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地球人という考え方 [コラムエッセイ]

「地球人という考え方」
(この記事は1999年9月25日に
書かれたものである)


あと何十年、
何百年とかかるかもしれないが、
いつかきっと、
心から地球人という考え方になる日が
来るだろう。


earthhuman.jpg


いまはまだボーダレスといっても口だけで、
世界を相手にすれば自国のことを、
東京のような大都会を相手にすれば、
出身都道府県のことを、
同県を相手にすればわが町村を、
わが町村を相手にすれば近所のことを、
近所を相手にすればわが家のことを、
考えてしまう。


ごく自然のことだろう。


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私は、結婚するまでは、
アジア人であり、
日本人であり、
〇〇県人であり、
〇〇市民であり、
〇〇町民であった。


結婚してからも、
アジア人であり、
日本人であり、
〇〇県人であり、
〇〇市民であり、
〇〇町民である。


つまり、
変わらないということである。


これは人間にとって
地球が一番大きな器だからだ。


日本人は最大の種でいうとアジア人、
ということになってしまう。


これが地球のような星がいくつか集まって、
もっと大きな共同体でも形成すれば、
地球人、アースヒューマン
という考え方をするようになるだろう。


しかし現在の地球環境や、
これからのことを考えれば、
いまからアースヒューマンの
考え方をしておかないと、
地球自体がボロボロになってしまいかねない。


世紀末のここ十数年で、
世界の情報が入手できることは
あたり前になってきた。


通信は地球に張り巡らされ、
通貨は形をなくそうとしている。


それも急速にである。


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けれども人種や宗教の主張は相変わらずで、
細かいいさかいは、
世界のどこかで絶えず起きている。


人種や言語、宗教の壁は、
永久に溶け合うことのないような
錯覚さえ起こしかねない。


経済事情の違いによる貧富の差は、
同じ人種の間でさえ、
争いの種になる。


同じ一生であれば、
できるだけ広い世界で生きてみたいと思う。


地球人として。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
505日目の記事である。

執筆年月日 1999・09・25
ブログアップ日 2016・09・25





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【後 述】


本当に
いまから
地球人という考え方を

頭だけでなく
生活そのものを
地球人として
身につけて行くべきであろう。

その第一歩は
かたよった
ナショナリズムを
なくすことから始める必要がある。

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中 途 半 端(団塊の世代) [コラムエッセイ]

「中 途 半 端(団塊の世代)」


(この記事は1998年9月25日に書かれたものである)


私たちの年代、
すなわち団塊の世代(現在50歳前後)は、
総じて中途半端な生き方をしてきた人が
多いのではないか。


chutohanpa.jpg


と思うのは、私ひとりの偏見か。


時代、環境のせいにするわけではないが、
団塊の世代は層が厚く、
あらゆる人生の節目で競争を強いられてきた。


一途(いちず)に打ちこみたいものを
発見している暇がなかった。


裏腹に、学生運動に走り、
その延長線上で
人生を踏みはずしてしまった
一部の人たちもいた。


また、その他大勢的な感覚から逃れられず、
自分自身の存在価値を
見出(みいだ)せないまま、
ここまできてしまった人も多いだろう。


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そしていま、
不況の煽(あお)りを受けて
会社ではお荷物になっている。


課長、部長にもなれず、
下手をすると定年前に
肩たたきにあう可能性すらある。


しかし、団塊の世代諸兄よ、
よーく考えて欲しい。


団塊世代の人口は、圧倒的に多いのだ。


マジョリティ(多数派)であるのを
忘れないことだ。


極端な話、
この世代だけをターゲットに商売しても、
成功する可能性は充分にある。


いまからでも遅くはない。
一途にやれることを真剣に探せ!


情熱を持って、
ライフワークにできることを探せ!


いまライフワークをみつけた私は、
一心不乱に突き進んでいる。


私のような、
中途半端な生き方をしてきた者にできて、
あなたにできないわけがない。


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真剣に悩み、
探せば絶対に道は開ける。


何しろ実行(やる)ことだ。


それがなければ何も始まらない。


何も始まらなければ、
いつまで経ってもあなたの人生も変わらない。


変えられない人生は、
生き延びるには苦しい。


私は中途半端な人生をテーマにした小説を、
いつか書きたいと思っている。


私の人生が、
まとまりある人生に変わるのを願って。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
140日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・25
ブログアップ日 2016・09・25





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【後 述】


いま、
団塊の世代にエールを送る!

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宣 伝 [コラムエッセイ]

「宣 伝」


宣伝の価値は、
その結果をみなければわからない。


私の勤務する会社も、
年間数十億円の宣伝費を投入している。


tvsenden.jpg


年間の売り上げと比較しても、
かなりの金額だ。


社員の中には、
宣伝費の一部でいいから、
皆に還元してくれないかな、
といったようなため息も聞かれる。


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何を言う、
宣伝をせずにこれほど売れたと思うか、
と問われると、

宣伝したから売れたのか、
と思わざるを得ないときもある。


極端かもしれないが、
賽銭(さいせん)が多かったから
御利益(ごりやく)があったのだ、

拝みが足りなかったから
効き目がなかったのだ、
といわれているような気がしてならない。


といったら
宣伝に従事する人から謗(そし)りを
受けるかもしれないが、
あえて言いたい。


つまり、
現在かかっている宣伝費は
ほんとうに適正な価格なのか。


テレビCMフィルム一本を制作するのに
数千万円、
下手をすると億までかかるのは異常だ。


それを15秒から30秒流すのに、
もちろんどの時間帯で何回流すか
という条件もあるが、
これまた高額な費用を必要とするのも異常だ。


結果、
売れなくても宣伝業者は責任をとらない。


製造業者も商品に問題があったのだ、
と妙に納得してしまっている。


双方とも、
最終的な宣伝費用は消費者に負担させる
という意識が、
頭の隅にある。


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だったら、
宣伝費を使って消費者に還元する
他の方法だってあるはずだ。


一回射(さ)したらやめられないといわれる、
病的なテレビCMでも、
知恵を絞れば
別の方法で同じ効果を出せるかもしれない。


今後そんなふうに考えてゆかないと、
生き残れないかもしれない。


サラリーマンにしても同じことがいえる。


のんべんだらりと過ごしていては、
定年まで持たないかもよ。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
141日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・26
ブログアップ日 2016・09・24





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【後 述】


この時から18年が経過した。

まさに宣伝の世界は、
大きく変化している。


この間、ITが進み
パソコン、インターネット、携帯、
スマホ等の宣伝媒体が変化し、

さらにそれらが進化している。


今や、これらの宣伝媒体から
名を成し、販売力を蓄え
そして逆にテレビ宣伝に打って出る、
そんな企業も出現している。

従ってまだまだテレビ宣伝は
有力な媒体ではあるが、

新聞という広告媒体が
テレビという広告媒体にとって
代わっていった変遷状態を
思い起こせば
このネット広告がテレビ広告に
代わるのも時間の問題にしか
過ぎないであろう。

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正直者 [コラムエッセイ]


「正直者」


例えば公の場所で、
人の忘れ物、
もしくは落とし物を発見したときに、
どういう処置をしたら正直者といえるのか。


otoshimono.jpg


1. ここら辺りに忘れたろうと、
  慌てて取りに戻ってくる
  かもしれないから、
  そのままにしておく。

2. 忘れ物を交番等に届ける。

3. 内容をあらためて、
  金品はいただき、
  それ以外は元の場所に残しておく。

4. 同じく内容をあらため、
  金品が入っていたら交番等に届け、
  入っていなければそのままにしておく。

5.……


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様々な対処の仕方があるだろう。

一般的には2番が正直者だ、
と思われている。


3.はまずいよ、
という人は多数いるかもしれないが、
発見した本人にとっては、
自分の気持に一番正直といえる。


金品をいただくのは、
発見した人の余得であり、
忘れたり落としたりした人への戒めである、
と。


こんな身勝手な解釈をする人は
少ないとは思うが。


社会的に正直者となるのか、
それともあくまでも自分に正直に生き抜く
のかでも、行為はかなり違ってくる。


ことわざにも、
「正直の儲けは身に付く」という
何事も正直にやりなさい、
というものから、
「正直貧乏横着栄耀(しょうじきびんぼう
おうちゃくえよう):正直者はその正直さ
ゆえに貧乏をする。それに対して、
ずるがしこくて押しの強いものは
成功して栄える」や、
「正直も馬鹿のうち」というように、
正直者を馬鹿呼ばわりするものも
少なからずある。


現代でも、馬鹿正直、正直者は馬鹿をみる、
という必ずしも正直が正しいとはいえない
言葉も残されている。


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サラリーマン生活でも、
正直に振る舞って馬鹿をみることがある。


しかしそのときどきで、
正しかったのは何か、
判断に苦しむことが多いのはなぜだろう。


それだけ複雑な環境になってしまっている、
ということだろうか。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
138日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・23
ブログアップ日 2016・09・23





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【後 述】


今の行政機関の様々な
不祥事を見ると、

みんなでやれば恐くない、
という時代はもうとっくに
終わっているはずなのに

未だにそういうやからが
何と多いことかが良くわかる。


大人の世界でこのような状態だから
その子供たちの世界でいじめが
減らないのかもしれない。


どんなに多数決であっても
やはり間違っていることは
間違っているのであり、
たった一人でも
正直に生きることが
求められる世界であって欲しい。

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地球人・アースヒューマンとして生きたい(1999年09月21日発生の台湾の大地震) [コラムエッセイ]

「地球人・アースヒューマンとして生きたい(台湾の大地震)」

(この記事は、1999年09月21日に書かれた記事である)。

本日未明、
台湾でマグニチュード7.6の大きな地震が
発生した。


当社でも取引があるので、
私は出社すると同時に、
電話やファックスをしたが、¬
繋(つな)がらない。


結局連絡は取れずに帰宅した。


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朝方ほとんど流れてこなかった情報は、
夜のニュースではかなり詳細に伝えられた。


死者も数千人に上るだろう。


阪神大震災と同じくらいの犠牲者に
なるようだ。

御冥福を祈る。


台湾と日本は、
経済的にはかなりの友好国といっていい。


私は政治的な部分にあまり関心はないが、
現在台湾は国際的に非常に難しい立場
にあることだけは理解できる。


かなり以前、
香港が中国に返還される十年以上前の話だ。


台湾のビジネスマンが言った。


「台湾では重工業がなかなか発達しない」と。


私はなぜですか、と尋ねた。


「いつどうなるか分からないから、
身を軽くして、簡単に撤退できる
商売の方がいいからだ」といわれ、
なるほど、と思った。


これが正しいか否かは別にして、
彼らが腰を据えて仕事ができない不幸に
照らし、
わが国の幸福が身にしみたおぼえがある。


香港返還前に、
取引先の香港人経営者たちが、
欧米の国籍取得にやっきになり、
財産を移動していた。


そのとき私は、
台湾ビジネスマンの言葉を痛切に思い出した。


現在では台湾経営者たちのなかに、
香港経営者たちと同様にしている人がいる。


しかしそれは一部の金持ちだけだ。


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先日の、
ギリシャとトルコの地震をきっかけに、
両国の対立が軟化しているような
報道を聞くと、つくづく思う。


earthhuman.jpg


私たちも、そろそろ何々人ではなく、
地球人・アースヒューマンとして、
ほんとうにボーダーレスで生きられる
社会を構築しなければならない、
そんな時期にきているのではないか、と。


小説も国境を越えて書く位の意気込みで。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
501日目の記事である。

執筆年月日 1999・09・21
ブログアップ日 2016・09・21





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【後 述】


現在の世界は、
私がこの時期に感じた世界観とは
全く逆行しているように思える。


各国のナショナリズムが台頭し
それが顕著になっている。


いつになったら
この地球という
同じ星の中に生きている人々が
ひとつになることができるのだろう。

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敬 老 の 日 [コラムエッセイ]


「敬 老 の 日」


明日は敬老の日で祭日となっており、
ありがたくも骨休めができる。


昔なら人生50年といって、
当時敬老の日があったら、それこそ、
そろそろお祝いを受けなければならない
ところだ。


keirou.jpg


現代の50前後は、
まだ敬老の日にお祝いを受けるような
歳(とし)ではない。


年々男女の平均寿命が伸びており、
日本は世界一の長寿国になった。


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一体いくつになったら老人というのだろうか。


いまの60代はかなり元気だ。


70代くらいから
老人と呼んでも良いのだろうか。


私の岳父はまさに70歳だが元気である。


現役のタクシー運転手である。


ゴルフをやっても200ヤード以上は飛ばすし、
非常にお洒落(しゃれ)でもある。


老人とは呼べない。


もちろん肉体的なこともあろうが、
ある年齢をすぎると精神年齢が、
実質年齢に大きく影響するものだと思う。


自分自身が70代になったとき、
果たして岳父のように
若々しくいられるだろうか。


人生をエンジョイする人ほど、
いつまでも若々しくいられるような気がする。


なぜならば、
現役のときは元気いっぱいだった人が、
リタイアすると急に老けこむ、
という話をよく聞くからだ。


それは、仕事以外することがなかったり、
他のことをしても、
仕事ほどの情熱を持てなかったりするために
起きる現象ではないだろうか。


仕事を続けられれば良いのだが、
オーナー社長や自営業でもない限り、
70代までは
なかなか働かせてはもらえないのが現状だ。


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岳父のように、
いくつになっても続けられる仕事がある人は
幸せである。


岳父は車の運転が大好きで、
仕事をエンジョイしている。


私も書くことをエンジョイできるよう、
いままさに勉強中だ。


このままサラリーマン生活と
クロスオーバーさせ、
生活基盤もろとも
自然体で移行させられれば最高なのだが。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
129日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・14
ブログアップ日 2016・09・17





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【後 述】


当時、敬老の日は9月15日と定まっていた。

1966年に
それまでの「老人の日」を
新たに祝日化し、
「敬老の日」と制定された。

それがいつの間にか定まった日でなく、
暦の都合でこの近辺の日、
とされてしまった。

年間を通じて
このような味気のない祝日が
多くなっている。

本当に敬老の気持ちがあるのなら、
9月15日と定まった日で
良かったような気がするのだが・・・・・・


それはともかく、
私の岳父は84歳直前まで
タクシーの運転手をしていた。

世界的にも
高齢職業運転手であったろう。

そしてそれを自ら店じまいに
するやいなや
天国に召されていったのである。

今ごろ岳父は
天国からこの地上を
どのような気持ちで
みているのだろう?
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契 約 社 会 [コラムエッセイ]


「契 約 社 会」


本日久しぶりに、
外部の講習会に出席した。


現在私が購買職の関係上、
「下請け絡みの、契約書の見方作り方」
という題目だった。


keiyakusho.jpg


日本の社会は契約書を交わすことに、
いまだに慣れていない、
と講師は言っていた。


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条文のなかに変更はできない
と書いておきながら、
変更をする特別条文があったり、
最後は話し合いで始末をつけましょう、
みたいな条文があったりする。


外国人からみれば、
何のために契約書を結んだのか、
といわれかねない代物だそうだ。


たしかに日本人は、
約束事を文書で残したがらない。


しかし講師いわく、
口約束も立派な契約だそうだ。


そんなことはあたり前だ、
と私も思うが現実は少し違うようだ。


口約束は、
文書で残したものよりも軽い
と考えている人が多いらしい。


そのいい例として、
何か問題が起こったとき、
文書で残っていなければ大丈夫だ、
と平気でいう人がいるそうだ。


また逆に
「証拠があるのか!、証拠が!」
と開き直っている場合は、
口で言ったことではなく、
文書を指している場合だそうである。


これらから考えると、
契約書が強者によって、
弱者に利用された場合は最悪だ。


契約書によって立場の強い弱いを調整し、
差別のないようにすべきが、
逆の効用になってしまう。


ややもすると、
強者のためだけに作った契約書である
場合すらでてくる。


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実際ふつうの人は、
保険の契約時やローンを組むときに、
用紙や証券の裏に書かれた、
細かい字の条文は読まないだろう。


何か問題が起こっても、
細かい条文など読んでない、
誰からも説明などなかった、
といえば何とかなる、
と誤解している人は多い。


私などもそのひとりだ。


もうそんな時代は終わった。


日本もゆるやかではあるが、
契約社会になってきている。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
124日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・09
ブログアップ日 2016・09・14





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【後 述】


現代は、
全く一方的なものであっても
契約書として成り立つ時代である。

私が最近
特に顕著に思うのが
ソフトウェア使用許諾契約書である。

そのソフトを使用する時に
その合意書に承諾しなければ
使用できないわけだから、
いやおうなしにOKせざるを得ない。

従ってほとんどの人は
その詳細内容については
無関心であろう。

契約書は基本的には
お互いの同意・承諾に基づいて
交わされるものであると思うのだが、
そのソフトを使用する条件として
使用者側の意見が入る余地は
全くないのである。

これはほとんど一方的な契約書
と言えるのではないか、
と思うのは私だけだろうか。

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世 渡 り [コラムエッセイ]

「世 渡 り」


私はどちらかというと、
世渡りのうまいほうではない。


へたくそか、
というとそうでもないようだ。


適度な世渡りをし、
結婚して家庭を持ち、
家族を路頭に迷わさない程度の
生活はしてきた。


サラリーマン社会で、
実力主義が標榜されてから久しい。


ほんとうに実現しているのだろうか。


主義通り、
実力ある人が上に行く会社もあるだろう。


しかし必ずしもそうではないのが
現状みたいだ。


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相変わらず世渡り上手な人間が、
仕事の実力を持った人間を凌駕している。


上になれば、
権力を振るって
自己の保身に励む人が多くなる。


彼らが自分の傍(そば)に置きたい部下は、
実力ある人よりも、
自分に都合良く動いてくれる人である。


つまり、
上司の機微が分かるような人は、
世渡り上手になれるだろう。


joushibuka.jpg


世渡り上手は、
サラリーマンにしたら大きな実力のひとつだ。


たぶん私も磨けば
あるレベルまで行くとは思うが、
そんな気には一切ならない。


私は上司の望んでいることや、
点数稼ぎのできるタイミングを、
はっきりわかるときがある。


しかし、
分かっていてもそれが私にはできない。


できる、できないがある、
ということは、
できる人は実力がある、
といってもいいのだろう。


私は世渡りが上手でなくてもいい
と思っている。


子供にもあまり世渡り上手を期待していない。


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願わくは、
自分のやりたいようにやって
生活できればそれがベストだ。


いつもやりたいようにはいかなくても、
最終的に好きなことで世の中を渡れれば、
それに越したことはない。


いまからでも遅くはない。


やってやれないことはない。


自分に何ができるのか真剣に考えてみよう。
と自分に言い聞かせている。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
126日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・11
ブログアップ日 2016・09・10





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【後 述】


そもそも
仕事の実力とは何か?


やはりこれは
総合的な力であって
狭い範囲の力ではない、
ということを今一度、
再認識すべきなのかもしれない。
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特 技 [コラムエッセイ]

「特 技」


例えば、
自分が転職したい会社の
面接試験を受けていたとしよう。


そこで、
あなたの特技はなんですかと聞かれ、
これが私の特技です、


tokugi .jpg


と胸を張って答えられるような特技は、
私は何ひとつ持ちあわせていない。


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敢えて、
英語が少々しゃべれます、
といってみても、

今では実務から7年も離れているので、
仕事で通用するようなレベルでは
ないかもしれない。


英語が多少できるくらいは
あたり前になっており、
特技にはいるのかどうか。


また、
文章が少々書けますといってみても、
出版社でもなければ、
そんなものは必要ないよ
といわれてしまうだろう。


いっそ開き直って、
明朗闊達な性格が特技ですかね。


とでも答えたら、
新卒者でもあるまいし、
50に近いおじさんの解答ではない、
とバカにされてしまうだろう。


意外と特技などないものだ。


作詞作曲ができます、といったら
面接試験の有効な解答になり得るだろうか。


なり得るはずもない。


しかし
現在のサラリーマン生活を続けるだけならば、
なにも特別な特技など必要ない。


いまの地位を
既得権として守ってゆくくらいは
充分にできる。


なんとしても定年まで死守できれば、
それはそれで特技になり得るかもしれない。


人は特技を
仕事や人生にどれほど活かしているか、
というと非常に疑問がある。


特技が職業になったという人は、
それほど多くはいないと思う。


また、
人生をエンジョイする上で
こんなに特技が役立っています、
といった話もあまり身近では聞かない。


特技は
ほとんど実生活に活かされていないのか。


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特技も使わなければ、
宝の持ち腐れになってしまう。


磨いて鮮度を保っておかなければ、
いざというときに特技です、
とはいえない代物に成り下がってしまう。


精進、精進。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
122日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・07
ブログアップ日 2016・09・07





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【後 述】


今の時代、
特技の代わりに

「あなたの趣味は何ですか?」

と聞かれて、
これが趣味と言えるものを
持っている人は幸せである。


今の時代、
趣味すらもないという人も
多くいる可能性がある。

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毒物混入模倣犯罪 [コラムエッセイ]


「毒物混入模倣犯罪」


夏の納涼大会で起こった
毒入りカレー事件をきっかけに、
お茶、痩(やせ)薬、缶入りコヒー、
缶入りウーロン茶と、
連続して毒物混入事件が起こっている。
(この記事は18年前に書いたものである)


まだひとつも犯人逮捕には至っていない。


最初に起こった毒入りカレー事件が
なかなか解決しないので、
連鎖反応的に模倣犯罪は起こっている。


私は、このような犯罪は、
現代社会では起こり易い気がする。


doku.jpg


一昔前、
人生ゲームという名前のゲームがはやった。


この前後からテレビゲームもピークに達し、
ややもすると
人生もゲーム化していく風潮が出てきた。


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犯罪も、
昔みたいに貧困や無知からくるのではなく、
軽いのりで、
罪の意識がほとんどなく、
ゲーム感覚でひき起こす事件も増えている。


ストレスが多く、
または刺激が少なすぎて
精神的にまいってしまった人が、
はけ口の対象を、
不特定多数の人に向けてしまう。


そのきっかけを作ったのが、
今回の場合は毒入りカレー事件だ。


通常、犯罪には利害、
怨恨などが原因となり得るものだが、
一連の模倣犯罪には
そんな意識すらないだろう。


思想を盾にした、
無差別テロの場合は無性に腹がたつが、
ゲーム感覚で犯す不特定多数の無差別殺人は、
不気味ささえ感じる。


人間らしさを全く感じられない。


そこにはなんのドラマもない。


「生きる」ことに執着しないと、
死の恐ろしさはおろか、
生きる素晴らしさも分からない。


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しかし生きていることや死の怖さを、
肌で実感することのできない人が増えている、
と思うのは私だけではないはずだ。


平凡な日々の暮らしから、
それらを見出(みいだ)すには、
それ相応の努力もせずには
得られるわけはないのだが。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
118日目の記事である。

執筆年月日 1998・09・03
ブログアップ日 2016・09・04





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【後 述】


現在、世の中は
この18年前に危惧した状況に
似たものとなっている。


あれから様々な事件があり、
予想通りに
ゲームが現実を犯し始めている。

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