも
いくらか年下の人たちである。

つまり、
飢えを知らない
戦争を知らない
貧しさを知らない
人たちである。

飢えや貧しさは知っておられる方も
いようが、
戦争は
私たち団塊の世代も含め
知らない。

そんな人たちが牛耳(ぎゅうじ)る
今の日本が
また再び間違った道に
それないよう
祈るばかりである。

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木曜日、あと一日で次の日は休める、もうひとふんばり [コラムエッセイ]


あと一日会社に行けば、
次の日は休める。


もうひとふんばりだ、
という気持ちなれるのが木曜日だ。


mokuyoubi.png


なぜサラリーマンは、
これほど心濁っても、
毎日勤めなければならないのか。


私だけがそんなふうに
思っているのではあるまいな、
という不安すらわいてくる。


特に私はここ半年前くらいから、
一週間がとてつもなく長く、
つらく感じるようになった。


現状にやる気を失っている。


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理由は定かではない。


作家になろうとする意識が
高揚しているからではなく、

いまの仕事自体に
魅力を感じられなくなっていることや、

そこで働く人たちに、
仲間意識を感じられなくなっている
からなのかもしれない。


私は途中入社したときから感じていた。


当時私は社会に出てから約十年経っており、
30歳前半だった。


会社に入って、
半年が過ぎたころ、
今までの人たち、
すなわち私が30年の間で
知り得た人たちと、
どこか違う人たちのような気がした。


不思議だが、
それは良いとか、
悪いとかいう意味ではないのだ。


20年経った今でも、
社内にいると、
ときどき甦ってくる感覚だ。


それでも自分を鼓舞しながら、
今までなんとかやってきた。


しかし限度はある。


といって、
今すぐ辞めるわけにはいかない。


それがサラリーマンの
一番つらいところだろう。


気持ちの板挟みを乗り越えるには、
あと何回木曜日を迎えなければならないのか。


私自身が考えている最悪限度年齢は、
55歳だ。


つまり、あと250回近くの
木曜日を迎えなければならない。


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そうと分かればもうじたばたしない。


あと4、5年いなければならないのなら、
楽しく木曜日を迎えた方が
いいに決まっている。


そう考えられるわが性格に感謝だ。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
762日目の記事である。

執筆年月日 2000・06・08
ブログアップ日 2015・05・28





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【後 述】

土曜、日曜休みがある程度定着してから
もうどのくらいになるのだろうか?

少々中だるみになりがちな
木曜日を上手に乗り切るには

やはり
あと一日会社に行けば、
次の日は休める。

という気持ちなって
もうひとふんばりする

というのは今も昔も
変わらないのか。

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老いるとは、人間にとって避けられないことのひとつである [コラムエッセイ]



人間にとって、
避けられないことのひとつに、

老いる、

ということがある。


むかしから人間は、
金持ちになり、
権力を得、
名誉を得、
果てには、
いつまでも若さを保ち、
永遠に老いをしらない身体を
持ちたいと願う。


まあ、
一般的な考えといえるかもしれない。


現実にはほとんどの人が、
ひとつもできずに終わるのだが、

金力、権力、名誉を得る人も
中にはいる。


さらに若さを保つことは、
運動と節制、
精神的な老け防止をすることによって、
あるていどは維持できる。


けれども老いを止めることはできない。



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老いるのは
ごくあたり前の自然現象である。


それに逆らうことはないではないか。


心身を若いときよりも
いたわれるようになって、
年齢に応じた年のとり方を
受け止める平安があれば、
焦ることもなくなるであろう。


oiru.png


死に急ぐこともなくなるであろう。


いまの若い人たちもいずれは老いる。


若いときは、
大人から何をいわれても身にしみない。


同様に、
若い人は、
老いることや老いた人を、
汚く感じるときがあるかもしれない。


ある意味では無理もないと思う。


自分もいずれそうなるとは、
努々(ゆめゆめ)考えられないからだろう。


人間は
永遠の命を持っているわけではない。


にも拘わらず、
自分だけは
永遠の若さや命を持っていると、
ある瞬間錯覚する。


それだけに、
わが身の老いに気づき、
驚いたとき、

張っていた糸が緩んでしまう。


下手をすると、
切れてしまうことさえある。


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突然に老いるわけではないので、
ときの流れに応じて、
ごく自然に受け入れる心構え
を作っておく必要があるのではないか。


肉体の老いと、
精神のそれとは別物である、
ということを常時念頭に置きながら。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
383日目の記事である。

執筆年月日 1999・05・26
ブログアップ日 2015・05・27





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【後 述】

まさに
肉体の老いと
精神的な
老いとは
別物である。

しかしながら
それらが悪い意味で
相乗効果を起こすと

却って
やっかいであり

老いを加速さえしかねない。

受け容れる
精神が特に重要である。

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タバコ、なかなかやめられない? [コラムエッセイ]

タバコをなかなかやめられない。


本日このときをもって実行しよう、
と思案しながらタバコをくゆらしてしまう。


tabaco.png


私は最近、首から肩、
腰にかけて痛みがはしり、
整形外科で診てもらった。


医者から、

「タバコはやめるべきだ」

などと、因果関係のないように思われる
提言をされた。


それから2週間、
やめれば痛みがなくなるのかもしれない、
などと思いつつ今日まできてしまった。


先日、
日本たばこ産業と政府を相手どり、
タバコが原因でガンになったので
賠償しろ、

と60代と70代の男性グループが
訴訟を起こした。


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何をいまさら、
その歳まで吸っていて、
タバコに害があるのを
知らないわけはないだろう、
自己管理の問題だろう、
と思った。


インタビューに応じた
訴訟グループのリーダーは、
若い人たちにも注意を喚起したかった、
と答えていたが、
私は釈然としなかった。


しかし私も他人事ではないのだ。


私の職場でも、
8名中6名が愛煙家だ。


会社は午前中禁煙で、
午後から解禁する。


午前中、
私は取引先の訪問を受けることにしている。


なぜならば、
応接室で来客が喫煙するときは
私も堂々と吸える、
という暗黙のルールに
便乗できるからだ。


私はなかなかやめられない理由を、
酒はやりませんのでせめてタバコぐらい、
と自他ともに言い訳している。


以前に何回か、
数ヶ月間やめたこともあるが、
口元の寂しさに耐えきれず
中断してしまった。


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今や世界中で、
堂々とタバコを吸える環境が
なくなり始めている。


日本国内でも、
愛煙家は急速に肩身が狭くなってきている。


千日解放を書き終えるまでに
やめられたらと思いつつ、

私は咥えタバコで
煙りに巻かれている。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
18日目の記事である。

執筆年月日 1998・05・26
ブログアップ日 2015・05・26





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【後 述】

この記事から間もなくして
私は、
停煙というやり方によって
タバコを止めている。

もう17年になる。

このあたりの状況については、

「リバウンド、禁煙のリバウンドを避けるには停煙が良いよ」



「禁煙、喫煙を止めるのではなく、解禁があるという意識が長持ちする秘訣」

で書かせてもらっている。

従って
いまでも

もしまた再煙したら

それは
それで
良いじゃないか、

という気持である。

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昇給、定期的に上がるという神話 [コラムエッセイ]



なぜだか詮索したことはないが、
私の会社の昇給は、
5月に確定し、
4月にさかのぼって支給される。


そこで5月の給料は、
4月と5月の昇給分が重なり、
何となく得したようにも感じられる。


shoukyu.png


実際は他社より1ヶ月遅いのだから、
むしろ逆なのだが。


それにしても、
ここ数年の昇給は、
生活設計も立てられないほどに
惨めなものだ。


少しでも上がれば御の字と、
自分自身を納得させているような状況だ。


私も来年は50になってしまうので、
そろそろ昇給は望めない年齢に入ってきた。


一番子供に金のかかる時期になって
昇給ストップでは、
どうにもならない。


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仕方なく、
老後のために貯えてきた保険等を解約して、
教育資金にあてたりしていかなければ
ならない。


なおも不足すれば、
いまなら借金をしても利息が低いので、
と借りることになる。


結局自分が退職して気がついたときには、
老後の資金など、
まったくないのだろう。


予定通り退職金が出るのかも
定かでない現実を考えると、
老体に鞭打ち、
いつまでも働かなくてはならない
のかもしれない。


会社でも50をすぎた人間など、
幹部以外は必要ないのだ。


ただ、法的なことや、
人道的な立場から、
はっきりとはいえないのかもしれない。


そこで早期退職募集などといった名目で、
形を変えて実践している。


何といっても現在は、
雇用者の方が強い。


というよりも自立、
独立できる奴は積極的に出ていってくれ、
という小さな叫びのようにも取れる。


会社自体が、
自立できなくなるかもしれないのだから。


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実はいまが、
何をやるにしても絶好のチャンスだ。


浮ついた気持ではやれないのだから、
必然的に準備も周到となる。


これを好機とするか、
不遇とするかが分かれめだ。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
382日目の記事である。

執筆年月日 1999・05・25
ブログアップ日 2015・05・25





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【後 述】

いまや、
昇給などという文字すら
サラリーマンから
忘れ去られようとしている。

確かに今年2015年の春闘では
わずかな大企業や
時流に乗った
中小企業あたりで
昇給ということが実現したかも
しれない。

しかし、
もう初めから
この定期的に上がるという
神話的な昇給制度そのものを
見直す時期に来ている
のであろう。

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自給自足、大むかしはあたり前だったが今の日本では? [コラムエッセイ]


大むかしはあたり前だった
完全な自給自足は、
少なくともいまの日本では
100%無理だろう。


jikyujisoku.png


現代では、
人間にとっては夢物語なのかもしれない。


畑で穀物や野菜をつくり、
食生活の半分を賄ったとしても、
それ以上は無理だ。


魚も肉も食べたいだろう。


そこまで自分ではできない。


たとえ漁師になっても、
傍ら穀物類を作るまでで、
肉までは手が及ばないだろう。


私は歴史にはうといが、
いつごろから完全自給自足は
崩れていったのだろうか。


単純に考えれば、
物々交換の始まったころ、
と考えるのが妥当だろう。


貨幣が出現してからは、
規模の違いこそあれ、
完全なる自給自足は
現代と同じくらい難しくなっていった
のではないだろうか。


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いま、
試みに一年間、
完全な自給自足の生活をしようとしたら
可能であろうか?


大むかしと同じ状況をつくり、
そこへ成人の男女を裸で送り込む。


大自然の
完全自給自足ができるであろう環境で、
彼らにとっては
まったくゼロから始めてもらうのだ。


たぶん、
肉体的・生理的な問題よりも
精神的におかしくなってしまうのではないか。


いや、むしろ、
新鮮な刺激があって、
精神的な問題は考えているほどでは
ないかもしれない。


意外と上手に乗りきってしまうかもしれない。


ただ、
いつも現代との扉は開かれている、
という気持ちが、
大きくこの実験の邪魔をするだろう。


そこでまったく連絡がとれない状態に置く。


例えば孤島に置き去りにする、
とかしたらどうだろう。


やはり栄養失調になって
一年もたないだろうか。


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現代はまったくその逆で、
いつでも物資はあり、
食べられなくなるようなことはない、

という何の根拠もない、
迷信にも似た感覚で
暮らしている人がほとんどだ。


そんなことはないのである。


無限なことなど
この世にはない、と

いま一度
強く認識すべきである。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
16日目の記事である。

執筆年月日 1998・05・24
ブログアップ日 2015・05・24





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【後 述】

この世に無限はないのである。

それは、
私たち人間が
この世で生きながらえるのが
せいぜい100年前後であることからも
明らかであろう。

この地球さえも
いつかは滅びるのである。

しかしそんなことを
日常生活で考えていたら
楽しくない。

ということで
そのように
人間は考えないだけのことである。

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NHKのど自慢に変化、挑戦者の歌う曲名が、歌唱中ずっと表示されているのに気付いてますか? [NHKのど自慢]


「NHKのど自慢に変化、挑戦者の歌う曲名が、
歌唱中ずっと表示されているのに気付いてますか?」


NHKのど自慢で、またまた
ちょっとした変化が起こっている。


本日、平成27年5月24日の日曜日、
久しぶりに
NHKのど自慢を見ることができた。


この1ヶ月以上
見る機会を逃していた。


昼食を摂りながら
かみさんと一緒に見ていると

かみさんが
「あれ? 以前に歌の題名なんて出てた?」
と私に聞く。


nodojimantitle01.jpg


確かに画面の右下に
挑戦者が今歌っている歌の題名が
表示されていた。


かみさんにそう言われて見れば
あれ?
今まではそんな表示してなかったよな、
と思った。


私たちが1ヶ月以上見ていなかった間に
またまた、プチ変化があったのだ。


調べてみると
どうも4月5日の放送からのようだ。


でもこれは
過去においても

「NHKのど自慢で今歌った曲って何?」
とか
「のど自慢で歌った曲名ご存知ですか?」
という類の質問が
サイトで見られたことなどからも
視聴者目線の対応だな、と思った。


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本日の会場高知県四万十(しまんと)市は、
2005年(平成17年)4月10日、
中村市と幡多郡西土佐村が合併して誕生した
人口約35,000人の未だ若い市である。


もちろん四万十川は有名であるが、
最近では2013年8月12日に41度という
国内観測史上最高気温を記録したことでも
知られている市名である。


冒頭その市名を
司会者の小田切千(おだぎりせん)さんが、
間違えてしまった。


しかし見ると画面の右上には
本日の会場となっている
県名と市名が表示されていた。


さらに加えて
ライブを示す
「生放送」の文字も表示されていた。


nodojimantitle01.jpg


この小田切さんの間違いは
まさに生放送ならではのものであろう。


今では
ほとんどの番組が
ビデオ撮りしてそれを編集するという、
ある意味
緊張感を欠いた番組作りが主流である。


昔はドラマや
バラエティ番組などでさえ
生放送であった。


そりゃそうだ。


ビデオ撮りが出来ないのだから
それしか方法はない。


本番!


という掛け声が骨身に沁みた
時代でもあったわけだ。


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のど自慢の歴史は長い。


様々なハプニングがあった。


144689.png


またこれからも
色々とあるだろう。


午後1時に本日の番組終了
と同時に

この番組の関係者にとっては
また来週の本番に向けての
準備が始まるわけである。


たまには見る者も
その裏方さんたちの
奮闘努力を
称えてあげても良いのではないか。




執筆年月日2015・05・24





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