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日本はいまや世紀末 [コラムエッセイ]


「日本はいまや世紀末」


日本では、
今年に入ってから様々なことが起こっている。


seikimatsu.jpg


昨年、
2000年問題でフィーバーしたことが
嘘のようだ(この記事は、16年前に
書かれたものです)。


社会的な問題では、
いよいよ民間企業の大きく腫(は)れた幹部
(患部ではなく)から膿(うみ)が出始めた。


小さな企業の大きなミス、
大手のY乳業、
Sデパート幹部の
胡座(あぐら)をかいた経営状態が、
浮き彫りになった。


巨大化した組織、会社に限らず、
スポーツ団体なども、
頂点に立つ人たちの的外れな運営で、
たくさんの問題が噴出した。


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また、
現代社会の歪みを象徴するような
様々な事件が相次いだ。


連続した17歳の殺人事件。


共通して普段は勉強ができ良い子だった、
という。


どうしてあの子が、
と戸惑う隣人たちのインタビューを
立て続けに聞いた。


さらに自然がじわじわと、
いやらしい現象を引き起こしている。


有珠(うす)山の噴火をはじめ、
伊豆七島噴火の恐れ、
連続している地震等、
まさに日本はいまや世紀末だ。


2000年を世紀末としているのは、
先進諸国では日本くらいのようだ、
と去年新聞記事で読んだ。


欧米では、1999年を世紀末と意識しており、
2000年から21世紀は始まるという
考えらしい。


ならば2000年は世紀末でないことになる。


しかしいま、
現実にこうして日本の社会を見ていると、
まさに世紀末のような気がする。


やはり私は、2001年が
21世紀の始まりだろうと確信する。


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世紀末とは、
いやなことばかりではないだろう。


なぜなら、
いまを乗り切れば、
次には必ず新世紀が来るのだから。


世紀末現象は
新世紀を迎える陣痛のようにもみえる。


しかし、よくよく知るべきことがある。


いつの世も、
所詮は人間が考えたことに振り回されている、
ということを。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
798日目の記事である。

執筆年月日 2000・07・14
ブログアップ日 2016・07・27





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【後 述】


つくづく思う。


人間の社会は年数によって
良くなるものではない、
ということを。


16年前はまだ聞こえなかったが、
いまや世界はハッキリと
きしむ音をたてながら壊れ始めている。


私たちは自分の生活の中で
何が一番大切なのかを
今一度省みる必要があろう。

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億劫損(おっくうぞん) [コラムエッセイ]


「億劫損(おっくうぞん)」


億劫という単語は存在するが、
億劫損という熟語はない。


私は億劫していると必ず損をする、
という意味で本日のタイトルにした。


億劫とは、
面倒くさくて気が進まないことを意味し、
『ふだん使っている日本語ものしり辞典』
(日本語を考える会編・角川ミニ文庫)
によると、
次のように記されている。


okkuuzon.png


本来仏教語で、「おくこう」と読む。
「劫」は宇宙が成立し存続して、
さらに破壊されて無になるまでの
時間のこと。
「億劫」はその一億倍をいい、
考えるのもいやなほど長い時間で、
とうてい耐えられないという意から、
だそうだ。


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最近思うのは、
私は億劫がって
結果的には損をしてきたのではないか、
ということである。


何事にも面倒くさがり屋であった私は、
50年近く人生やっても、
何も身についたものがない、
という結果になってしまった。


億劫がらず、
物事にじっくり取組んでいれば、
今ごろ身を助けてくれるものが
身についていたかもしれない。


私はちょっと器用貧乏だったので、
なんでも結構恰好がついてしまった
ものだから、
すべて中途半端になってしまった。


要するに極めようとしない癖が
ついてしまったのだ。


物事は、億劫がることで中途半端になり、
時には失敗することさえある。


それは、ひとつずつ積み上げている、
盤石な意識を持てないからだろうと思う。


やったことが自信につながらなければ、
何度やってもその人のレベルは上がらない。


十年一日初心者だ。


億劫して損をしても、
誰も保証してくれない。


保険をかけたいなら、
自分で億劫がらずにやることだ。


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その前に、
自分としてやるべきか否かを、
適切に判断すべきだろう。


不要なことをいくらやっても、
それこそ大損してしまうだけだ。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
96日目の記事である。

執筆年月日 1998・08・12
ブログアップ日 2016・07・24





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【後 述】


「継続は力なり」とも言うが、
億劫がらずにただ続ければ良い
のとは違うと思う。


自分にとって、
何が必要か、
そしてそのことを億劫がらずに
楽しみながら出来るように工夫し、
継続できれば大きな力になろう。

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ここ一番 [コラムエッセイ]


「こ こ 一 番」


ここ一番に弱い人がいる。


本日の相撲。


十三場所ぶりの優勝をかけ、
断然有利とみられた横綱が、
結びの一番で負けた。


shihai.jpg


その結果、
今場所好調で大関取りを確実にした、
関脇との優勝決定戦になった。


決定戦で仕切っている横綱をみて、
私は彼は負ける、と思った。


たったいま終わった本割の一番と同様、
立ち会いが近づくにつれ、
身体が萎(しぼ)んでゆくようにみえたのだ。


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気負いが身体を萎縮させ、
立ち会い時ピークに達し、
実力をほとんどなしに等しくしてしまう。


ここ一番に弱いのは、
性格からくるのだろうか。


それとも勝負に対する心身の訓練が、
必要度にまで達していないだけなのか。


いずれも当たらずとも遠からずだろう。


個人差のある、
ここ一番での勝負強さも、
訓練を繰り返すことで打ち克てるようになる。


精神的に負けることなく立ち向かい、
勝負に負けたなら、
スッキリできるだろう。


あとは技量の問題だ、と思えるから。


サラリーマンも、
ここ一番という瞬間が、
定年までに何回かあると思う。


大きな契約の瞬間、
莫大な宣伝費を投入した商品販売開始の瞬間、
海外赴任の瞬間、
昇格の瞬間、等々だ。


人生にも様々な局面で、
ここ一番、
というときがある。


できる限り冷静に対応したいと思うが、
必ずしもうまくできないのが人間だろう。


つまり人生でここ一番を要求されるのは、
訓練や準備をしていないことのほうが
多くあるからだ。


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まさしく今まで生きてきた集大成が、
その瞬間で萎縮するか、
充分に発揮できるか。


しかし実際に直面しないと分からない。


作家にとってここ一番は、
自分自身で作り上げてゆくものだろう。


あわてずじっくりと。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
436日目の記事である。

執筆年月日 1999・07・18
ブログアップ日 2016・07・20





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【後 述】


特に
相撲はここ一番に強い必要がある。


ひとつの星の差で
天と地の差が生じる世界だからだ。


今場所、期待されている力士に
ぜひとも優勝して欲しいものである。

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むち打ち症 [コラムエッセイ]


「むち打ち症」


後頭部・肩・腰の痛みが、
首の付け根に集まり、
首のちょっとした動きに鈍痛を感じる。


私は、むち打ち症のようになってしまった。

muchiuchi.jpg

パソコンを打っているのも、
本当は良くないのかもしれない。


しかし、
千日解放は継続することに意義もあるので、
中止するわけにはいかない。


担当医は、
自分でストレッチ体操や
ウォーキングをやらなければ治らない、
という。


運動不足がもたらした、
怠け病なのかもしれない。


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本日、
総選挙の結果が出た(18年前の事である)。


与党は惨敗。


新興党が勢力を伸ばした。


2時間の投票時間延長が、
功を奏したのか定かではないが、
投票率は伸びた。


今もテレビでは、
各党を代表した議員が、
それぞれ自分勝手な発言で終始している。


首相は退陣のようだ。


解散、総選挙のパターンになる可能性もある。


簡単なものだ。


責任を取るといっても、
たかだか首相を辞めるだけではないか。


そんなことは責任を取っているのではなく、
責任逃れに他ならない。


最後まで責任をもって、
景気対策に取り組め! といいたい。


政治もむち打ち症にかかっている。


政治家は、運動不足の上に、
怠け病を患っているのに感づいていない。


いまの首相は、
どう演出したら
一番きれいに有終の美を飾れるか、
しか考えていない。


そう評価されても、何も言えないだろう。


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このむち打ち症は、激痛が走る。


そして痛みを感じるのは国民だけだ。


そう、サラリーマンなのだ。


政治家は痛みを感じていないので、
ますます運動不足になってゆく。


このままでは、日本の政治経済も
私の身体もボロボロになってしまう。


私は、取り敢えず
明日からウォーキングを始めようと思う。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
66日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・13
ブログアップ日 2016・07・13





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【後 述】


今や日本の政治経済は、ボロボロである。

何故なら、
国民が幸せになっていないからである。

私の身体は、お陰様で健やかである。

何故なら、
こうして毎日書かせて頂けるからである。

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狭 い 世 界 [コラムエッセイ]


「狭 い 世 界」


自分の暮らしている世界は意外と狭い、
と最近つくづく感じる。


つきあう人間も限られ、
豊富な話題に取り囲まれているわけでもない。

semai.jpg

くる日もくる日も、
同じような仕事に明け暮れている。


海外の営業をしていたときでさえ、
身体こそ世界を駆け巡っていたが、
大きく広い世界だ、
などという感覚はなかった。


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会う人が仕事の関係者だけに限られていた、
ということもあったろう。


小さな業界の繋がりだけで、
つまらない噂話を耳にする機会が多く、
極端に狭く感じたものだ。


要するに、
情報が筒抜けになってしまうのだ。


秘密情報も一般情報も区別がなく、
限られた世界での、
限られた人たちによる、
限られた情報のやりとりしか行われない。


ほんとうは、
もっと広大な世界があるかもしれないのに、
下手をすると永遠に気づきもせず、
終わってしまう恐れすらある。


そんな環境で、
情報のキャッチボールが始まったら、
受け取らず、投げず、
いったん無視してボールを外してみる。


すると、情報の本質がよく見えてくる。


つまり狭い世界にしてしまっているのは、
他ならぬ自分自身なのだ。


自分が億劫がって努力を惜しんだり、
忙しさにかまけていると、
見える物が見えなくなる。


必然、世界が小さくみえ、
狭く感じる。


そしてその中で振り回されてしまう。


やはりあらゆる角度から物事を捉え、
偏らない習慣を身につけていないと、
小さな狭い世界の中に埋没してしまう。


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それでもいくつかの作品は書けるだろうが、
作家になろうとするならば、
様々な情報を捨取選択して、
世界を広げる作業を知るべきだ。


人生、
やはり死ぬまで永遠に勉強なのだろう。


作家を生業とする以上は、
広い世界を持たなければならない、
と思っている。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
425日目の記事である。

執筆年月日 1999・07・07
ブログアップ日 2016・07・07





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【後 述】


昨今の世界で起こる事件なども
世界を狭める大きな要因であろう。


結局、
人間みずから自分たちの世界を狭め
その結果として争い事によって
解決しようとする。


その繰り返しを歴史的にも
現代においてもやっている。


従って、いつまで経っても
相互理解などというものが
全世界レベルでは
生まれないのであろう。

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責 任 分 散 [コラムエッセイ]


「責 任 分 散」


会議というものがある。


広辞苑などでは、
なにかを決めるため集まって話し合うこと、
とある。


他の辞書をみても、
要は決め事をするために集まることなのか、
といまさらのように再認識する。


現実はどうか。


なかなかそんなものとは縁遠い会議が
多すぎる。


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トップの同席する会議は、
会議ではない。


なぜならば、
決め事をするために集まっている
のではないからだ。


部下を無能呼ばわりしたり、
叱り飛ばしたりする。


そんなことのために忙しい社員を、
大勢周りに集めている。


と、言いたいくらい会議になっていない。


小田原評定というが、
現在の会議はまさしく当てはまっている。


また、稟議というものがある。


ringisho.jpg


ふたたび広辞苑では、
会社などで所定の重要事項について、
決裁権を持っている重役などに
主管者が文書で決済承認を求める、
と、ある。


大勢の部長、
役員が連座して責任を分散させる。


責任の濃さを薄めてしまう。
誰が責任者だかわからなくさせてしまう。


こんなことをしていたのではだめだ。


でも、よくよく考えてみると、
責任を薄めるシステムこそが、
日本のサラリーマンの特徴なのかもしれない。


こうすることで、
ほとんどのサラリーマンが、
つつがなく定年まで生き延びることができた
ともいえるのか。


昔の村組織と同じ閉鎖的な社会である。


そこではみ出た者は、村八分にあうわけだ。


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これからは、
サラリーマンといえども、
こんな会議や稟議は止めるべきだと思う。


そして、
もうこんな会議や稟議で仕事を動かすのが
厭ならば、
サラリーマンを辞めるしかない。


私のように。


千日あれば絶対にできる。


確信している。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
64日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・11
ブログアップ日 2016・07・03





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【後 述】


責任の分散について、

でも、よくよく考えてみると、
責任を薄めるシステムこそが、
日本のサラリーマンの特徴なのかもしれない。

こうすることで、
ほとんどのサラリーマンが、
つつがなく定年まで生き延びることができた
ともいえるのか。

と、18年前に私は書いた。


これは負のシステムではあるものの、
ある意味では相互扶助とも言えた。


つまり、
責任を回避しながらも全体責任とする
傾向があった。


しかし現代は、
このシステムは相互に働いていない
ような気がする。


一方的に上が下に責任を
擦り付けているような傾向である。


まさにこんな制度なら
全く不要なのではないか。

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選 挙 [コラムエッセイ]


「選 挙」


本日は、公職選挙法改正後、
初めて行われた参議院総選挙の投票日だ。


私は4、5年前投票に行ったきりで、
ここ数年行っていない。


senkyo1 (1).jpg


いまの政党は、まず物理的にわけが解らない。


与党も複数だが、
野党においては十数党もある。


過去における野党勢力の結集は、
いまでは逆に分散してしまっている状態だ。


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サラリーマンの稟議(リンギ)と
まったく一緒で、
責任の分散状態を作り、
権力だけに固執しているとしか思えない。


日本社会の、
ほとんどの組織がそんな状況である。


選挙を棄権するのは、
国民として非常に無責任であるが、
あまりにも政治の不可解さと、
亡者的な顔つきの政治家面々には
愛想がつきている。


今回の選挙から、
投票時間を午後8時まで2時間延長した。


果たしてそれが
投票率アップにつながるのだろうか?


こんな小手先のことばかりしているから、
政治に関心がいかないのではないか。


景気は低迷しており、
暗いトンネルから抜け出せない日本にとって、
それを打破する現実的な政策を、
国民一人一人に
分かり易くアピールしている政党がない。


現実離れしていたり、
前にも同じようなこと言っていたり、
オオカミ少年ならぬオオカミ老人だな
と思わせるものが多い。

senkyo1 (2).jpg

それは、
非常に素晴らしい政策をもって、
真面目に頑張っている人たちの政策すら、
一把ひとからげにされてしまう危険性がある。


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現実に政党の政策よりも、
党首の人気だけが優先し、
政党名すら
よく分からないケースもあるくらいだ。


こうなると、
すべてが自然の原理に戻り、
こつこつと
弛まぬ努力と継続をしている者たちが、
最後は勝利すると思う。


千日解放も
同じ考えに基づいているのだが……




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
65日目の記事である。

執筆年月日 1998・07・12
ブログアップ日 2016・07・01





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【後 述】


この18年前に書いた記事が
まったく違和感もなく響くのは
あまりにも皮肉なことである。

今月の10日には同様の選挙がある。


いつまで経っても相変わらずの
この人間社会とは
一体どうなっているのだろう。

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