So-net無料ブログ作成

生きがい [コラムエッセイ]


「生きがい」



「何のために生きるのか」と
「生きがい」は、
似て非なるものだと思う。


どちらも人間が生きて行く上で、
永遠のテーマであろう。


生きがいは、
――妻、夫、子供、家族、恋人、仕事、
富、名声、権力、スポーツ、創作活動、
旅行、賭け事、政治、音楽、バイク、車、
友人、グルメ、
趣味――


ikigai.png


様々なことが考えられるが、
いま挙げた事柄のひとつくらいは、
誰でも心あたりがあるだろう。


【スポンサードリンク】






50歳前後のサラリーマンにとって、
「生きがい」は仕事、
という人は多いであろう。


「何のために生きるのか」がわからないまま、
仕事に「生きがい」を求め、
わき目も振らず働いてきた結果、
バブルが弾けた煽りで
我々自身も弾き飛ばされそうになっている。


すでに起こっている
50代前後の就職難は、
「生きがい」を揺るがす力を持っている。


つまり「生きがい」が揺るげば、
「何のために生きるのか」
がわからないまま死に向かい、
自暴自棄にもなりかねない。


そうならないために、
仕事が「生きがい」のサラリーマンは、
いまからでも、
自分にとって真の「生きがい」
を探す必要がある。


探し出した「生きがい」を、
少しでもいいから
収入を得られる仕事にする準備をするのだ。


ただし懸命に努力をしなければならない。


努力をすれば何とかなる、
と私は信じる。


【スポンサードリンク】






「生きがい」をみつけられれば、
「何のために生きるのか」が
見えてくるだろう。


そうなれば、あと20~30年あるのだから、
何かができる。


努力できる。


精進もできる。


情熱を断絶させずに生き抜ける。


一日、一日を大切にするだろう。


いままでの数倍もある、
生きている実感を得られるだろう。


着実な一歩一歩の足取りを、
自分自身で確認できるようになるだろう。


そこまでくれば、
志の途上で果てても納得ゆくだろう。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
196日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・20
ブログアップ日 2015・11・22




【スポンサードリンク】





【後 述】


上記事文中の


【すでに起こっている
50代前後の就職難は、
「生きがい」を揺るがす力を持っている。

つまり「生きがい」が揺るげば、
「何のために生きるのか」
がわからないまま死に向かい、
自暴自棄にもなりかねない】


という17年前の私の危惧に
思い当たる人も多いと思う。


実際に起こった事件や騒動で
明白になっている。


何もこれは日本だけのことではない。


世界で起こる
様々な現象の遠因のひとつになっているのは
間違いない。

さらなるサラリーマンの話題はこちらから
にほんブログ村 サラリーマン日記ブログ 戦うサラリーマンへ

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

懐 中 時 計 [コラムエッセイ]


「懐 中 時 計」



懐かしい、
といってもやや意味あいが違う。


私の場合、
懐中時計が流行った時代を
懐かしむのではなく、

一時レトロ商品として流行ったことを
懐かしんでいる。


私が学生のころだった。


腕にする時計と比べ趣がある、
などといって好んで持ち歩いていた友人も
何人かいた。


その懐中時計を、つい買ってしまった。


watch.jpg


日曜日に、
突然私の腕時計の電池が切れてしまい、
電池交換をしに行った。


そこで見付けたのが懐中時計だった。


【スポンサードリンク】






いまは、
ややもすると電池交換などするよりも、
新品を購入した方が安い場合がある。


駅前の写真屋に、
たくさんの安物腕時計が置いてある。


目移りがするほどだ。


どれも電池交換をする程度の金額で
買える商品ばかりだ。


なぜ、こんなに安くなってしまったのか。


それまで、日本の時計メーカー各社は、
完成品を作ってきた。


あるとき世界の競争が激化し、
日本のある完成品メーカーは、
事業の大転換を図った。


つまり、
ムーブメント(時計の機械部分)の
専業メーカーに変身してしまったのだ。


これが飛躍的に腕時計の価格を下げた
最も大きな理由ではないか。


私が10年前くらいに
輸出業者から聞いた値段で、
すでに1個100円を切っていたくらいだ。


心臓部が100円ですむならば、
完成品の価格も推して知るべしだ。


大きさ、
使用されている部品や
販売数量の違いからいっても、
他の安物腕時計と同価格だったのは、
私に割安感を与えた。


つい手が伸びてしまった理由はそこにある。


【スポンサードリンク】






実際一日だけ使用してみたが、
私のような忙しい仕事をしている人間には
不向きかもしれない。


いちいちポケットから取り出すのさえ
億劫になる。


結局次の日、
懐中時計と同じ代金を払い、
腕時計の電池交換をした。




私がこの記事をかいたのは、
15年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
922日目の記事である。

執筆年月日 2000・11・15
ブログアップ日 2015・11・15




【スポンサードリンク】





【後 述】

いまや時計に対する代価は
両極端になっている。


まさに消耗品のような価格から
とんでもない目の飛び出るような
価格まで。


これは私の実感だが、
時計と同じように
私たちに与えられた
時(時は命なのだが)も

同様に扱われているような
気がしてならないのだが・・・・・・

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ハグとくちづけ [コラムエッセイ]

「ハグとくちづけ」



私がかみさんと一緒になってから、
あと数ヶ月で満20年になる。


この20年間、
毎日彼女にしてきたことがある。


朝出がけに、
くちづけをすることだ。


kuchizuke.jpg


どんなに忙しくてもかかさず、
くちづけという挨拶をしてきた。


感謝の気持ちを込めて、
また、いまは何があるか分からないので、
万一の挨拶になるかもしれない
という気持ちも含めて。


【スポンサードリンク】






このことを、
部の懇親会で話したら
皆から冷やかされた。


愛情の具体的な表現であり、
最も簡単な方法である。


こんなに手軽な、
それでいて、
互いの愛情表現を確実にできることを、
なぜ他人はしないのだろう。


私は欧米人を礼賛する者ではない。


しかし、
出がけのくちづけだけは
すばらしい習慣だと思っている。


愛情の表現は、
恥ずかしがっていたらできない。


結婚して20年もたったら、
何もいまさらというかもしれないが、
そんなときにこそ、
具体的な愛情表現が必要なのだ。


毎日必ず夫婦生活を営んでいるというのなら、
何も出がけにくちづけでもないかもしれない。


しかしそんな夫婦にも、
朝のくちづけはさらに効果てきめん
となるだろう。


喧嘩をしているときでも、
自然と出がけにくちびるが出てしまう習慣は、
夫婦円満のこつになるかもしれない。


サラリーマンにも、
ストレスにやられないで、
会社で円満にやるこつがある。


会社を出たら、一切仕事を忘れることだ。


【スポンサードリンク】






意識的に会社と自宅を、
キッチリ分けることだ。


そうすると、仕事を忘れることができる。


中途半端にでなく、完璧に忘れることだ。


自分で起業しようと思っている人は別だが、
たかだか、なっても役員どまりだ。


役員どまりのサラリーマンなら、
土、日は、
仕事に別れのくちづけをしたほうがいい。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
187日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・11
ブログアップ日 2015・11・11




【スポンサードリンク】





【後 述】

未だに
朝の出がけの挨拶は口づけである。

それにさらに増えたことがある。

出がけの口づけと共に
ハグもいつしかするようになった。

帰宅事もハグをする。

この習慣は良い習慣である。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

パッチワーク [コラムエッセイ]

「パッチワーク」



私は、自分の会社だけが、パッチワーク的に
事業を遣り繰りしていると思っていた。


しかしバブル崩壊後の、
日本の政治や経済をみると、
まさしく我社はその縮図であった
ことが分かった。


日本全体がパッチワークで戦後の政治、
経済を凌いできたのだ。


patchwork.jpg
(本来のパッチワークは素晴らしいのだが)


【スポンサードリンク】






親方日の丸の精神は、
公務員だけではなく、
金融機関、大会社等にも色濃くみられる。


そして我々中小企業にも伝染していたのだ。


何の疑問も抱かずに、
毎日が暮らせると思っている。


これでは豊富にある資源も
早晩枯渇するのはあたり前だ。


こんな時代には、大改革者が必要になる。


さいわい、我社は新しい指導者になったので、
期待に応えてくれると思うが、
日本はどうなってゆくのだろう。


若い大改革者は今のところいない。


若手のプリンス的な台頭はあったが、
大改革者にはほど遠いレベルだった。


私は一庶民として、
無責任にいわせてもらっている。


とはいっても
我々の税金でバックアップしている
政治家たちは、
一体何様気取りで仕事をしているのだろう。


昔からある話だが、
政治資金の横領や、
権限の悪用で私腹を肥やす。


相変わらずの世界だ。


何百人もいる国会議員の中に、
数人そんな輩がいるのは
やむを得ないかもしれない。


しかし同時に、
政治・経済にずば抜けた能力を持つ者が
数人いてもおかしくないはずだ。


それがまったくいない。


皆、中途半端な中粒の者たちばかりに
みえてしまう。


【スポンサードリンク】






発言等を聞くと、
尤もらしい考えの議員もいる。


しかし有言実行ができて、
初めて政治家といえるのではないか。


持論を説明するだけなら、
学者か評論家になればいい。


政治家として認めてもらうには、
実行以外にはないと思って貰いたいものだ。


作家として認めてもらうには、
良い作品を書く以外にはない、
のと同じように。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
186日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・10
ブログアップ日 2015・11・10




【スポンサードリンク】





【後 述】


相変わらずの政界ではある。

悪法の乱立、外交のへたさ、
何を取りあげても
これからの日本を憂いてしまうのは
私だけだろうか?

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

一旗揚げる [コラムエッセイ]


「一旗揚げる」



男なら一旗揚げたいと思うのは、
ごく普通の考え方だろう。


個人の価値観によって一旗は様々で、
大小まちまちかもしれない。

hitohata.jpg

たとえ結果が出なくても、

一旗揚げて生きた証を残したい
と願うのは、

人生を生き抜く上で

決して悪いことではない、
と私は思う。


【スポンサードリンク】






私が30代の終わりに、
仕事で韓国の知人を訪問したとき、
別れ際に
「ボーイズビーアンビシャス!」
といわれた。


当時その方は50代だった。


なぜいまさら、
私のような中年で干からびた男に、
と思った。


そのとき、英語で話したのか、
日本語だったのか、
ハッキリとは覚えていない。


彼から、
いつまでもサラリーマンでもないだろう、
大志を抱いてやれば年齢は関係ない、
あなたならできる、がんばれ!

と意味もなく、
しかし強く励まされた記憶がある。


私が作家になることは、
私の生きた証を残したいということも含めて、
一旗揚げたいという具現化でもある。


経済的にも成功したいし、
名声も得たい、

偽らざる気持ちだ。


不純な動機だという人もいるかもしれないが、
いまの作家たちにしたって、
半分以上が
似たような動機だったかもしれない。


しかしいま、純文学の本が売れない。


面白くないからか。


現代はあらゆるメディアが交錯している。


そんな中で
何の工夫もせずに売れる本など
書けるわけもない。


旗も揚げっぱなしでは風雨にさらされ、
ボロボロになる。


【スポンサードリンク】






例えば、

行き帰りの通勤時間、
二、三十分で区切りよく読めるもの、

次を早く読みたいと思わせるようなもの
にしなくてはならない。


短編にするのか、
中編、長編にするのかよりも、
読者が作品を読み続けたい、
と思わせるものを書かなくては。


大志を抱くのは自由でいい。


私も及ばずながら
こうして毎日亀の歩みをしている。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
181日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・05
ブログアップ日 2015・11・05




【スポンサードリンク】





【後 述】

活字の世界が
いつの日か
なくなるのではないか。

その時に文学というのは
どのように変わって行くのか。

もう
想像もつかない
世界である。

すべてがコンピューター制御される
世の中だ。

車の免許も
いずれいらなくなるだろう。

まさに自動車(自動で動く車)
になってしまうのだから。

文学も人工筆者なる者が現れて
すべてをプログラミングされて
書きだされる画面で
文学らしき作品を
読むようになるのだろうか?

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

無理・無駄・斑(ムリ・ムダ・ムラ) [コラムエッセイ]


「無理・無駄・斑(ムリ・ムダ・ムラ)」



よく現場などで聞かれる
「ムリ・ムダ・ムラ
(作業から無理・無駄・斑をなくせ
という標語)」であるが、

それを唱えて推進している
張本人の私生活が、
ムリ・ムダ・ムラだらけ
だったりするのは珍しいことではない。


仕事上のスローガンには、
実生活にもよくあてはまる言葉が多い。


「ムリ・ムダ・ムラ」も、
ある意味では人生の機微を
示唆しているかもしれない。


【スポンサードリンク】






無理(ムリ)はたしかにしない方が良い。


muri.png


必要なときもあるにはあるが、
人生という長いスパンで考えた場合、
無理は禁物かもしれない。


無理をし続けると、
回復能力を失ってしまう。


それでも若いときは、
度合いが分からずに
無理をしすぎる局面もある。


継続は最大かつ最強の力だ、
ということに気がつけば、
回復能力は絶対的に必要となる。


間断なく続けるには、
あまり無理をして
回復不能になってはならない、と分かる。


無駄(ムダ)は、あるていど必要か。


muda.png


無駄だらけではまずいが、
あっても良いのではないか、と私は思う。


無駄という言葉のニュアンスが、
不要なものという印象を与えてしまうが、
「あそび」と考えれば、
むしろ必要なものであろう。


ある意味では無駄と無理は
表裏一体なのかもしれない。


無駄をするから、
無理をせずにすむという考え方もできる。


無駄を突きつめ押さえこんでゆくと
無理につながる、
ということもいえるのではないか。


ふたつのバランス感覚が非常に難しい。


【スポンサードリンク】






斑(ムラ)はない方が良いが、
みんな結構斑がある人生を
送っているのではないか。


mura.png


特に私自身は、
斑の多い人生だったかなと思う。


あれも、これもと、
やりたいことだらけで、
何もまとまったものがなく、
中途半端だったな、
と骨身にしみている。


これからは、
ひとつづつしっかりやるつもりだ。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
180日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・04
ブログアップ日 2015・11・04




【スポンサードリンク】





【後 述】

私は相変わらず、
ムラの多い人生を送っているのかもしれない。

しかしそれは、
詭弁(きべん:こじつけ)かもしれないが、

ムリをせずに済み、
ムダのない人生なのかもしれない。

目いっぱい
あれもこれも
やりたいことを
追及して
やり尽くしたい。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

回 復 [コラムエッセイ]


「回 復」



私のコンピューターは回復したようだ。


先週金曜日に、
修理のためサービスマンにきてもらった。


最初は二、三回フリーズ(突然停止)したが、
その後はいままでにない快適さで
何事もなく動いている。

回復したのだ!


kaihuku.png


私もそろそろ回復してきた。


二回目の投稿結果を、
十月末までに知らせるというので、
もしかしたらと本日まで待っていたのだが、
やはり駄目だったようだ。


ストーリーが甘すぎたか。

文章が下手だったのか。

構成がまったく悪かったのか。

いずれにしても踏ん切りがついた。


回復したのだ!


【スポンサードリンク】






回復すると元気が戻る。


またやってみようと思える。


人生その繰り返しだろう。


回復するには、
あるていどの時間が必要だ。


スポーツのインターバルトレーニングでは
ないけれど、人生にも必要な訓練だろう。


私は学生時代にサーフィンをやっていた。


台風が近づいている海に出て、
ワイプアウト
(サーフィンの板から海に落ちる)すると、
いつもの数倍も凄まじい力で波に巻かれる。


もう空気が吸えなくなるのではないか、
窒息死だけは勘弁してくれ、
と思いながら
やっとの思いで海面に浮かびあがる。


もうイヤダ!


こんな思いまでして何になるのだ。


と思うのだが、
砂浜で休んだ肌から海水が消えたころ、
またムクムクと
「もう一度挑戦してみるか」、
という気持ちが出てくる。


回復したのだ!


【スポンサードリンク】






回復するから、
また挑戦することができる。


回復しなかったら、
そこで終わりだろう。


若いときは、
心身の回復を待たずに
続けて挑戦することもできた。


それでも潰れなかった。


身体にも、心にもバネがあったからだ。


しかしいま最善の方法は、
インターバルをとることだ。


そうすれば次の挑戦に、
万全の態勢で臨める。


インターバルの時間は長くもなく、
短くもなく、
というのが一番だろう。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
179日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・03
ブログアップ日 2015・11・03




【スポンサードリンク】





【後 述】

人間の肉体は
年齢を重ねるにつれ
負荷を負った時の
回復は遅くなってくる。


しかし、
精神は年齢を重ねるにつれ
負荷を負った時の
回復は早くなってくるようだ。


と言うよりも
負荷のダメージが
若い時と比較して
軽く感じられるのかもしれない。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

言葉の乱れ [コラムエッセイ]


「言葉の乱れ」



いつの時代も、
我々年代の者たちが若者に向かって、

「いまの若い人は言葉使いが乱れている」
というのだろうが、

「いまは若者だけでなく、
いい大人も言葉使いが乱れている」
といわざるを得ない。


「びびる」、「やばい」などは、
あるていどの年齢で、
良識のありそうな方でも、
結構使っているのを耳にすることがある。


yabai.jpg


私は生まれた土地柄、
あまり言葉使いの奇麗な場所では
なかっただけに、

奇麗な言葉、汚い言葉に
敏感なのかもしれない。


【スポンサードリンク】






特に前述した「びびる」、「やばい」
などという言葉は、

私たちが若いころ、
突っ張っていたころに好んで使った、
チンピラ言葉だったように記憶している。


手持ちの国語辞典を開いてみると、
20年以上前の辞典には出ていない。


5年から10年前の辞典なら、
出ているものもある。


辞典によれば、
言葉としてはむかしからあったようだ。


しかしどう考えても
いい言葉としてのイメージは皆無だ、
と思うが。


商談中に
このような言葉でやりとりをしていると、
やくざ映画でも見ているような驚きがある。


「先日の注文、納期に間に合わなかったらやばいと思いましてね、必死でしたよ」

「私も間に合わない、
 て電話をもらったときは、びびりましたよ」


bibiru.jpg


まるで、麻薬取引のやりとりだ。


そんな中でつられて
「やばい」とかいっている自分に、
さらにハッと驚く。


【スポンサードリンク】






こういう言葉も
互いに違和感がなければ使用してよい、
ということなのであろうか。


それとも
できるだけ使用せずに
会話をしたほうがよいのか。


・・・・・・


女性のアナウンサーが、
テレビ番組で紹介された食べ物を口に含み
「でかくて、うまいです」
といっている。


言葉も世紀末か。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
178日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・02
ブログアップ日 2015・11・02




【スポンサードリンク】





【後 述】

ことばが乱れると
風紀も乱れる。

風紀が乱れると
社会も乱れる。

社会が乱れると
経済も乱れる。

経済が乱れると
政治も乱れる。

政治が乱れると・・・・・・

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

嗅 覚 [コラムエッセイ]

「嗅 覚」



ちかごろ、
私はもの凄く嗅覚が鋭敏になっている。


かみさんの香水に文句をつけるし、
街中で行き交う人の香水にも鼻が利く。


いままでまったくなかったことだ。


どうしてしまったのか。


nose00.jpg


私は元々アレルギー症なので、
春先は花粉症になるくらいだ。


私の鼻はあまり役に立たない、
と諦めていたのだが、
ほんのかすかな匂いにも、
「なんだ、なんか匂うぞ」と、
他人がほとんど分からないものにも
反応している。


【スポンサードリンク】






真偽のほどは定かでないが、
人間五感のうち何かが衰えると、
残された器官が異常に研ぎ澄まされてくる、
と聞く。


衰えた感覚を他で補おうとするのだろう。


nose01.jpg


しかし視覚、聴覚、味覚、触覚
どれをとってみても、
衰えてきた自覚はない。


ならば何が起こったのか。


いままであまりにも
嗅覚の能力が低すぎたため、
そう感じるのかもしれないとも思った。


つまり、ただ単に、
正常な状態に戻っただけなのだろう、と。


いままで悪すぎたので、
格差を激しく感じるだけなのかもしれない。


ほんとうのところは、よく分からない。


考えられるとすれば、
禁煙から約五ヶ月経過したこと、
ウォーキング・早寝早起き・ストレッチ体操
を始めて、それぞれ約三ヶ月経過したこと、
くらいだろう。


それと、書き始めてから
約七ヶ月経過したこと、……は関係ないか。


良く分からないが、
いずれにしてもひとつの改善だろう。


【スポンサードリンク】






私としては、どのみち改善されるなら、
嗅覚でない別の感覚を改善して欲しかった。


創造力を研ぎ澄ますような感覚、
皮膚の触覚でなく、
脳の触覚(あるとすれば)を
改善して欲しかった。


要は、
書くことにプラスされるような感覚の改善
だったら嬉しかった。


そんな他力本願をいっていては上達しない。


日々精進して
書きまくっていかなければ、
脳の触覚も研ぎ澄まされないだろう。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
177日目の記事である。

執筆年月日 1998・11・01
ブログアップ日 2015・11・01





【スポンサードリンク】






【後 述】

あれから17年経ったのだが、
慣れてしまえば元の木阿弥である。

今はそれほど
嗅覚が鋭いとは感じていない。

と同時に書く方も
どれだけ進歩しているのかも
よく分からない。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
マネーパートナーズで口座開設