So-net無料ブログ作成
検索選択

たんつぼ(痰壺) [コラムエッセイ]


「たんつぼ(痰壺)」


最近ではほとんどみられなくなった、
たんつぼ(痰壷)。


たまに地方の駅で下車すると、
ホームや改札の隅に、
痰(たん)や唾(つば)を吐く入れ物が
置いてある。


かつてはいたる駅でみたような気がした。


いまだに、
道端で痰や唾を吐き捨てる人がいる。


tantsubo.jpg
画:アキヒロさん


ひどいときには、
立ち小便をしている人さえみかける。


【スポンサードリンク】






若いときには、
唾を吐くことがかっこいい、
と思って真似していた人もいるだろう。


スポーツ、テレビドラマ、映画などで、
選手や俳優が唾を吐くシーンをみせるから
無理もない。


私も少年時代、
小さく丸めてカッコ良く吐けないかなどと、
熱中したことさえある。


特にサッカーや野球などは、
汗をかいて競技しているので、
致し方ないのかもしれないが、
同じスポーツでも相撲だったらどうだろう。


水入りの大相撲となり、
汗をかいた力士が土俵に唾を吐いたら、
たぶん協会から厳重処分間違いなしだろう。


相撲は良くて、
サッカー・野球は悪い
などというつもりは毛頭ない。


問題は、
前述した子供たちが真似をすることだ。


道端であれ、ところかまわず、
唾を吐き捨てる習慣がついてしまうことだ。


同じスポーツの中で、
もうひとつ例を挙げよう。


ボクシングだ。


ボクシングの場合は、
試合中に唾を吐き捨てる選手を
いまだかつてみたことがない。


休憩のときに水を飲み、
大きなじょうごのような受け物で
処理している。


唾を吐き捨てる図は決していいものではない。


どんなに著名で優秀な選手であっても、
見苦しく感じるのは私だけではないだろう。


【スポンサードリンク】






やり方は色々ある。


ベンチの中や、
グランドの隅に痰壷(たんつぼ)を
用意してもいいではないか。


スポーツはプレイだけを観てくれ、
というのは単なる言い訳にすぎない。


選手は、
ファンの数だけ影響力があることを
つねに忘れないで欲しい。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
995日目の記事である。

執筆年月日 2001・01・27
ブログアップ日 2017・01・29





【スポンサードリンク】






【後 述】


現在は痰壺(たんつぼ)などというものは、全く見かけない。


唾を吐くような人など全くいなくなった
のだろうか?


たしかに少なくなったような気はするが、
全くいなくなったわけではない。


未だにスポーツ観戦をしていると
競技場で唾を吐いている
選手はいる。


少なくとも路上などに
唾を吐くのは極力避けたいものである。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

神はどこにでもいる [コラムエッセイ]


「神はどこにでもいる」


私は気力の強い方だと思っている。


つまり、精神力の強い人間だと
自分では認識している。


私のような人間に共通していえることは、
自力というか、我力というか、
それに頼るきらいが強い。


クリスチャンであるかみさんから、
よくいわれる。


「やれるだけやって精根尽きたら、
あとは神に委ねるのよ」。


inori.jpg
画:AC WORKS さん


【スポンサードリンク】






なるほどと思うが、
私はまだ神については、
曖昧模糊(あいまいもこ:物事が
ぼんやりしていて、はっきりしないさま)
とした存在にしか考えていないので、
現状は神ならぬ、
かみさんに委ねている。


今朝ウォーキングから帰って、
家に足を踏み入れたとき、
急にひらめいたことがある。


精神力の強い人間が、
やれるだけやって精根尽きるほどやったら、
あとに残るのは、
神の力しかないのではないか、と。


つまり、強い「精神力」から、
精根の「精」をとったら、
「神力」しか残らない。


言葉遊びではない。


同様にして、
私たちが普段何気なく使っている言葉に、
なんと神の多いことか。


痛い、痒(かゆ)い、熱い、冷たい
などを感じたり、
心の動きなどを伝える「神経」。


よく観(み)てみると、
神を経(へ)ていると書いてある。


つまり、物を感じたりするのは、
すべて神を経ているのだ。


こじつけでもなんでもない。


大昔から、人は神を無意識に感じていた。


神を信じる信じないとは
切り離して議論しても、
歴然と神がいる。


どこにでもいるのだ。


【スポンサードリンク】






日本では窮地に陥った人が口走る、
代表的な言葉に、

「ああ、神様、仏様」

というのがある。


この場合、神様はイエスではなく、
神社などに祭られる神を指すのだろうが。


いずれにしても、
私にはいまのところ、
いつもかみさんがついている。


彼女が父と崇(あが)める
神に会える日がくるのも、
それほど遠い日ではない、
と思えるようになった。


『サラリーマン千日解放』の
上梓(じょうし:出版)が実現するころ、
ひとつの区切りになるかもしれない。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
996日目の記事である。

執筆年月日 2001・01・28
ブログアップ日 2017・01・28





【スポンサードリンク】






【後 述】


一日一生という言葉があるが
まさに人生、一日一生である。


特に現代は次の瞬間が分からないほど
混沌(こんとん:なりゆきがはっきりしない)
としている。


それこそ
今でしょ!
ではないが、
今を精一杯生きることだ。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ロックと機転の悪さ [コラムエッセイ]


「ロックと機転の悪さ」


一昨日土曜日のことだ。


かみさんと娘はカラオケへ行き、
私は予約を入れていた歯医者へ行った。


年末から作り直していた新しい義歯が、
その日入ることになっていたからだ。


歯医者から戻り、
留守宅の玄関ドアにキーを差し込んだ。


ガチャ、ガチャ、開かない!

key.jpg
画:AC WORKSさん

何度やっても開かない。


【スポンサードリンク】






私は寒空に立ち往生した。


用心深いかみさんは、
中からすべての窓ガラスを
しっかりと施錠しているはずだ。


よほど二階によじ登り、
ガラスを割って中に入ろうと思った。


しかし後始末を考え、
他に方法がないか思案した。


奥の手としては、
ドアを壊すしかないと思った。


でも、それならガラス戸を一枚割った方が、
金もかからないのではないか、
などと思案も堂々巡りをした。


さいわい昼間で明るかったのと、
近くに人もいなかったため、
怪しまれることはなかった。


近所の知り合いがいたら、
道具を借りてでも
すぐにドアを壊していただろう。


ドアの鍵は二重になっており、
上下に鍵穴がある。


通常私が施錠するときは下の鍵だけだ。


その日はかみさんが施錠したため、
丁寧に上もロックされていた。


最初、キーを下の鍵穴に入れ、
時計回りの方向に回した。


開かないので、
上の鍵穴にも入れて、
同様に回したが開かない。


私は上下の錠をガチャガチャと、
気が狂ったように回した。


しまいに私は、
上下が同時に開くことなど、
永遠にあり得ないとさえ思った。


【スポンサードリンク】






しばらく間をおいた。


冷静になり、
痛くなった指を両手で支え、
ゆっくりとキーを回したが開かない。


それでもまだ、
時計方向に回すことしか私の頭にはなかった。


突然嘘のような考えが、
疲れ果てた私の頭によぎった。


逆方向に回すのでは、……。


開いた!


頭のロックも取れたようだった。




私がこの記事をかいたのは、
17年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
990日目の記事である。

執筆年月日 2000・01・22
ブログアップ日 2017・01・22





【スポンサードリンク】






【後 述】


鍵の開け閉めについて
統一された作り方はされていないようだ。


右に回すとロックし、
左に回すと開くものと、
左に回すとロックし、
右に回すと開くものとがあるようだ。


なぜ統一しないかというと
製造コストの問題だったり、
ドロボウがカギを開けるのに
時間がかかるようにしたらしい
という意見もあるくらいだ。


開ける時は、
慌てずに淡々とやることだ。


いずれにしても
右回しと左回しの
2通りしかないのだから。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

成人式 [コラムエッセイ]

「成人式」


私は成人式からすでに、
29年も経ってしまった
(この記事をかいた1999年は、
まだ1月15日が成人の日であった。
1998年の祝日法改正「ハッピーマンデー制度」
に伴って、2000年より、
成人の日は1月第2月曜日へ移動している)。


seijin.jpg
画:えびてんさん

生まれてから、
成人式を迎えるまでの年月よりも、
成人式から今日までの方が、
圧倒的に長くなってしまった。


式に出席するだけで1人5万円もらえる
というある村での成人式を、
ニュースが取り上げていた。


なぜそこまで若者を甘やかすのか。


たとえ、それが村離れをさせないための手段
だとしても、ゆきすぎだ。


【スポンサードリンク】






成人式に振り袖姿の女性が少なくなった、
といってもまだまだ多いきらいがする。


むかしと同じように、
成人式一日だけのため、
わざわざ着物をつくっているのだろうか。


私共の成人式では、
このことが問題になった。


いま、我々の子供が成人式を迎えている。


やはり、自分たちが親になり、
考え方も変化したのか。


たしかに現代の娘さんが、
和服を着る機会など、
一生に一度くらいで、
成人式をおいて他にないのかもしれない。


とすれば、
高い金を出しても着せてやりたい、
と思うのが親心か。


それにしても、
一瞬に大金をかけるのは
上手な使い方とはいえない。


よけいなお世話かもしれないが、
100万円で着物を 誂(あつら)えるのなら、
貸衣装屋から10万円で借り、
残った90万円は、
より有意義に使ったらと思うが、
いかがだろうか。


いまの子は、むかしの子供と比べても、
さらに、横並びの精神構造になっている
ような気がする。


たしかに、表向きの趣味嗜好は
多様化したように感じるが、
行動は皆から外れない様に、
飛び出ないようにと、
注意を払っているようだ。


【スポンサードリンク】






そうなると、
成人式に友達が着物を着て行くから私も、
ということになり、
むかしと何等代わり映えのしない風景になる。


私の娘も数年で成人式だ。


和服で行きたいというなら、
かみさんの振り袖を着させる。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
252日目の記事である。

執筆年月日 1999・01・15
ブログアップ日 2017・01・15





【スポンサードリンク】






【後 述】


相変わらずの成人式風景は
ある意味では仕方ないと思うが、

いまの子は、むかしの子供と比べても、
さらに、横並びの精神構造になっている
ような気がする。

という私の危惧はあれから
様々な問題を起こし具体化してきている。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

初め(ぞめ) [コラムエッセイ]


「初め(ぞめ)」


本日2日は、
書初め(かきぞめ)、
出初め式(でぞめしき)など、

年が改まってから初めて行うことに対し、
初め(ぞめ)という言葉を付けて、
スタートを強調する日である。


dezomeshiki.jpg
画:しゅうぽんたんさん


今晩みる夢を、
初夢(元旦の夜でも初夢という、
としている辞書・辞典もある)、
というように、

様々な初めがある。


【スポンサードリンク】






ただし、
現在は書き初めなども形骸化している。


実際本日書いたとしても、
習字を習っていたり、
教える者だったりしない限り、
毎日書くことはあるまい。


それは、
書き初めではなく、
年に一回書いたにすぎない。


また、
出初め式なども
単なるショーのようになっているだけだ。


いまでは住んでいる町で、
出初め式をやっているのか否かさえ、
分からない状態だ。


私の書き初めは元旦だった。


昨日文章を書いたことが書き初めだ。


あとちょうど一ヶ月間で、
このコラムエッセイ(サラリーマン千日解放)
も終わりを迎える。


いよいよラスト・スパートに入ったわけだが、
文章も、流れも、
別段今までと変わっているわけではない。


内容に盛り上がりがあるわけでもない。


ただ、淡々と書いている。


けれども、
私にとって労作であるこのロングエッセイは、
日の目をみないで終わる可能性もある。


千日でサラリーマンから
解放されそうもないからだ。


どういう形であっても千日後、
短期間のうちにサラリーマンを
辞することができれば、
刊行する意味は充分にある。


しかしサラリーマンをしながら、
上梓(じょうし:出版すること)は
できないだろう。


タイトル通りでなくなるからだ。


【スポンサードリンク】






いずれにしても、
この千日を書き終えることが先決だ。


最後のフィニッシュまでたどり着かなくては
何も話にはならない。


私としては、
これが初出版となるのを大いに願っている。


わが作家人生のスタートは、
そこからだろうと思えるからだ。




私がこの記事をかいたのは、
16年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
970日目の記事である。

執筆年月日 2001・01・02
ブログアップ日 2017・01・02





【スポンサードリンク】






【後 述】


現代は、
活字印刷しなくとも
こうして公に発表することができるし、

その気になれば
それほど費用をかけずとも
刊行することもできる。


果たしてそれが良いのかどうか、
それは、その作家自身のポリシーに
よるのではないか。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
マネーパートナーズで口座開設