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人間は勘定の動物である [コラムエッセイ]

「人間は勘定の動物である」


先進国の都会人たちは、
感情がなくってしまい、
勘定だけになってしまったのか。

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画:k-factoryさん

経済的に発展すると、
人間同士の疎外が進み、
感情表現もしづらくなる。


その結果、
感情は表に出さず、
勘定を頭に入れた者同士の関係が成立する。


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つまりどんどん打算的になって行くわけだ。


勘定ばかりで人づきあいをしていると、
人間本来の感情は歪み、
鬱積(うっせき)された感情が
爆発する形で表面化する。


決して健全な、
良い方向への表われ方ではなくなってしまう。


たしかに世の中勘定できないと、
暮らせないことが多い。


例えば、何をするときも、
具体的にスケジュールを書かなくても、
頭の中に描いて行動している。


これは時間の勘定である。


給料をもらったり、
物を売買したり、
経済的な行動をするのは金の勘定である。


そして終(しま)いには、
人の感情まで勘定するようになる。


文明が進み、経済が発展し、
こういう副産物が出てしまうのか。


そうではないと思う。


やり方が間違っていたに違いない。


感情のバランスを
とり忘れてしまっていたのだろう。


皆そんなことは気づいている。


しかし自分一人が
少しくらい人に親切にしても、
世の中変わらないと思っている。


自分一人でできることなんて
たかがしれている、と。


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だったらやればいい。


無名の一介の生活者が、
いまさら政治家にはなれないだろう。


また、なりたくもないだろう。


ならば、自分の日常生活で、
感情表現を上手にしてゆくしかないだろう。


人に席をゆずったり、
手を貸してあげたり、
声をかけて挨拶(あいさつ)をしたり、
ありがとうに心を込めて言ったり、
ちょっとしたことが
社会を変える認識を持てばいい。


なぜって、
その数は日本だけでも、
一億数千万もあるからだ。




私がこの記事をかいたのは、
18年前のことである。
当時サラリーマンであった私が
作家を目指し書いた
「サラリーマン千日解放」
というコラムエッセイの
577日目の記事である。

執筆年月日 1999・12・06
ブログアップ日 2017・12・14





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【後 述】

ちりも積もれば山となる、
ということわざがあるが、

聖書では

【創世記第2章7節:現代訳より】
すると、主である神は、
土のちりで人を形造り、
その中に霊を入れられた。
そこで、人は生きた人格となった。

とある。

つまり、私たち人間は
積もれば山となるちりなのである。

歴史的にも大勢の人が一致団結して
大きなうねりとなった事実は
枚挙に暇(いとま)がないほどである。

人間がこれ以上ロボット化しない為にも
心はいつも暖かくしておきたいものである。

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