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群れて懐古せず [コラムエッセイ]





「群れて懐古せず」



よく、
同じ会社の出身者や
定年退職者が集まり、
飲み会グループを作っていたりする。


mureru.png


別に悪いことではない。


しかし
中心がサラリーマン時代の人たちでは、
当時の話に帰結することは当然だろう。


要するに、
群れて懐古する状態になる。


むしろそこに大いなる楽しみがあって、
集まるのかもしれない。


私からみると何になるのだろう、
としか思えない。


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私も、
字は違うが、
回顧しながら
小説の題材を見つけることが多い今、
懐古することを非難するつもりはない。


重要な精神活動のひとつだろう。


しかし、
過去を今更のように愚痴り、
それ以上何も残さない懐古趣味の会合は、
愚の骨頂であろう。


不思議だと思うのは、
利害関係がまったくなくなっている
はずなのに、

昔の上下関係で、
相変わらずのノミニケーションを
することだ。


そんな関係は厭だと言っていた人
でさえ参加している、
という話を聞くと、
人間の弱さを感ぜずにはいられない。


退職後、
一日中奥さんとなどいられないのか。


もしくは奥さんから追い出されるのか。


もし奥さんと一緒にいて、
何もわだかまりがないのなら、
それこそそんな会合に出る費用で、
奥さんとレストランにでも行ったらいい。


いまさら群れるなど、
まったく必要ないではないか。


私は、
人とのつきあいを止めろ、
飲むのを止めろ、
などと言っているのではない。


群れて、
相変わらず
むかしの愚痴を言うだけしかない連中などと、
貴重な人生の時間を費やすことはない、
と言っているのだ。


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そうならないためには、
いまあなたの年齢がいくつでもいいから、
自立する準備をコツコツ始めることだろう。


そして退職したら、
群れて懐古しないようにすることだ。


奥方と、
恋愛時代を懐古するなら良い。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
61日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・08
ブログアップ日 2015・07・08





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【後 述】

群れるのは
ほとんどの場合
利害関係である。

そういう関係でない時は
群れるとは言わない。

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読書三到(どくしょさんとう)、眼で読み、口で音を出して読み、さらに心の雑念をなくして集中して読むこと [コラムエッセイ]





「読書三到(どくしょさんとう)、眼で読み、口で音を出して読み、さらに心の雑念をなくして集中して読むこと」



私は本を読むスピードが、
相変わらず人より遅い。


20年くらい前、
速読の講座に興味を持ち、
数十万円もした
教材セットを購入した。


いつもと同じように、
最初の部分だけやって、
三日坊主で放ったままにしてある。


従って、
乱読しようなどと思っても、
いまでも人の数倍かかってしまい、
乱読といえるレベルではない。


dokushosanto.png


読書三到という意味は、

眼で読み、

口で音を出して読み、

さらに心の雑念をなくして集中して読む、

ということらしい。


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読書
使える感覚をフル活用して行え、
ということであろう。


この考え方は、
現代の情報分析にも
いえることかもしれない。


溢れる情報を、
自分に有用か否かを判断するとき、
読書三到の考え方を活用してみたらいい。


次から次に入ってくる情報を、
眼で読み、
耳で聞くわけだ。


具体的には、
毎日たくさん受け取る情報の中で、

気になる情報、

またはチェックしなければならない情報

に関しては、

口から声を出して読んでみるのだ。


つまり、
受け止めるだけではなく、
裏付けを得るために音を発する。


自分の口と耳から得た音で、
情報を吟味し、
さらに精読してみる。


そして最終的に必要な、
正しい情報か否かを判断する。


また、
自分の作品を推敲するときにも使える。


黙読し、
音読し、
熟読・精読する。


それを繰り返す。


自分の作品が、
自分の作品でなくなるくらいまで。


そうすれば、
かなり客観的な評価も
できるようになるだろう。


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物事を
深く掘り下げて行こうとしたら、
並大抵のことではすまない。


その成果は
一朝一夕であがるはずはない。


気の遠くなるような作業が必要だ。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
791日目の記事である。

執筆年月日 2000・07・07
ブログアップ日 2015・07・07





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【後 述】

15年前よりも
さらに情報量は
増え続けており、

いまや
受け取る必要のある
情報か否か、

そこから始める必要がある。

私たちが
今必要な情報を
スマートフォンやパソコンで
探していると、

それに関連した情報を
容赦なく目に飛び込ませて来る。

ついつい
本来の必要な情報から
ずれた情報をも
つかんでしまう
結果になる。

くれぐれも注意して欲しい
ものである。

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友人と人脈、その違いとは? [コラムエッセイ]



「友人と人脈、その違いとは?」


友人は人生の宝だ、
とよく言われる。


私の知る限り、

サラリーマンは、
自分の人脈を構成する人たちは、
友人だと勘違いしているように思える。


私は、
人脈はあくまでも
仕事や利害の絡む関係で構築された、
単なるネットワークに過ぎないと考える。


もちろん、
そこから大切な友人や親友が
できるかもしれない。


jinmyaku.png


それは、
彼らとの関係に、
利害関係がまったくなくなったときに判る。


自分も相手も、
つきあいを今まで通り
自然にできるならば友人だろう。


逆に、
今まで通りにつきあえない場合、
互いが、
単なる人脈の一人だったに過ぎない、
ということになる。


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人脈を、
宝物としての友人と勘違いしていると、
大変な絶望感に襲われる危険性がある。


なぜならば、
相手はあなたを
単なる便利で役に立つ道具、
としてしかみていないケースが
あるからだ。


利害を超えた、
心が休まるような人というのは、
そう何人もいるものではない、
と私は思う。


もし多くの人がいると
思っているとしたら、

その人は、
人脈の中の人と友人を、
同一視しているに違いないと思うだけだ。


どんなに大きな人脈であろうとも、
相互の利が薄れるようになれば、
自然に去ってゆくのが人脈で、
そんなこととはまったく関係ない、
という顔をしているのが友人であろう。


人脈はおうおうにして、
利害のからんだ組織や、
食べてゆくための
活動の中から生まれている。


特に日本の社会では、
そうならざるを得ない
仕組みになっており、
それが一朝一夕で変わるとも思えない。


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いわゆる利害から大きく離れた
ボランティアな活動が、
社会的に市民権を
まだまだ得る状況ではないからだ。


絶対に陥ってはならないのは、
妻と家族を人脈にしてはならない、
ということだ。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
424日目の記事である。

執筆年月日 1999・07・06
ブログアップ日 2015・07・06





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【後 述】

本当の友人とは
作ろうとして
できるものではない。

しかし
何もせずに
できるものでもない。

ここら辺が
人間関係の機微でもあろう。

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安定、極端な言い方をすれば安定したものなど何もない [コラムエッセイ]



「安定、極端な言い方をすれば安定したものなど何もない」


息子には、
自営の苦労をさせたくないから
サラリーマンにさせた。


とか、


一流高校、一流大学を経て、
一流会社に就職することで、
一生の目的を半分果たしたように
納得してしまう。


というように、


サラリーマンは
安定した代表のように思われてきた。


antei.png


何が安定しているのかといえば、

給料、

すなわち「金」だ。


就労時間、休日、

すなわち「時間」だ。


そして社会的な立場、地位。


すなわち「社会的信用」だ。


そして、
何よりも「生活全体」の安定だ。


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たしかに大小の違いこそはあれ、
サラリーマンの方が、
やたらに自営している人よりは、
実入りは良いかもしれない。


究極では精神的にも気楽だろう。


少なくとも今までは。


そうなのだ!


今までは、
ということになる。


これからは、
極端な言い方をすれば
安定したものなど何もない。


と言っても過言ではない。


つまり、
サラリーマンといえども、
昔のように安定した職業
ではなくなる可能性がある。


既に少しづつそうなり始めている。


それならいっそのこと、

自分のやりたいこと、
向いていること、
好きなこと、
一人で気軽にやれることなど、

人に煩わされないものに
エネルギーを費やし、

人生をまっとうした方が良いだろう。


そう思い、
私は千日解放を書いている。


これからは、
今まで以上に
多種多様の価値観を持った人が
多くなってくる。


企業は雇用の基準、
評価の方法など、

今までの常識、
借り物のやり方では対処できなくなる。


それこそ、

「人がいて会社がある」

という
本来の姿になれない企業は
なくなるかもしれない。


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私たちは、
農耕民族で安定を好む国民
といわれてきた。


今後、
地球規模で物事が考えられ、
実行され、
動いてゆくからには、
いつまでも安定は望めなくなるだろう。


不安定な中でも生きられる術を
学ぶ必要がある。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
58日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・05
ブログアップ日 2015・07・05





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【後 述】

「人がいて会社がある」
という本来の姿になれない
企業はなくなるかもしれない。

と、

17年前に書いている。

ここ数年
そんな企業がクローズアップされ、

ブラック企業だとか
言われているが、
名前を変えただけで
以前からあった。


それじゃあ
未だになくなっていないじゃ
ないか、

と思われるかも知れないが

私はこのような企業が
反社会的な企業として
クローズアップされているだけでも
進歩したな、
と思っている。

何故なら
本来の
「人がいて会社がある」
という姿に戻るには、

このようなプロセスを
経なければならない
と考えるからである。

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無言、見ざる、言わざる、聞かざるが、現代の歪みの原因のひとつか [コラムエッセイ]



「無言、見ざる、言わざる、聞かざるが、現代の歪みの原因のひとつか」


kikazaru.png


「この人に何を言ったって
解ってもらえない、
話すら聞いてくれようともしない、
と思い込むと、

その人に対して私たちも無口になる」と、

ある落語家が言っていた。


まさにその通りだと思う。


サラリーマン社会には、
上下の関係がある。


何十年もやっていると、
そういう人間が上にも
下にもいるのに気づく。


部下に対しては、
言っても解らないから
おれがやってしまおう。


上司には、
言っても解ってもらえないから
口答えするのはやめよう。


何か問われても、
口ごもったり、
うまく説明できなかったりして
無言になる。


いずれにしても
中間管理職は割りを食うようだ。


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しかし、
言いたい放題言えないまでも、
サラリーマン社会で何も言わず、
無言になってしまうのは損だ。


私などは口下手なので、
矢継ぎ早に問われたりすると、
何が何だか分からなくなり、
口ごもり、無言になってしまう。


すると、
あいつは何も考えのないおとなしい奴だ、
という烙印を押されてしまう。


そうではなく、

「あなたは頑固で、
私が言うのを聞こうともしない。
だから何を言っても無駄だと思い、
何も言わないのですよ」

とは言えない。


日本では文句を言わずにやる、
という観念があった。


また、
不言実行という言葉のように、
公表せずに物事を成し遂げることは、
日本古来の美徳の極みであり、
カッコイイことの代表であった。


ただ、無言でいるのは良くない。


できる限り声を出して、
気持良く仕事に従事した方が良い。


そうすれば、
自分自身にとっても
ストレスがたまらないから。


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しかし、
私は
「サラリーマン千日解放」を
書いていることは誰にも言っていない。


達成するまでは
絶対人に言えない。


無言である。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
57日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・04
ブログアップ日 2015・07・04





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【後 述】

見ざる、
言わざる
聞かざる、

とあるが、

見ても知らんぷり。

何も言わない。

聞いても知らんぷり。

これは昔の人が
教えてくれる処世術なのかも
しれないが、

このことが
現代を大きく
歪めている原因の
ひとつであるかもしれない。

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人間ドック、車検の車と同じで、検査の結果にかかわりなく、健康状態を維持できるか否かは、本人次第である [コラムエッセイ]




「人間ドック、車検の車と同じで、検査の結果にかかわりなく、健康状態を維持できるか否かは、本人次第である」


本日、毎年1回必ず実施している
人間ドックに入院した。


もう15回毎年行っている。


むかし私の父親が、
私の年齢(48)で
人間ドックに入っていたか、
考えてみた。


113693.jpg


当時は人間ドック自体が少なく、
ほとんどの人は
簡単な定期検診で
すませていたように思う。


高い検査代を払って、
どれほど効果があるのか。


これは病院の陰謀で、
金儲けの権化ではないか
と疑いたくなるほど、
検査の内容と、
払っている金額のバランスが
違い過ぎるように思う。


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ものは考えようで、
車検と同様、
事故の起きないよう、
毎年受けておく必要がある、
と考えるようにして、

まあしかたないか、
と思うのである。


実際ある意味では、
まったく車検の車と同じで、
検査の結果にかかわりなく、
健康状態を維持できるか否かは、
本人次第である。


どんなに良い状態で
車検が終わっていようと、
運転を乱暴にしたり、
不注意で事故は起こる。


車は運転が大事なのだ。


同様にドックの検査結果が
良いからといって、

暴飲暴食、
夜更かし、
無理をすれば病気になる。


ところで、
バリウムで行う
胃のレントゲン検査は
なんとかならないだろうか。


高い金を払い、
吐き気を催すバリウムを飲み、
レントゲン技師の命令通りに、
いつも台の上で
くるくると回って見せている。


高い金を払い、
好きでもないブランデーを飲み、
むっつりしているホステスの前で、
喋りまくって機嫌をとる
社用族でもあるまいし。


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これだけ進んだ世の中で、
なぜもっと簡単にできる方法を
開発できないのか。


15年間で変わったことといえば、
バリウムの量が少し減ったかな、
と思えるくらいだ。


ほんとうは人間ドックなどに入らないで、
自然に任せて生命をまっとうしていけるのが、
一番良いのだろう。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
56日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・03
ブログアップ日 2015・07・03





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【後 述】

現在は、
ここ数年
人間ドッグには入っていない。

ある意味
自然に任せることにしている。

つまり
この一日、一日を大事に
丁寧に過ごしている。

そうすれば、
もし病気が発生しても
自然治癒
(しぜんちゆ:病気やけがが自然に治ること)
してくれるであろう。

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こども心とガキの違い、ガキの増え方に不安 [コラムエッセイ]



「こども心とガキの違い、ガキの増え方に不安」


誰にでもある「こども心」。


というと、
なにか郷愁があり
落ち着いた音の響きがある。


しかし「ガキ」はいただけない。


gaki.png


私には、
わがままで身勝手な権化のように聞こえる。


何を言いたいか、

というと、

まの年寄りというか、
私たち中年
(好きな表現ではないが、50歳前後、
40代、60代くらいまで入るだろうか)
のいかにガキっぽいことか。


厭になるほどだ。


どの世界にも必ずいるはずだ。


特に最近は、
顕著に見かけられる。


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既述した、
車道を右通行してくる自転車に、
いまでは中年の男女もよく見かける。


並んでいる列に割り込んでくる人。


電車などで、
目の前に身体の不自由な人や、
赤ちゃんを抱えた人がいても
平気で座っている人。


みんないい年寄りたちだ。


何とも増えている。


今朝また見てしまった。


車を運転しながら
目の前にペットを置いている人。


dognose.jpg


かなりのおじさんだった。


眠気がとれていない上に、


そんな運転をしていたら、
いつか事故に遭う。


自分とペットだけなら、
自業自得でいい。


他人を巻き込んでしまったら、
それはもう罪だ。


ガキがただ大きくなってしまった
ような大人たちの、
いかに多いことか。


そういう人間でも、
不思議なことに政治の、
社会の、会社の中枢にいたりする。


世の中おかしくなるのも仕方ないのか。


かくいう私も同年代である。


大声でこんなこといえた義理では
ないのかもしれない。


しかしあまりにもひどいので、
ついつい自分のことは
棚に上げてしまったほどだ。


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ほんのちょっとしたことでいい。
少しでも世の中明るく、
ゆとりを持って暮らせるように心がける。


その精神が、
社会・世の中・会社を徐々に変えて行く、
と私は信じている。


こどもが、
こども心をおおらかに育てられるよう、
まずは私たちが実際に示さなければ。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
54日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・01
ブログアップ日 2015・07・02





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【後 述】

ますますこの傾向は
強くなっている。

そういう人間が
世の中を動かしているのだから
良くならないのは当然だ。

などと言っている場合ではない。

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岩渕のスルー、阪口のゴール。今、世界で最も欲している珠玉のコンビネーション [コラムエッセイ]




「岩渕のスルー、阪口のゴール。今、世界で最も欲している珠玉のコンビネーション」


日本時間6月24日午前11時、
現地6月23日午後7時、

カナダのバンクーバーでは
サッカー女子ワールドカップ
決勝トーナメント、

日本対オランダ戦が
幕を切って落とされた。


025816.jpg


どこのチームもこの段階では
しゃにむに突っ走るしかない。


何故なら、
負けたら
そこで帰国せざるを得ないからだ。


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1点を先取した日本だが、
全く油断はできない。


こういう世界を舞台にした戦いは
実力や運を遥かに超えた力が
働くからだ。


楽勝と思えた試合に
何が何だか分からないうちに
敗れてしまったり、

その逆に
勝てる筈もない試合に
あれよ、あれよと言ううちに
勝利の女神が本当の勝ちを
もたらせてくれたりと、

その神秘的な結末のいくつかを
私たちは目の当たりにしてきた。


今まで4年という長い時間
選手たちは練習を重ね

若い心も身体も
ただひたすら

サッカーだけに投じてきたに違いない。


031657.jpg


それは
出場している選手のすべてが
同じであろう。


しかし勝利の女神は冷酷でもあるのだ。


実力とは関係のないところに
力を及ぼすからである。


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日本としては
少なくとも
もう1点欲しかった。


後半の戦いは
なかなか追加点を挙げることが
できなかった。


やっと巡ってきた
チャンスを実らす
始まりは
後半の33分からだった。


大儀見のパスを受けた
宮間はそのボールを
中央へ折り返した。


それを岩渕がシュート

すると思いきや

ボールを外して
後方の阪口へ。


絶好の位置から
阪口はシッカリと
ゴールを決めた。


阪口は岩渕に
「スルー」と声をかけたと言う。


それにしても
その声に応えて
スルーさせた

岩渕の判断と行動は

阪口のゴールに
優るとも劣らない

大きな価値がある。


世界のメディアが絶賛するのは
無理もない。


このような
珠玉のコンビネーションを
誰もが欲しているからだ。


今、
この地球上で最も欠けている
連携であろう。


誰もが自分がヒーローになりたいと
チャンスを狙っている時に

ひとつの目標に何が必要なのかを
知った時、

私欲を超えた行為を
いともたやすく
自然に振る舞うごとくする。


そんな行為に
世界はエールを送るのである。


もし与えられるものなら
スルーした
岩渕真奈選手と

声をかけた
阪口夢穂選手のお二人に

「コンビネー賞」を贈って
称えたいものである。




執筆年月日 2015・07・01





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【後 述】

いよいよ日本時間7月2日、
明日の準決勝では、
今までに勝ったことのない
イングランドとの試合に臨む。


再び珠玉のコンビネーションを
見せてもらいたいものである。


そして
勝利の女神を呼び込み

決勝で優勝へと導かれる
大いなる勝利としてもらいたいと

期待し祈念する者である。

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経済的基盤、もう単なる数字の羅列で先行きを計ることは止めよう [コラムエッセイ]





「経済的基盤、もう単なる数字の羅列で先行きを計ることは止めよう」


economy.png


いまサラリーマンの間で、
中年からの後半生を、
エンジョイする志向が
高まっているようだ。


その根拠として、
実際にエンジョイ志向を具現化した、
あるタレントの単行本が
予想以上に売れているらしい。


私はその本を読んでいないが、
著者の私生活を特集した雑誌などは
何度か目にした。


たしかに華やかさと
リッチな面が伺い知れ、
羨ましい限りだ。


しかしサラリーマンが
同じような生活を望んでも、
実現にはかなりのギャップがある。


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たまたま新聞で、
その本を紹介していた。


記事のなかに、
著者がまとめた
「好きに生きるための優先順位」
を紹介していた。


① 健 康


② 良きパートナー(妻) 


③ 複数の趣味


④ 財政的裏付け(持ち家)


だそうだ。


①に関しては、
ほとんどの人が同意するであろう。


何を言っても、
死ぬまで生身なのだから、
まずは健康だろう。


②に関してもうなずける。


かみさんが良きパートナーでなかったら、
人生半分失ったも同じだろう。


記事は、
財政的裏付けを、
四番にもってきているのは
異議があるだろう、
と書いていたが、

私は③の、
複数の趣味、
ということにも異論がある。


私の持論として、
趣味のレベルでは、
長い後半生を過ごすには無理がある。


やはり趣味のレベルを
二つも三つも超えた、
プロレベルにしておかなければならない、
と思っている。


アマチュアからプロへ。


生活のできる、
つまり経済的基盤になる
くらいのレベルでなければならない、
ということだ。


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もちろん④の位置づけにも異論はある。


いずれにしても四つの条件は、
どれが優先などという、
まとめ方自体がナンセンスなのだ。


どれひとつ欠けても駄目。


そして趣味は趣味のレベルでは長く持たない。


趣味で経済的基盤を築くのが、
王道だろう。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
785日目の記事である。

執筆年月日 2000・07・01
ブログアップ日 2015・07・01





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【後 述】

実際に現在は
多様化というよりも

余りにもかたよった
経済的格差が出てきている。

それと同時に
今までの定石的経済指標では
経済の行方を計れない。

例えば先週、
株価が18年ぶりの高値を
付けたが

これによって
一般生活者が経済が回復傾向に
あるなどとは思ってはいまい。

それどころか
ニュースなどで報じられる
経済に関する数字は

もう
単なる数字の羅列に過ぎず
生活の先行きを予想できる
ものではなくなっている。

このことを
もっと政治家や経済学者たちは
肌で感じるべきであろう。

本当に国民が幸せになる
経済的基盤は何なのかを
真剣に考えて欲しいものである。

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