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人生3分の1は寝ている [コラムエッセイ]

「人生3分の1は寝ている」


通常人間の睡眠時間は6時間~8時間である。


年齢とともにその時間も変化するが、
極端に生活の変化がない限り
それほど大きく変化はしないであろう。


sleeping.jpg


また、その人の身体や精神、
眠りの浅い、深いによっても
その時間の長短は違ったものに
なってくるのであろう。


よく言われる
ナポレオンなどのように
極端に少ない睡眠時間の人も
たしかにいる。


それは
いかに眠りを合理的に
管理できるかに
かかっているのかもしれない。


この眠りを演出するものには
まくら、ふとん、寝室等の
小道具、大道具、環境がある。


これらを上手に備えることによって
人間に絶対に必要な睡眠を
整えてもらうことができるかもしれない。


様々な商品が出ているようであるが、
まずは眠りの土台である
しきぶとんであろう。


考えてみると
結構ぞんざいにこれを決めて
いるところがある。


価格が安いからとか、
ふわふわとした厚みがあるからとか、
硬めのものが好きだからとか、
あまり眠りについて考慮して
買っていなのではないだろうか。


これは、一度真剣に考えても
良いのではないだろうか。


そこで、本日は、
ショップジャパンの
日々の睡眠をより快適なものにしてくれる
トゥルースリーパーのラインナップを
ご紹介させていただく。


☆トゥルースリーパーcero〈セロ〉

☆トゥルースリーパープレミアム

☆トゥルースリーパーネオフィール

☆トゥルースリーパーコンフォート

☆トゥルースリーパーエクセレント


ひとつひとつをご覧になって頂ければ、
あなたの抱えている眠りの障害を
取り除いてくれるものがあるかも
知れませんぞ。

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負けず嫌いと頑固 [コラムエッセイ]


「負けず嫌いと頑固」


私はどちらかというと
頑固なほうになるのだろうか。


ganko.jpg


ときどきかみさんから、

「何て言ったって、お父さんは
負けず嫌いなんだから」

と、小言ともつかぬ言われ方をする。


しかし私は負けず嫌いという言葉の方が、
頑固より好きだ。


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理由はこうだ。


負けず嫌いという言葉は、
響きに若さがあっていい。


頑固という言葉は、
かなり歳(とし)のいった、
薹(とう)が立った人に
使うような響きがあり、
若さがない。


負けず嫌いと頑固では、
使われ方と意味が違うが、
負けるのを嫌うあまり頑(かたく)なになり、
頑固になってしまう。


負けず嫌いが高じて
頑固になるケースは多いと思う。


勝ち負けにこだわるのは悪いことではない
気もするが、
頑固にはなりたくない。


頑固の固(こ)は、
固まることであり、
柔軟性がない。


負けず嫌いは、
負けたことを認めたがらない。


しかし真理は認めるようなところがある。


頑固は真理も認めないような頑強さがある。


歳をかさねると、
身も心も固まってくるのか。


前に書いたかもしれないが、
固まってくるのは、
死に近づいている証(あかし)
のような気がする。


それでもまだ身体が硬直状態になるのは、
柔軟運動などでなんとか防げる。


でも、心が硬直していくのは、
どうして防いだら良いのだろう。


やはり、
自分のライフワークを見つけて、
死ぬまで勉強しなければならないことを、
肝に銘ずることだ。


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自分の心をいつも柔軟にしていなければ、
頑固になってしまう。


頑固になってしまっては、
生涯のライフワークにも取り組めない。


私は常に物事を、
素直に受け止めていたい。


負けず嫌いの精神は、
若さを保つ意味ではあってもいいが、
精神は硬直させたくない。


なにごとも極端は良くない。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
120日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・05
ブログアップ日 2016・08・28





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【後 述】


今回のリオ・オリンピックの選手の中には
金メダルでなければ、メダルではない、
というような発言をした方も
おられたようだ。


それは、それで、
その人の勝負にかける
意気込みは伝わってくるが、

負けず嫌いと頑固が高じた
単なる高慢に見えてしまったのは
私だけだったであろうか。

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見 栄(みえ) [コラムエッセイ]


「見 栄(みえ)」


必要か、否か。


よく言われることで、
男だったら、
見栄を張って生きてゆかなくてはとか、
あいつも、もう少し見栄があったらなあ、
とか。


これらの場合、
良い意味で使われているのはたしかだが、
ほんとうに見栄は必要だろうか。


mie.jpg


見栄をはることは、
偏ってしまった自尊心の維持であって、
単なる「自尊心の意地っ張り」にすぎない、
と私は思う。


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「誇り」や「誉(ほま)れ」ですら、
元はといえば、
大言を吐いていばったり、
みんなでもちあげてほめたりする
という意味だったそうだ。


見栄は、
他人を気にしてうわべをつくることなので、
はっきり言えば必要ない。


しかしこれからは、
ますます必要な人と
まったく必要ない人に別れてゆくだろう。


それでなくても現代人は、
日常生活で見栄の張り通しであろう。


常にうわべをつくろっていなくては、
他人づきあいさえできない。


もうそんなことは止めなければ。


本音でつきあい、
生活してゆかないと、
行き詰まりがふん詰まりになる。


しばらくすると、
便秘状態になり、身体全体、
つまり社会全体が病に侵されてしまう。


大都市ではすでに便秘で、
腸が閉塞(へいそく)状態だ。


見栄はどうしても無理をしがちである。


というよりも、
無理してこそ、
見栄を張るといえるのだろう。


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見栄っ張りが多くなれば、
「無理を通せば道理がひっこむ」
といわれるように、
だんだんと世の中、常識がなくなってゆく。


正しいことがどれだかわからなくなってゆき、
当然秩序は乱れる。


世の中は、
まさしく乱れた秩序の真っただ中にある。


だから、
自分だけでもそんなもの捨てちまえ、
と思う。


見栄などは序の口だ。


我々は持つべき物よりも、
捨てるべき物の方が多いかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
830日目の記事である。

執筆年月日 2000・08・15
ブログアップ日 2016・08・21





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【後 述】


我々は持つべき物よりも、
捨てるべき物の方が多いかもしれない。

と書いてから、既に16年経過した。


皆、それが出来なかったのであろう。


いまや、要らない物があふれ、
必要とするものが不足している。


政治しかり(その通り)、教育しかり、
礼節しかり、生活しかり、文明しかり、
数え上げたらきりがないであろう。


やはり、
握りしめている手から離し

捨てることから始めないと、

本当に必要とするものさえ、
つかむ事が出来ないことを
肝に銘じて知るべきであろう。

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防 災 の 日 [コラムエッセイ]


「防 災 の 日」


本日、9月1日は防災の日である。
(この記事は1999年9月1日に
書かれたものである)


76年前に関東大震災があり、
その日を忘れない様に設けられた日と聞く。


たしかに、天災は忘れたころにやってくる。


周期が60年とも、70年ともいわれている
大地震は、もうやってきてもおかしくはない。


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そのときのために準備をしている人は、
3人に1人だそうだ。


私も気持は充分にあるのだが、
現実の準備は何もしていない。


今月中に準備をしておこうと思う。


bosaigoods.jpg


少し大き目のリュックサックに、
必要なものを入れ、
いざというとき各人が
すぐ持ち出せるようにしておく。


一体全体、そのときに何が必要だろうか。


まず、
・水が必要だろう。
・500MLボトルを2本。
・数種類の簡易食品、乾パン等保存食品類。
・ろうそく1箱。
・マッチとライター各1個。
・携帯ラジオ。
・運動靴(底がゴム製で、
別袋に入れリュックの外に吊るす)。
・卓上コンロとガスボンベ2本
(家族で1セットで良いだろう)。
・軍手5双。
・アルミ皿10枚
(底が深く、湯を沸かせるようなもの)。
・紙皿10枚。
・プラスティック皿8枚。
・紙コップ10枚。
・マスク2つ。
・懐中電灯。
・電池(電池が必要なものに対し、
その補充分として)。
・ポケットティッシュ6袋。
・トイレットペイパー1巻。
・ナプキン20ピース(女性)。
・下着2セット。
・ウェットティッシュ。
・救急セット。
・歯ブラシ。
・歯磨き粉。
・使い捨てカイロ10袋。
・ロープ7m。
・缶切りと栓抜き。
・レジャーシート180cm x 170cm。
・割り箸20膳。


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・ゴミ袋45リットル10枚。
・レインコート。
・メモ帳。
・細字ペン。
・白タオル。
・カッターナイフ。
・ラップ。
・ドライシャンプー。
・絆創膏一箱。
・薬用石鹸等々。


これ以上入れるとしたら、
大型の登山用リュックになってしまいそうだ。


備えあれば憂いなし。


何とかしなくては……




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
481日目の記事である。

執筆年月日 1999・09・01
ブログアップ日 2016・08・20





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【後 述】


この時揃えた防災グッズが
そのまま残っている。

改めて見直して
入れなおさなければならないだろう。

できれば、少々大きめのリュックを購入し、
今一度内容を検討して揃えたいものである。

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海 外 赴 任 [コラムエッセイ]


「海 外 赴 任」


今宵は久々に飲んだ。


海外赴任中の人間が、会議のため帰国した。


すぐに宴会、となったわけだ。


彼は東南アジアのある国に、
工場長として赴任したのだが、
現地へ行く前に結婚した。


今は夫婦で現地に駐在しており、
奥さんは現地での生活をエンジョイしている
という。


私はほっとした気持ちになった。


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日本の会社も敗戦30年前後から、
営業所や工場を
海外へ設置することが多くなった。


そしてバブルが弾(はじ)け、
日本にも不況の風が吹くと、
コスト競争のため、
東南アジアに猫も杓子も
一部の工場を移動した。


さらに、工場をすべて
労務工賃の安い東南アジアに移し、
本社、開発、企画、経理だけは
日本に残す企業も出た。


極端な例としては、
本社組織さえ海外に置く企業もある。


バブル以前の海外赴任は、
総合商社の人間か、
超一流企業で海外拠点を持つような会社
の人間に限られていた。


hunin.jpg


そしてそんな時代には、
海外赴任がある意味で
出世の登竜門でもあったわけだ。


従って赴任を命じられた人間は、
むしろ進んで行ったものだ。


今の時代は、
そんな時代の海外赴任とだいぶ趣を異にする。


すなわち赴任する人が、
好むと好まざると拘(かかわ)らず
行かされてしまう。


コスト競争力のため、
また親会社に引っ張られて、
町工場までもが海外進出している。


そんな中での、
サラリーマンに対する海外赴任命令なのだ。


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昔は海外に5年くらい駐在したら
家が建ったものだ、
と取引先の総合商社マンは言っていた。


今は家族が離ればなれになり、
深刻な家庭環境になるケースもある。


白羽の矢が立つ前に、
私は何とか物書きになっていたい。


そしてサラリーマンとしてではなく、
作家として世界を歩いてみたい。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
117日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・02
ブログアップ日 2016・08・19





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【後 述】


現代は、
ある意味では
国境がない世界ではある。

この18年間で様々な変化が起こり
職種によっては
わざわざ海外に進出する必要もなく
世界を相手に商売ができる時代でもある。

多くの立ちはだかっていた
垣根が取り払われた結果として
真逆現象として
ナショナリズム(国粋主義)が
台頭しているのも否めない。

今行われている
オリンピックなどにおいても
そのかけらは見え隠れしている。

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テレビショッピング [コラムエッセイ]


「テレビショッピング」


昔、テレビショッピングはそれほど
多くはなかった。


せいぜい1局か2局が
それも一週間に一度くらいの放送だった
ように記憶している。


従って、
現在のように一日中放映している局などは
もちろんなかった。


テレビ放送局も
今のように多くは存在しなかったので
当然と言えば当然であった。


それに
広告の本流は
新聞からテレビ全盛の時代であったから
テレビ放送の時間を数十秒いくらで
売買していた時代でもあり、
コスト的にも難しかったのであろう。


そしてその宣伝を受け取る視聴者も
キーステーションのテレビ局の番組を
提供する企業の宣伝が
いわゆるメジャーな宣伝として
受け容れていたようである。


しかし現在は、
皆さんよくご存じのように
終日テレビショッピングだけを放映している
局もあるくらいである。


tvshopping.jpg


また逆に、
テレビショッピングで売れた商品を
キーステーションのテレビ局に
スポットとして
数十秒のコマーシャルを流すような
現象も起きている。


そしてそのような商品群は
さらにネットでも紹介され
販売されているので、
やり方によっては
費用対効果で効率の良いものも
かなりあるように思える。


本日は、その中から
ショップジャパンについて
ご紹介させていただく。


ショップジャパンは
様々な商品を扱っているが、
本日ご紹介させていただくのは
そのほんの一部にすぎない。


まずはそのものずばり、
☆ショップジャパンについて

次に具体的な商品、
巻くだけで腹筋を鍛えるという
☆スレンダートーンについて

続いて画期的なゴルフ練習アイテム
☆スイングトレーナーについて

そしてテレビコマーシャルでもおなじみの
腹筋を鍛えるコンパクトサイズの
☆ワンダーコアスマートについて
この商品は腹筋だけでなく、
背中から鍛える「ブリッジ」や椅子に座って
有酸素運動など8種類もの運動ができ、
全身運動がこれ1台でできるという
驚きの商品であることを知った。
これはネットならではの情報であり、
テレビコマーシャルでは
なかなか伝えきれないところであろう。

最後にダイエット食品
☆ヒルズダイエットについて

以上、まず興味あるものからご覧頂きたい。

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涼  風 [コラムエッセイ]


「涼  風」


今年の梅雨は、
べたつくような湿気の日があったり、
ここ二、三日のように
清々(すがすが)しい朝が続いたりで、
例年とは違っている。


ryoufuu.jpg


梅雨の晴れ間を五月晴れともいうようだが、
ここ数日の涼風は秋風にも似ている。


長袖一枚が丁度良いくらいの肌感覚だ。


私はこのような涼風が吹く朝が一番好きだ。


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仕事など行きたくないような、
行かなくても
誰からも文句をいわれないような錯覚に陥る。


その何ともいえない
心地良い誘惑に打ち克って、
自転車のペダルを踏み、
駅にハンドルを向けるわけだ。


25年以上サラリーマンをやってきて、
涼風の吹いたときなどあっただろうか。


人生の中で涼風が吹いたことは何度かあった。


ただしサラリーマンに限定すると、
ひとつもなかったように思える。


昇格したり、昇給したり、
販売コンテストで全国一になったり、
等々色々あったが、
それらは涼風とはいい難い。


天気は良いが、清々しいとはいえない。


涼風が頬(ほお)から耳に、
爽(さわ)やかに通りすぎてゆく感覚とは、
ちと違う。


サラリーマンにとって涼風が吹く、
とは一体どういうことだろうか。


これもやはり人それぞれ千差万別なのだろう。


また、サラリーマンであっても、
自分の意志で就いた仕事であれば、
漫然と会社に入った私のような人間とは
まったく違った感覚であろう。


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私にとって、いまの仕事で涼風が吹くことは、
たぶんこれからもないだろう。


うまくやれば、
重役くらいにはなれるのかもしれないが、
私にとっては涼風でもなんでもない。


却(かえ)って
サラリーマンから抜けられない
足枷(あしかせ)になり、
作家になるのが遅くなってしまうだけだ。


読者に涼風を感じてもらえるような作品を、
早く書けるようになりたいと思う。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
427日目の記事である。

執筆年月日 1999・07・09
ブログアップ日 2016・08・14





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【後 述】


今、リオオリンピックが開催されている。


オリンピックにも様々な問題は
山積しているが、
やはり私たちにとって涼風となってくれる。


この大会が
爆風や、生ぬるい風にならないよう
東京オリンピックに
携わる関係者に
切に望む者である。

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過 信 [コラムエッセイ]


「過 信」


「年寄りの冷や水」などは、
そのいい例かもしれない。


肉体と精神のアンバランスが、
過信を生むこともある。


私もむかし子供の運動会で、
父兄参加種目に出場したとき思い知らされた。


kashin.jpg


もっと速く、軽く走れると思っていたが、
実際は非常に遅く、
足が絡みついてしまった。


やっと二着になって、
父親の面目を保ったように記憶している。


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身体が覚えたことは、
頭にも残っているのだろうか。


脳細胞が身体の衰えを計算違いして、
頭で命令した通りに、
肉体が働かなくなってしまうのだろうか。


それでも肉体と精神のアンバランスは、
はっきりしているから分かりやすい。


そんなはずもこんなはずもなく、
明らかに答が出る。


やろうと思ったができなかった、と。


厄介なのは、
はっきり答の出ないことだ。


眼に見えない感覚的なこと、
もしくは肉体的でない部分の実力などである。


これらは、
明瞭な解答は誰も出せないし、
当人自身が身を持って知るしかない。


いくら納得できずとも、
認識して自分なりの解答を出す以外にない。


ものづくりをする人には、
常につきまとう問題だろう。


自分でどんなに斬新(ざんしん)だ、
私の感覚は衰えていないと思っていても、
受け取る側の人たちは確実に変化している。


時代の急速な流れの中で、
彼らの感覚は一定ではない。


それにいくら反発しても徒労に終わるだけだ。


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そうは思っても、
なかなか納得できないものだ。


自分の作品を、いつも
客観的に見られるようにしておかないと、
独り善がりのぶざまな作品が続き、
読者に飽きられてしまう。


過信せず、迎合せず、
虚心坦懐(きょしんたんかい:
わだかまりのない、すなおな態度)に
書き続けるしかないのだ。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
433日目の記事である。

執筆年月日 1999・07・15
ブログアップ日 2016・08・11





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【後 述】


過信はさらに
傲慢(ごうまん:相手を見くだして、
何でも自分中心にふるまうようす)を生むことがある。


これは老若男女を問わない。

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歩 く 目 的 [コラムエッセイ]


「歩 く 目 的」


今朝は、
夏休みに入った娘も久しぶりに参加して、
早朝のウォーキングに出かけた。


遊歩道に入ると、
狭いので三人並んでは歩けない。


私が先頭を歩き、
かみさんと娘は後からついてきた。


顔見知りの常連ウォーカーが、
私の前を歩いていた。


としのころ50代後半で、
声が大きく元気のいい女性だ。


追い抜きながら、
私は彼女に声をかけた。


aruku.jpg


「おはようございます。毎日暑いですね」


すると、
いつも挨拶だけしか交わしていない彼女が
話しかけてきた。


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追いついたかみさんが、
話の受け手を引き継いだ。


私はゆっくりと彼女たちの前を歩きながら、
二人の話をきいた。


好きで歩いている
とばかり思っていたその女性は、
糖尿病で、
医師から歩くのが良いといわれ、
致し方なく歩いているという。


歩くのは大嫌いだ、
とまで言った。


「ほら、前からくる細身の男性、
いますれ違った杖をついて歩いていた老婦人。

この遊歩道のある
川の対岸で手を振っている同年輩の女性、
すべて糖尿病ですよ。

ここを歩いている人の半分以上は、
何かしらの病気持ちですよ。

病気がなくて、
ただ健康のためだけに歩いている人
なんてほとんどいないんじゃないかな」


「そうですか、
てっきり歩くのが大好きだとばかり
思っていました」


後ろから届くかみさんの声を聞きながら、
私はみた目だけでは分からないものだ、
とつくづく思った。


同時に、
運動として歩いている自分や家族の健康に
感謝した。


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歩くのに大げさな目的などない
と思っていた私は、
命をかけて歩いている人もいることに驚き、

すれ違うすべての人に、
頑張ってください、
と声をかけたい衝動にかられた。


毎日みる顔、挨拶を交わし、
声を掛け合うだけでも、
その人たちには励みとなっている。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
829日目の記事である。

執筆年月日 2000・08・14
ブログアップ日 2016・08・06





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【後 述】


人間の行動には
人それぞれの目的があるものである。


軽い気持ちでやっている人もいれば
必死の気持ちでやらざるを得ない人もいる。


いずれにしても
外から見ただけでは
なかなかわからないものである。

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ウォーキング派? ジョギング派? [コラムエッセイ]

「ウォーキング派? ジョギング派?」


私は現在一週間に数日
ウォーキングをしている。


walking.jpg


物書きを目指す以前に始めたら、
ジョギングになっていたかもしれない。


なぜなら、
ウォーキングのようにまどろこしい運動は、
まったく興味がなかったからだ。


いや、ジョギングも敬遠したかもしれない。


ただひたすら走るなどは自分の性に合わない、
などと勝手に決めていたところもあった。


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しかしいま、
行き交うジョッガーやウォーカーを見て思う。


jogging.jpg


起き抜けに苦しい顔をして、
汗だくで走っている人よりも、
爽(さわ)やかな笑顔で歩いている人のほうが、
川や木々、鳥たちと、自然融合している
のではないかと。


それは私も歩いているからだろうか。


私は、
すっかりウォーキング派になってしまった。


いまさらジョギング派にはなれない。


通勤前に、
顔を歪(ゆが)めてまで
走らなければならない理由など、
私にはないからだ。


それでなくても会社へ行けば、
顔は笑っていても
心の顔は歪んでいることが多い毎日だ。


出勤前のひとときくらい、
心身をゆったりさせたい。


私は書くようになってから、
生きるモードが
変わってしまったのかもしれない。


あなたは、ウォーキング派?


それともジョギング派?


人の生き方も、
極端な言い方をすれば、
大きくこの二つに分けて
考えることができるのではないか。


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ジョギング派は、
せっかちで社会の流れに乗り遅れたら
生きて行きづらい人。


時間に追われ、常に自己記録を掲げ、
目標に突き進んでいないと落ち着かない人。


ウォーキング派は、
川の流れや、小鳥たちのさえずりに
立ち止まり、耳を澄ませ、
季節ごとの草花に、
目を休ませることができる人。


理想を言えば、ゆっくり歩いたり、
軽やかに走ったり、
緩急をつけながら進むことかもしれない。


時には後ろ歩きもしたりして。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
108日目の記事である。

執筆年月日 1998・08・24
ブログアップ日 2016・08・05





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【後 述】


人生、あとずさりしても
いいじゃないか。

それも人生行路のひとつの路である。

決してそれを否まないことだろう。


むしろ、
それを受け容れることができるかどうかが
その後の路を軽やかに歩けるかどうかの
分かれ路になるかもしれないのだ。

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