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バナナハンガー [コラムエッセイ]


「バナナハンガー」



先日かみさんが、
100円ショップから木工品を買ってきた。


長軸が20㎝程度の楕円形の台座の端に、
ブーメランのような形をした物を立てて、
そこに丸いフックを三つ付けた単純な品物だ。


高さにして約30㎝ほどの物だ。


「これ何~んだ?」


かみさんから得意顔で質問された。


私は初めてみたので、何だか分からない。






カップやスプーンを掛けるでもなし、
台所の品々を見回したが見当もつかない。


「降参……?」


いずれミステリーなどにも
挑戦しようと思っている私は、
降参するのはと思いながら、

「もう少し待て」

と言ったものの、30秒もしないうちに、

「何だ、……」と降参してしまった。



「バナナを掛ける台よ、知らなかった」


banana.png


「丸いフックにどうやって掛けるんだい」


「房ごと掛けるのよ」


「ふーん、バナナハンガーか」


この品物が、本当にバナナハンガー
と呼ばれているのかどうかは定かではない。


しかし面白い物があるものだ。


かみさんは、
ここに房ごと掛けておくと
傷みにくいという。


たしかに自然に近い状態なので、
傷む速度は遅くなるだろう。






100円ショップも面白い物を仕入れるものだ。


これは製造現地で購入したら、
たぶん日本円にして
数十円するかしないかだろう。


さらに大量仕入れだろうから、
かなり安価だと思う、
などとつい購買の職業病が出てしまう。


しかし日本で作ったら、
安くても数百円はするだろう。


こういう物を紹介し、
100円という価格で販売するだけでも、
100円ショップの存在価値は充分にある。


世の中にはみたこともないような品々が、
まだまだたくさんあるはずだ。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
873日目の記事である。

執筆年月日 2000・10・27
ブログアップ日 2015・10・31




【後 述】

現在、わが家では
バナナの保存には
執筆年月日2000・04・01の記事

「長持ちさせる保管方法、  バナナも人間と同じように年をとる」

で、紹介させていただいているように
発砲スチロールの白い箱に入れて
保管している。

banana.png

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怒りの処理 [コラムエッセイ]



「怒りの処理」



今日は会社を休んだ。


コンピューターの故障により、
サービスマンにきて貰うためだ。


午後にくるというので、
朝はゆっくりとウォーキングに出かけた。


いつものように、
かみさんと
色々な話題を取りあげながら歩いた。


そんな中で彼女は、
「怒りの処理は、仕方によっては
人の人生が変わってしまう」といった。

angry01.png

なるほど、
いつもながらするどい指摘をするなと思った。


どちらかといえば
短気で感情を剥き出しにしてしまう、
私に対する戒めも含まれていたのだ
とは思うが。






ストレスを溜めるよりも、
自分の感情に任せて行動をする方が楽だし、
精神衛生上は良いのかもしれない。


サラリーマンの場合、
そう単純にはいかないが、
というより普通の社会生活をしていれば、
何から何まで感情に任せて処理はできない
と思う。


そんなことをしたら
秩序もなにもなくなってしまう。


瞬間爆発する怒り、
徐々に大きくなってゆく怒り、
ストレスとして溜りに溜まった結果、
出るべくして爆発する怒り、
それぞれ怒りのパターンがある。


私は自分の怒りはできるだけ冷静に、
相手に伝えたいと思っている。


しかしそれは、
ときと場合によっては、
相手を精神的にも、肉体的にも
傷つけることになりかねない。


しかしあまり恐れていても、
ストレスが溜まりすぎ、
自分の身体や精神を傷つけることになる。


怒りを何かで昇華できれば
一番良いのだろうが、
なかなかそうはいかない。






社会の様々なトラブルを考えるとき、
そういった怒りのエネルギー、
自分では御しきれない
若い人たちのエネルギーを、
ひとつのベクトルにして、
有効に活用する方法はないのだろうかと、
思案に余る。


angry02.png


社会の仕組みが複雑になりすぎてしまい、
そんなことはいまや夢物語なのか。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
174日目の記事である。

執筆年月日 1998・10・30
ブログアップ日 2015・10・30




【後 述】

昨今起こっている
様々な不可解な事件の裏には

怒りを御しきれず
爆発するに任せたと思われるような
ものが実に多い。

怒りのエネルギーの使い方を変えて
方向修正することができれば
新しい道が開かれるのだが、……

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勇ましい [コラムエッセイ]



「勇ましい」



今朝、かみさんとウォーキング中、
いつものように折り返し点で
簡単なストレッチ体操を始めた。


すると六十代の
ウォーキングをしていた男性が近寄り、
「あなたたちふたりで柔軟体操をしている姿、
遠くからみていると勇ましいね」、といった。


isamasi01.png


私たちは愛想笑いを返し、
すぐ折り返した。


歩きながらかみさんは、
「あの男性、勇ましい、ていったわよね」
と私に確認した。






私も、男性がどういう意味で
「勇ましい」
といったのか分からなかった。


ふたりでストレッチ体操をしている図が、
勇ましくみえたのだろうか。


私たちにとっては、
まったく意外な言葉だった。


しかし私たちとは別の角度から、
他人が我々をみていることもある。


また、私たちが気がつかないだけで、
傍目にはまったく違った絵になっている
こともあるのだろう。


それは日常生活でもいえるのではないか。


会社での自分、家での自分、友人間での自分、
あらゆる立場での自分が、
想像している自分とまったく違って
他人の目に映っている、
ということがあるのだろう。


想像以上に悪く映っていることもあれば、
良く映っていることもあるだろう。


いつも冷静に自分をみていれば、
あるていどは客観的にみられるのだろうが、
人間なかなかそうはいかない。


誉められれば、必要以上に増長したり、
けなされれば不要な劣等感に苛まれる。






自分の作品も同じことだろう。


作品には人格があると信じているので、
扱われ方によっては、
次の作品に大きく影響するかもしれない。


だから、
いつも心身共に健康を保っている
必要があるのだ。


そして、冷静な判断力と弛まぬ勉強によって、
自分を、作品を、客観的に見詰める眼を
養わなければならないと思っている。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
174日目の記事である。

執筆年月日 1998・10・29
ブログアップ日 2015・10・29




【後 述】

人間、身体が衰えて行くのは
自然現象だから致し方ない。

肉体的には弱くなっても、

精神的には
日ごとに新しくされ
若やいで行くように思える
今日この頃。

isamasi02.png

感謝である。

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移 動 販 売 [コラムエッセイ]



「移 動 販 売」



昨夜遅くに雨戸を閉めようとして、
ガラス戸を開けたら、

チャルメラの音が聞こえた。


珍しいなと思い、
懐かしい音色に聞き入っていると、
だんだん近づいてきた。


ベランダから望むと、
住宅街の路地を、
軽トラックがゆっくりと走って行くのが
見えた。


夜泣きそばの車だった。


世の中変わった、と思わざるを得ない。


なぜなら、
夜泣きそばが車で動かれてしまっては、
チャルメラの音を聞いて外に出たら
もういない、ということにもなりかねない。






もう慣れたが、
それをよく石焼きいも屋の移動車で経験する。

mobileseller01.png

「いしやきいも~」、
という声を聞いて外に出てみると、
すでに足では届かない場所へ
行ってしまっている。


なぜ私が石焼きいも屋を追いかけるのか、
それは娘のために他ならない。


わが家は女性天国なのだ。


それはともかく、
移動車であってもいいから、
石焼きいも屋や夜泣きそば屋は、
消えずに残っていって欲しいものだ。


もうひとつ、懐かしい売り子がいる。


私は買ったこともなければ、
近所まで売りにきている様子もないようだが、
下車駅からの帰り道で行き交う豆腐屋だ。

mobileseller02.png

かなりの年配者で、
夜の八時から九時ごろに、
自転車の荷台に豆腐入れの木箱を載せ、
家路に就く姿を見かけることがある。


売り子が腰に下げている、
「プーッ」と鳴るラッパを吹きながら
売っているのだろう。


売り子が自分の手で作った物を、
対面で手渡しする。

そこに何か通うものがある。

そう考えるのは
センチメンタル過ぎるだろうか。






そんなことをしなくても、
いつ行っても開いている
コンビニがあるではないか、
という意見もあるだろう。


しかし移動販売は、
考え方によってはコンビニより便利だ。

mobileseller03.png

いまどき向こうから来てくれ、
こちらの都合で購入できるのだから。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
904日目の記事である。

執筆年月日 2000・10・28
ブログアップ日 2015・10・28




【後 述】

もう、焼きいものシーズンがきた。

いまやスーパーやコンビニで
店頭にコーナーを作り
販売している店も多く見受けられる。

私は、妙な気分に襲われる。


こうして血の通った販売行為は
消えて行き、

いずれは全くなくなってしまいそうな
気持ちに襲われるのだ。


サービスという言葉に
人が人に対して行う行為という
解釈はなくなり、

機械や物が
人に対してそれこそ機械的に
施すだけのものに
なってしまうのではないか、
という危惧である。

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睡 魔 [コラムエッセイ]



「睡 魔」



一日に何回となく襲ってくる睡魔。


人間は身体のリズムからいって、
昼寝をするのが望ましいようだ。


かといって、
それを実現できるのは主婦、自由業、
夜の仕事をしている人たちくらいだろう。


夜勤の人たちは昼間寝るからといっても、
いわゆる昼寝とは意味が違うので、
その範疇からは外れるかもしれない。


私は昼食の二時間後、
三時ごろが最悪だ。


nap01.png


この時刻に来客があったり、
会議だったりしたらもう駄目だ。


話し手になっている間はいいが、
一旦聞き手にまわってしまったらお手上げだ。


睡魔に活躍されてしまう。


睡魔は引力の法則に従って、
上瞼を下へ落としてくる。


それを持ち上げようとするが、
自力ではもうなす術はない。






そんなわけで、
休日の三時ごろはよく昼寝をする。


ついつい二時間前後寝てしまう。


せいぜい二、三十分が、
最も効果的な昼寝にかける時間のようだ。


かみさんも私と同様二時間前後寝ている。


二度目の睡魔は午後十時ごろである。


書き始めて、
原稿用紙二枚目を過ぎたあたりから
襲ってくる。


今度は乗り切っても後が続かない。


正真正銘の睡魔で、
午睡のような甘い奴ではない。


一日の中で一番大きな、
生理現象としての睡魔だ。


特に金曜日の夜。


一週間の疲れを引きずり込んで、
睡魔のブラックホールへ
落ち込んで行くようだ。


いままさにその状態である。

nap02.png

打ち負かそうと踏ん張るが、
心地よい疲労感にサポートされ、
勢いづいた睡魔を
自力で止めることはできない。






粘り強い睡魔をコントロールできる人は、
ほとんどいないだろう。


脳細胞の要求事項だから、
あまり逆らえば身体自体が
おかしくなりかねない。


でも書き終えるまでは何とか頑張らな……。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
903日目の記事である。

執筆年月日 2000・10・27
ブログアップ日 2015・10・27




【後 述】

未だに状況は変わっていない。

つまり、人間にとって午後の昼寝は
必須事項なのである。

元々逆らえることではないようだ。

だったら、ほんのちょっぴり
寝かせてもらえば良い。

実際、会社や学校で
昼寝時間を設けている組織もある
と聞く。

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法人の自立 [コラムエッセイ]

「法人の自立」



人間だけでなく、
名実ともに自立している、
法人たる会社や組織が少なく思える。


昨今の倒産劇や不祥事が、
それを示している。


まだ相当な予備軍がいるのではないか。


組織としての法人自体が、
サラリーマン化してしまったのだ。


もちろん最も大きな原因は、
内部の細胞たる、人間自体の問題である。


jiritsu01.png


会社は人間があって初めて成り立つものだ。


などといえば、
青臭い書生と思われるだろう。


たしかに理想論だ。


現実には会社があり、
初めて人間が生かされている。






会社というヒト、
つまり法人が自立せずに
だらだらやっていると、
そこに寄生しているサラリーマンも、
同様に育って行く。


その人たちが、
幹部という大脳や心臓、肝臓になったとき、
もういまさら拭えない、
しみついた寄生の精神が自立を妨げる。


それこそ幹部になった人たちが、
会社の患部になってしまう。


世の中に、
フォローの風が吹いていれば
ほとんど問題はない。


しかしアゲインストになると、
たちまち右往左往することになる。


とは言え、
法人が自立するには相当のエネルギーがいる。


まず一介のサラリーマン一馬力では、
とても不可能に近いだろう。


私利私欲に走りがちな上層部の人間では、
もちろん無理に決まっている。


使命感に滾る(たぎる:激しく流れる)
ような情熱を持った
努力家でなければならない。


さらにトップか、
それに近い実力を、
社内で持っている人間でなければならない。






会社の自立とは、
一流大学である
東京株式市場の一部に上場することではない。


しっかりした意志を持つことである。


自分の生き方をはっきりと、
各細胞や毛細血管にまで行き渡らせることだ。


血液の循環を良くし、
常に溌剌とした前進ができる体力、
知力を備えることだ。


そうなったとき、
初めて人がいて、会社があるといえる。


それには焦らず不摂生を控えることだろう。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
536日目の記事である。

執筆年月日 1999・10・26
ブログアップ日 2015・10・26




【後 述】

この記事から16年が過ぎたわけだが
益々この法人の自立は難しくなっている
と言えよう。

というよりも、
未成年のまま
大人のような顔をしている法人の
なんと多いことか。


jiritsu02.png

それに昨今では、
いい大人(老舗や超一流の有名法人)が
えっ! と驚くような不祥事の連続である。

これは日本だけに限らず
世界的になっているのも
現在の法人の特徴である。


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日本シリーズ(0N戦) [コラムエッセイ]



「日本シリーズ(0N戦)」



本年の日本シリーズは、
ミレニアム決戦に相応しい、
夢のようなカードになった。


シーズン前からできたらいいな、
という希望で報道されていたON戦が、
ほんとうに実現してしまったのだ。


baseball01.png


一昨日で三戦を終え、
王監督率いるダイエーの二勝一敗
という戦績で、中盤戦に入る。


本日は中休みだ。


ON戦というのは、
私たち団塊の世代には、
あって欲しいような、
あってはならないような、
禁断に近い決戦だ。






野球は巨人ファンであれ、
アンチ巨人であれ、
歴史から言えば
巨人あっての日本プロ野球界であったことは、
誰も否めないと思う。


そんな巨人が、
私の知る限りでは、
一番強かった時代を、
花形スターであった長嶋と、
世界のホームランキングである王が、
共に作り上げたのだ。


その両雄が戦うことなど、
一方ではあって欲しくない所以である。


報道も両監督を中心に流しているので、
どうしても長嶋・王の一戦になってしまう。


最近団体スポーツの中心人物は、
監督になってしまった感がある。


たしかに
昔も話題になる監督がいたかもしれないが、
それ以上にスター選手がいた。


プレイヤーが光っていた。


つまり現代は、
スポーツ界にもスターが存在しない、
ということなのだろう。


チームプレイを尊重する傾向が強くなり、
会社でもスポーツでも、
業界を背負うような
大型プレイヤーはほとんどいなくなった。






たしかに、
経営者もカリスマ的な存在という者が
少なくなった。


いまカリスマとして浮上するのは、
新興宗教の教祖や、
マルチ商法の首謀者くらいだろう。


国や会社の
方向付けをできる人がいなくなるほど、
国民が平均化してしまったのか。


ON戦は、これが最初で最後にして欲しい。


長嶋と王だけでなく、私たちにとっても。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
901日目の記事である。

執筆年月日 2000・10・25
ブログアップ日 2015・10・25




【後 述】

今年も昨日から日本シリーズは始まった。

baseball00.png

一昨日はドラフト会議、
一昨作日は野球賭博と、
プロ野球界も騒がしい。

しかし私ども団塊の世代が
その隆盛の極みを見た最後の世代
なのかもしれない。


プロスポーツ界も多様化している。

物事すべてそうだが、

多様化してくると
どうしても
それに向かうすべての力が
分散してしまうのは
やむを得ないことなのだろう。

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急(せ)いて事を仕上げろ! [コラムエッセイ]


「急(せ)いて事を仕上げろ!」



急いては事を仕損じる、
という諺があるが、
現代社会のスピードからいったら、
そんなことを言ってはいられない。


ドッグイヤーといわれるように、
いまの一年は、
むかしの七年に相当するらしい。


それほどスピードが速いのだ。


もう走り始めたら止まってなど
いられないのだ。


そんなに急いでどうするのか。


151024.jpg


いままで急ぎすぎて、
こんな日本になったのではないか。


なのに性懲りもなく、
なおも急ごうとする。


サバイバルの時代、
取り残されてしまうという恐怖心から、
誰もがスピード、スピードと
口から泡を吹いて言い張る。






その速さについてゆけない人間は、
置き去りにしてゆく。


そんな社会は、私にはもう未練がない。


一体彼らは人生に何を求めているのだろう。


豊かさは物質だけではない、
ということを、
もうそろそろ熟知してもいいのではないか。


呆れ返ってしまう。


気持ちを穏やかにして、
もう少しのんびりと、
生活できないものだろうか。


そんなことをしていたら、
ほんとうに日本は
経済がたちゆかなくなってしまうのか。


なんでも他人任せにする、
果ては他人のせいにする。


そんな人間関係しか築けない社会が、さらに
経済的発展をする必要があるのだろうか?


どんな社会になってしまうのか。


そう強く思いながらも、
ネクタイを締め管理職の顔になると、

「急いでくれ!
何とかやってくれ!
すぐにだ!」

と、指示を出している自分が時たま嫌になる。


自分の身体にしみついた結果が、
自然と表に出てきてしまう。






そんな生活を止めるには自分で立つしかない。


まだ数年は、
そんな裏腹な生活が続くだろう。


でも気持ちの中に、
自立の精神がしっかりと宿り始めている。


実感できる。信じて突き進むだけだ。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
534日目の記事である。

執筆年月日 1999・10・24
ブログアップ日 2015・10・24




【後 述】

急いて、急いて、急いて、
今の日本の現状はどれだけ豊かになった?


全く逆である。

本当にこのまま、
相変わらずのやり方では
事を仕損じ、
経済が立ち行かなくなるであろう。

現実、
今の状態はほとんど立ち行っていない
状態なのであるから
これ以上悪化させないで欲しいと願う。


「なんでも他人任せにする、
 果ては他人のせいにする。
 そんな人間関係しか築けない社会が、
 さらに経済的発展をする必要が
 あるのだろうか?
 どんな社会になってしまうのか?」


こんな私の危惧はここ数年の間に
起っている様々な事件に
顕著に表れている。

もう少し、ゆっくりやりたいものである。


151024_2.jpg

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